マドンナ・その3

私は、2年前の夏、目の前の女生徒と夏の一夜を過ごしていました。

ただし、残念ながら?二人きりではありません。当然ですが・・・・。

 

2年前の中学校3年生のとき、生徒会長だった親友・Aと議長だった私は、いわば学校行事を仕切っていました。

小学校のときから憧れていたAと親しくなった理由は、私のある蛮行からでした。

1年生のとき、私はある不良少年と同じクラスになりました。彼の行状は、界隈に知れ渡っており、同級生の間には少なからず不安が漂っていました。小学生の悪行などは高が知れていたでしょうが、地方の片田舎の長閑な村社会では、際立って異彩を放っていたのです。

 

彼はさっそく私にちょっかいを出しました。

入学式後の記念撮影のとき、私の真後ろに立った彼は、私のお尻を蹴ったり、頭を小突いたりしたのです。

ですが、その場の雰囲気を壊したくなかった私は、じっと耐えていました。

そのことで、おそらく彼は私が大人しい人間だと誤解したのでしょうね。

翌日だったか、その次の日だったか、理科の授業のとき、顕微鏡を覗いていた私の後頭部、ドンと押し付けたのです。当然、強かに目を打ち付けました。

自分で言うのも何ですが、こうなると私は手が付けられなくなります。

 

『こら!何するんじゃ!』

と大声で喚きました。

『・・・・』

私が弱虫だと思っていた彼は、ただ唖然としていました。

私の声に気付いた先生が注意しましたが、私は構うことなく、彼の胸倉を掴んで、窓際へ押し込むと、一発殴りました。そして、倒れた彼の太腿の辺りに蹴りを入れました。興奮していましたが、さすがにお腹や頭を蹴ったら拙いだろうという冷静な判断は働きました。

 

ここで、先生が間に入り終わりましたが、この一件は学校側を震撼させました。今であれば、いまや同時代であっても、都会の学校であれば、ごく日常茶飯事のことで、もっと酷い事件もあったでしょうが、舞台は40年以上も昔の、地方の片田舎の中学校です。これまでにはなかった事態だったのでしょう。

 

授業後職員室に呼ばれ、教頭と担任も含めて説教されましたが、私は自分に非はないと思っていましたので、なんら反省する事は有りませんでした。

むしろ、

『では、先生たちは私に泣き寝入りをしろとでも?また、先生に密告しろとでも言うのですか?』

と問い質しました。

彼らは何か言っていましたが、私は一切聞く耳を持ちませんでした。

 

この一件で、私は良い意味でも悪い意味でも、要注意人物となりました。それは、教員の間だけでなく、生徒の間でも同様でした。

同級生は、私に一目置くようになり、上級生も接触を避けるようになりました。成長期である中学校1年生と3年生では、体格面で雲泥の差がありますから、3年生と喧嘩して勝てるはずもありませんが、授業中の暴力行為に、上級生の間にも、何を仕出かすかわからないという不気味な印象を与えたのでしょう。

 

実は、この事件をきっかけにして、その不良少年に閉口していたAが、私に接近してきたのです。

 

前置きが長くなりましたが、私とAはせっかく生徒会を仕切っているのだから、何か新しいことをやろうと考え、近隣の中学校との合同会議の開催を学校側に提案しました。そして、参加希望のあった3校と、我が校の4校で開催する運びとなったのです。

 

会場は発案者の我が校となり、開催日は夏休みということになりました。

当然、合同会議の司会は私が務めることになりました。

参加人数は一校あたり10名前後でしたが、その参加校の中のある中学校の生徒会長が目の前の彼女だったのです。

 

1泊2日の予定で、

1日目の午後に会議、夜はバーベキューにキャンプファイヤー、花火。そして定番の肝試し。
就寝は23時。

2日目は、午前中に会議、昼食後近くの海で海水浴、夕方解散。

というスケジュールでした。

 

男子は体育館で、女子は教室で雑魚寝でした。

参加校は、いずれも男性教諭が付き添いでしたが、我が校は男性教諭の他に女性教諭も参加して、女子生徒と一緒に雑魚寝しました。

 

