宮廷の諍い女-3

『宮廷の諍い女-3』

宮廷の諍い女とは直接関係ないのですが、ドラマについて語ることなど滅多にないことですので、この際思い出に浸りながら書きたいと思います。

さて、私は何時ごろから日本のドラマがつまらないと思うようになったのか。

私の生家は地方の片田舎とはいえ、それなりでしたので、物心が付く頃からテレビはありました。したがって、前回の東京オリンピックも、日米初の衛星中継だった、ケネディ大統領暗殺も観ました。

その頃は番組自体が少ないですし、娯楽は映画とテレビしかありませんでしたので、何を見ても面白かったと言えるでしょう。ただ、時代は映画からテレビへの過渡期でしたから、テレビ業界の活気とそこで働く人たちの情熱が伝わるような番組が多かったように思います。

ところで、私は50歳を有に超えています。したがって、約50年間テレビと付き合ってきたわけですから、数多くのドラマを観てきたことになります。その中から、私が面白かったと思う番組を列挙してみます。若い人には知らない番組も多いと思いますが、お付き合いください。

時間が前後するかもしれませんが、まずNHK大河ドラマから、第一回の『花の生涯』、第二回の『赤穂浪士』、第三回の『太閤記』、第四回の『源義経』。

大河ドラマ第三回の『太閤記』で大抜擢デビューしたのが、緒形拳です。織田信長役の高橋幸治とのコンビネーションが絶妙で、本来本能寺の変で信長は討たれるわけですから、ドラマの中ほどで死ぬはずでしたが、視聴者からの助命嘆願が殺到したため、本能寺の変を数回分先延ばしにしたという逸話が残っています。また、豊臣秀吉役の緒形拳の演技が素晴らしく、本来なら2年連続で起用しないはずだったのに、翌年の源義経で、準主役の弁慶役が決まったということです。

続いて、TBS系列の東芝日曜劇場。東芝日曜劇場は、幾つかのシリーズ物がローテーションで放送されていて、題名は忘れましたが、森光子主演の『パンツ屋もの』と池内淳子主演の『芸者もの』が人情味溢れていて少年の私でも面白かったと記憶しています。NHKの『天下御免』や日本のドラマではありませんが、同NHKの『西部二人組』も楽しみにしていました。当時、フィルムは貴重品でしたから、使い回しをしたため、NHKには録画フィルム残っていないそうです。また、同NHKの朝の連続テレビドラマから、樫山文枝主演『おはなはん』。後の、大和和紀の漫画『はいからさんが通る』を読んだとき、この『おはなはん』のイメージが重なりました。ただここまでは、テレビ番組自体が少ない時代ですので、質のレベルとは関係なく心に残っているのかもしれません。

さらに、森繁久彌主演の『だいこんの花』、中山千夏主演の『お荷物小荷物』、浅丘ルリ子、石坂浩二主演の『二丁目三番地』ですか。主演の二人はこのドラマの共演がきっかけで結婚したと記憶しています。主題歌はビリーバンバンの『さよならをするために』だったでしょうか。

実は、その後人気のあった石原裕次郎主演『太陽にほえろ』、松田優作主演『探偵物語』、萩原健一主演『傷だらけの天使』といったアクションものにはあまり興味が湧きませんでした。過去のブログにも書きましたが、『太陽にほえろ』に感化されて刑事になり、今や県警の捜査を仕切る立場になっている幼馴染の友人とは対照的でしょう。また、80年代のいわゆるトレンディドラマというのもあまり興味がなかったですね。その中で、唯一明石家さんま主演の『男女七人夏物語』が例外でしたが、それはドラマの内容というより、さんまのファンだったので観ていたのです。