中学校の校庭の横に更地があり、そのさらに奥に小さな自然の池がありました。その更地を、バーベキューとキャンプファイヤーと花火の場所としました。

肝試しは、校舎の中だったり、裏山だったり・・・・まあ、私の本意は合同会議を表向きにした夏休みの思い出作りでしたので、渋い顔の担当教諭を説得して様々なイベントを企画したのです。

 

最初の会議のときは、初顔合わせですから、皆馴染まなかったのですが、バーベキューのときあたりから、しだいに打ち解けていきました。

微かな記憶を辿った私は、生徒会長である彼女と、何かに付けて段取りの話をしていたことを思い出しましたが、しかし目の前の彼女がそのときの彼女だったとは・・・・

 

まるで、伊勢正三の『なごり雪』の一節、

 

『時がゆけば、幼い君も大人になると気付かないまま

今春が来て、君は綺麗になった

去年よりずっと綺麗になった』

 

ではありませんが、言葉は悪いですが、あの小便臭かった彼女が、2年経つとこんなに可愛くなるものなのか・・・・。

 

しかも、私が戸惑っていると、何と彼女の方から、

『私と付き合ってくれませんか・・・・』

と告白をしたのです。
彼女はその合同会議のときから好意を持っていたというのです。高校は別でしたが、私を呼び出した同級生は中学校時代の友人ということでした。

こんな可愛い女性から告白されて、私は即座に、

『はい』

と、言いそうになりましたが、そのとき閃光のようにある女の子の顔が脳裏を過ぎった私は、

『ごめん』

と、交際を断りました。

そうなのです。私には、10年以上も私の心を捉えて離さない女の子がいたのです。

 

私は、

『君の勇気で、僕は本当に好きな人がいることに気付いた。その気持ちを隠して君と付き合うことは出来ない。僕は君のように勇気を出して彼女に告白しようと思う。もし振られてもそれは仕方が無いと諦める』

と、なんとも残酷な事を言ってしまいました。

 

しかし、彼女とはこれで縁が切れたわけではありませんでした。

 

 

 

マドンナ・その2

日本最美少女列伝

私が、マドンナを親友・Aに紹介してから半年後の秋、なぜ私とマドンナが恋人同士になったのか?

 

残念ながら、現実の話ではありません。また、夢の話でもありません。

 

私が通った高校は、大変な進学校で修学旅行はありませんでしたが、体育祭や文化祭は大掛かりだったと書きました。

その文化祭は、土日の2日間に渡って行われました。3学年・全30クラスが各々出し物を考えます。

合唱、演劇、露天商、ゲーム場、定番の幽霊屋敷・・・・。

合唱や演劇は体育館、幽霊屋敷は、剣道場や柔道場を使いましたが、その他は基本的に教室が会場となるので、自ずと出し物は制限されました。

手軽さ?から、やはり合唱や演劇が圧倒的に多かったですね。

 

さて、我がクラスですが、クラスメートにTという男がいました。このTは映画が大好きで、鑑賞はもちろん、高価な機材を購入して、風景などを中心に撮影していたようでした。

実は、私もカメラや映写機には興味があり、中学のときには、お年玉や小遣いを貯めて、4万円もする8mm映写機を購入したほどでした。

その年、家を新築しましたので、古い家の面影や、解体から新築されるまでの過程を記録しておきたかったのです。

 

ちなみに、その頃私が何度も店に通い、親しくなったお陰で、映写機を安くしてくれた写真機店の店主は、あの福山雅治の写真の師匠・植田正治(うえだしょうじ)氏です。

 

 

映写機が取り持つ縁で、私とT氏は親しくなったのですが、そのTが文化祭の出し物として映画作品を提案したのです。

在校した3年間はもちろん、その前にも映画を上演したことは無かったと記憶しています。

 

ともかく、斬新な試みに、クラスメートも担任も乗り気になり、2作品を制作することになりました。私とTで撮影、脚本、キャスティングを取り仕切りました。

 

肝心の作品ですが、

1つは、当時人気絶頂だった、ブルース・リーの影響でカンフーもの、

もう一つが、王道の恋愛ものでした。

 

私は制作側だったのですが、Tの依頼で、カンフーの作品に出演する事になりました。役は、主人公と敵対する組織の首領役、つまり悪役でした。

私は、小学校の高学年のとき、空手を習っていたので、型が決まっていたからでしょう。

 

さて問題は、恋愛作品の方でした。

内容は、これが後年、映画化やテレビドラマ化もされた、大ベストセラー小説『世界の中心で愛を叫ぶ』の内容に酷似していました。まあ、考える事は似たり寄ったりという事でしょうか。

 

ヒロイン役は、これはもうマドンナで異論はなかったのですが、問題は相手役でした。

何しろ、マドンナの相手ですから、どうしても役不足になってしまうのは明らかで、皆尻込みをしてしまったのです。

それこそ、本物の彼であるAであれば、ピッタリなのですが、他のクラスの生徒を出演させるわけにはいきません。

 

困り果てた私とTは、マドンナ本人に意見を求めました。すると、彼女は相手役に私を指名したのです。

少なからず驚きましたが、私は脚本も担当していましたし、カンフーの作品にも重要な役で出演が決まっています。とてもじゃないが、作品を掛け持ちなど出来るはずもありません。

私は断ったのですが、マドンナが引き下がらないので、結局カンフーの方は子分役に変更して出演時間を減らし、マドンナの相手役を務めることになったのです。

 

マドンナと私が恋人同士なったというのは、こういうことです。

 

マドンナが、相手役に私を選んだ理由ですが、

Aを紹介し、彼と付き合うことになったことで、彼女が私に感謝の念を抱いたのは間違いないでしょう。

その証拠に、席が隣だったこともあり、二人はますます話をするようになりました。それこそ、Aよりも話す時間は長かったと思います。何も知らない者の目には、私たちが恋人同士に映っていたほどでした。

 

誰でもそうでしょうが、付き合い始めというのは、なにかと気を使うものではないでしょうか。

『こんなことを言ったら嫌われやしないか・・・・ああ言えば・・・・こんなことをしたら・・・・』

と、私も神経を使った経験があります。

マドンナはあくまでもAの彼女ですから、たとえ嫌われても失うものの無い私は、言いたいことを言っていました。遠慮なく、はっきりと本音を漏らしていました。

おそらく、彼女もそうだったのではないでしょうか。ある意味、私との会話でストレスを発散していたのでしょう。

 

言うまでもありませんが、私はAの親友ですから、マドンナより彼のことを知っているわけで、彼の中学時代の事を話したことも、二人が親しくなって行った要因だったと思います。

以上のことから、彼女にしてみれば、他の男生徒に比べ、気を使う事が無いというのが理由だったと思われます。

 

一方で、Aにしても、私なら信用が置けますし、たとえ自分の彼女と抱き合うシーンがあったとしても、他の男生徒よりは、嫉妬しなかったのでしょう。

これもまた、マドンナが私を選んだ理由の一つだったかもしれません。

 

撮影は、校内はもちろん、湖畔、河川敷、城内、堀端、市内・・・・とあらゆる場所をロケして回りました。

撮影期間は一ヶ月ほどでしたが、その間はずっとマドンナと一緒でした。平日は授業後の夕方から、日曜、祝日は朝から昼間のシーンの撮影をしました。
周囲に、監督・撮影のTやスタッフ、共演者はいたものの、二人きりのシーンが多かったので、待ち時間など、とにかく二人だけでいることが多かったのです。むろん、Aよりもずっと長い時間です。

 

内容はと言いますと、恋人同士ですから台本にはキスシーンもあるのです。もちろん、本当にキスはしませんでした。ギリギリまで唇を近づけ、後はカメラの角度で誤魔化すのです。

しかし、抱擁や頬を合わせるシーンなどは実際にしました。そして彼女の豊満な胸の感触や息遣いを身体で感じました。

疑似恋愛とはいえ、一ヶ月も続けていると、妙な感情が湧いてくるものです。高校生の稚拙な映画でさえ、彼女に特別な感情が芽生えるのですから、テレビドラマや映画で競演した芸能人が、実際に交際に発展して行くのも理解できるような気がします。

 

さて、最後のシーンですが、ロケ地は湖畔でした。時刻は夕方。

私は彼女の方を抱き、湖に沈んでゆく夕陽を眺めながら、会話をします。

大学へ行ったら・・・・

就職したら・・・・

結婚したら・・・・

子供が出来たら・・・・

子供が結婚して、また二人きりに戻ったら・・・・

しかし、とうとう彼女の返事が返って来なくなり、私の膝に崩れ落ちました。

 

最後のシーンを撮り終えたときでした。

マドンナは、膝の顔を私に向けると、上目遣いに、

『安岡君(実際は本名です)の方が良かったかな』

と、ポツリと零したのです。

『えっ?』

私は、彼女の言葉を消化できませんでした。

そのうち、Tや他の同級生たちが近づいてきてしまったので、彼女に真意は分からず仕舞いになりました。まさか、あらためて真意を訊ねる勇気もなく、私と同じように一時的に錯覚を覚えたのだろうと想像しました。

その後、Aとは順調に交際を続けていましたから、私に気が有ったということでないでしょう。同窓会でもあれば、確かめてみたいと思っていますが、彼女が覚えているかどうかさえも定かではありませんがね・・・・。

 

私たちが制作した映画は好評を得ました。二日間、朝から夕方まで途切れずに上映しましたが、毎回満席でした。といっても教室でしたから、1度の上映で鑑賞できる人数は50名ぐらいでしたがね。

 

さて、文化祭は一般にも公開されていましたので、他校の生徒も数多く訪れていたのですが、このことが私の現実の恋の転機となったのです。

 

2日目の午後でした。

同級生の女生徒から呼び出され、私は校舎裏へ行きました。

すると、そこに一人の女性が待っていました。

小柄で、可愛らしい女性でした。マドンナとは対照的で、決して美人とは言えませんが、顔立ちもその佇まいも、実に愛くるしいものでした。

見知らぬ彼女に、私が戸惑っていると、

『安岡君、私を覚えていません?』

彼女の口から意外な言葉が飛び出しました。

『はあ?』

私にはいっこうに覚えがありません。すると彼女は、

『中学校三年生の夏です』

と微笑んだのです。

『中学三年生の夏?・・・・あ、ああ・・・もしかして、君はあのときの・・・・』

私は、ようやく彼女のことを思い出しました。たしかに、私は目の前の彼女と、夏の一夜を共にしていたのです。

 

彼女と夏の夜を共にしたとは、いったいどういうことなのか?

続きは、また近いうちに・・・・・。

 

 

 

マドンナ・その1

ゴールデン・ウィークが始まりましたね。

私は、今年も出掛ける予定がなく、虚しくPCと向かい合っています。

 

折角の連休初日なので、あまり堅苦しい話題は止めました。と言っても、この話題も鬱陶しいだけかもしれませんが・・・・。

 

題して『日本最美少女列伝:マドンナ・その1』です。

 

マドンナ・・・・これも死語なのでしょうか?

男子の誰もが憧れる存在。彼女にしたいが、高嶺の花で、声を掛けることすらできない。マドンナとは、そのような存在でしょうか。

ただ、美形というだけでなく、知的で近づき難いオーラを纏い、出来ればスポーツも万能。これだけ揃えばもう十分ですが、さらに駄目を押すとなると、深窓のお嬢様という肩書きでしょうか。

ここまでハードルが上がると、滅多なことでは出会えませんが、実は高校時代、私はこれらの条件を全て満たした女性に出会ったのです。

 

目鼻立ちの整った正統派の美人。

身長は165センチほどで、スラリとした体型ですが、豊満な胸。

色白でロングヘアー。

そうですね、女優に例えるなら、古くなりますが、映画『愛と誠』の愛役の池上季実子をもっと整った顔立ちにした感じですね。
(TVを見ていたら、Going!Sportのお天気コーナーの『佐藤ありさ』をもう少し整った顔立ちにした感じですかね)

 

しかも、深窓のお嬢様という点では、祖父が重要閣僚や自民党の役職を務め、叔父は内閣官房長官や自民党の幹事長を務めた大物議員という、正真正銘、生粋の良家のお嬢様でした。

その、彼女との不思議な関係。精神の病に罹っていた私に、神からのプレゼントのような出来事。

今回は、私のノスタルジーにお付き合い下さい。

 

私が通った高校は、県下一の名門進学校で、東大の前身である東京帝国大学より前に創設されたほどの歴史を持つ伝統校でした。

上位の100番目だったか、200百番目までだったか、テストの成績上位者が張り出され、学力によってクラスが再編成されるという高校でした。3年生の1学期までに、教科書は全て終了し、以降はひたすら学校側が作成した予想問題集を解いていました。

 

夏休みは、前後それぞれ1週間から10日間削られ、3年生のときは、通常の6時限+補修の2時限、合計8時限の授業を受けていました。補修科目は選択制です。

当然、修学旅行などはありません。ただその分、体育祭と文化祭は大掛かりに行われていました。

 

私が初めてマドンナと出会ったのは、むろん入学してからですが、親しく言葉を交わすようになったのは、2年生のとき同じクラスになってからです。

1年生のときに、彼女の噂はいろいろとで出回っていましたので、実際に同じクラスになったときは、彼女でもないのに胸がときめいたのを憶えています。

 

さて、1学期の初日の事でした。彼女が同じクラスになったことで、少なからず興奮を覚えていたところに、この日とんでもない事が起こったのです。

朝礼の前に席替えを行ったのですが、なんと彼女が私の隣の席になった男性と代わるよう願い出て、私の右横の席に着いたのです。

『どういうこと?』

明らかに彼女の方から私に近付いて来たのですから、頭が混乱するのも無理はないでしょう。

『彼女は俺に気が有るのか?まさか・・・・』

噂で、彼女には中学校時代から付き合っている彼がいると聞いていました。私の目から見ても『ハンサム』な男性でした。その彼女が私に気があることなど有り得ないことでした。

 

ところが、授業の合間の休憩時間になると、今度は彼女から話し掛けて来るではありませんか。彼女から根掘り葉掘り聞かれ、私はますます舞い上がってしまい、とても授業どころではありませんでした。

 

そのような日が、しばらく続いた後、彼女があらたまった物言いになりました。私は、

『まさか、告白か?』

と、口から心臓が飛び出すかと思うくらい緊張しながら、彼女を注視していました。

すると、彼女は少しはにかみながら、

『安岡君(実際は本名です)って、A君と親しいでしょう?』

と言ったのです。

『そういうことか・・・・』

私が彼女の真意を悟るには、その言葉で十分でした。

 

Aと言うのは、私の中学からの大親友で、これまたとにかくかっこいい男でした。

そうですね、全体の雰囲気は若い頃の福山雅治でしょうか。顔立ちも彼と竹野内豊の良い点を合わせた感じと言えば言い過ぎかもしれませんが、それぐらい良い男でいた。

身長は180センチ、2年生ながらテニス部の主将を務めるほど人望があり、頭脳の方は成績によって再編成される9クラスの他に、特別に設けられた、3年間同じメンバーで過ごす、特級クラスの一員でした。

性格はといえば、それだけ恵まれていながら、傲慢なところが微塵もなく、温厚で人に気遣いのできる男でした。まさに、非の打ち所のない男だったのです。

 

私は小学校の頃からAに憧れていました。

サッカー、バスケット(ポートボール)、陸上競技・・・・6つの小学校対抗戦のとき、必ずAの小学校と私の小学校が決勝戦を戦ったのですが、彼はそのライバル校のエースだったのです。

私は、エースではなく2番手の位置付けでしたが、とにかくAはかっこ良かった。

私を始め、ほとんどの男子が前髪を額のところで揃える、『おかっぱ風』の髪型をしていたのですが,彼だけはやや長髪で、センター分けしていたのです。

 

中学時代、そのAと私は仲良くなり、特に3年生のときは、生徒会長になった彼が、私を議長に推薦したため、彼と2人で様々な行事を仕切って行きました。

成績、スポーツ、容姿、性格、すべてにおいて私を凌駕するAは、私にとってライバルなどではなく、憧れの存在であり、雲の上の男でした。

 

マドンナは、私にそのAを紹介して欲しいというのです。彼女は中学から付き合っていた彼と別れてまで、Aと付き合いたいというのです。

私にすれば、悔しいとか落胆とか嫉妬とかという感情はありませんでした。(いや、少なくともこの時点では、と注釈して置きましょう。)

ですから、私は喜んでマドンナにAを紹介しました。まさに、典型的な美男美女のカップルの誕生でした。

 

しかし、半年後の秋、マドンナと私は恋人同士になるのです。それはいったいどういうことなのか?

申し訳ありませんが、この続きはいずれとさせていただきます。

 

 

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