水谷豊主演の『熱中先生』、田宮二郎主演の『白い巨塔』、三船敏郎主演『大忠臣蔵』,

先代松本幸四郎、中村吉右衛門、丹波哲郎がそれぞれ主演の『鬼平犯科帳 』・・・・まだ他にあると思うのですが、何分50年間ですから忘れてしまった番組もあるでしょう。こう考えますと、90年代になってから、ドラマを観なくなったような気がします。その後の秀逸なドラマとしては、水谷豊主演の『相棒シリーズ』ですが、しだいにマンネリ化してきています。他は、内野聖陽主演の『臨場』。藤田まこと主演の『剣客商売』あたりでしょうかね。

さて、番組ではありませんが、私がこれまで観てきた俳優の中で一番の高評価は『渡辺謙』ですね。彼のメジャーデビューはNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』だと思うのですが、このドラマは同大河ドラマ史上最高の平均視聴率を誇っています。題名からわかる通り、伊達政宗の生涯ですから、そこそこ有名でも、戦国時代の三傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はおろか、武田信玄、上杉謙信よりも知名度は低いでしょう。にもかかわらず、このドラマが最高視聴率を獲得したのは、まさに渡辺謙の存在感だったと思います。私も欠かさず観ましたが、ドラマの内容というより、渡辺謙に惹かれたと言った方が正しいでしょう。

私は、かつての有名俳優のデビュー当時の映画やドラマを観ていますが、20歳そこそこ時点での存在感、演技力で比較すれば渡辺謙が筆頭だと思います。それこそ、世界の三船敏郎や勝新太郎よりも上だと思います。彼と双璧なのが、前述した緒形拳といったところでしょうか。石原裕次郎は、ある意味作為的に作られたスターなので、比較ができません。もっとも晩年になってからの演技力という点において、渡辺謙が過去の名優に匹敵、凌駕するかは未知数ですがね。

この独眼竜政宗では、北大路欣也と父子として共演していましたが、私の目には渡辺謙の方が食っていましたね。さらに、このドラマには勝新太郎が秀吉役で出演していましたが、政宗と秀吉が絡むシーンは圧巻の迫力でした。勝新太郎の存在感、迫力が半端なかった。北条攻めに遅れて参陣した政宗と初対面のシーンで、秀吉(勝)が、政宗の首を鞭打つシーンはアドリブだったという話ですが、さすが勝新太郎の貫録は凄いものでした。ですが、いかに勝新太郎の貫録が凄くても、相手をする方が格落ちですと、映像そのものは陳腐になるものですが、渡辺謙は互角とはいかないまでも十分対抗していました。このシーンには徳川家康役で津川雅彦も共演し、脇を固めていましたので、いっそう印象的でした。

名優ということで言えば、総じて歌舞伎俳優は演技力があると思います。古くは、先に記述した中村吉右衛門、松本幸四郎、片岡仁左衛門、故中村勘三郎、中村橋之助・・・・・皆安心して観ていられます。市川海老蔵は演技以前にちょっとキャラクターが濃過ぎてなとも言えませんが、彼らは皆、基本的に発声ができている。滑舌が良い。目力がある。間の取り方が良い、と言えるでしょう。これらは、幼少の頃より徹底的に鍛えられた賜物だと思います。渡辺謙は歌舞伎俳優ではありませんが、そう言った歌舞伎俳優の持つ特徴をデビュー当時から備えていたと思います。

さて、私が宮廷の諍い女に嵌ったもう一つの理由がそのストーリーでしょうか。物語は単純ですが、なにせ76話という長編ですから、視聴者を飽きさせずに物語を繋いで行くには、相当な構成力が必要となります。原作が良いのか、脚本が優れているのかはわかりませんが、良くできています。辻褄の合わない点はいくつかあるものの、数多くの策謀、陰謀等、よく考えられています。初期の前振りが終盤になって生きてくることも多々あって、幾ばくかの小説を執筆している者としては、プロットの豊富さ、組立に感心させられているというのが本音なのです。
 


 

悲報:やしきたかじん逝去

『悲報:やしきたかじん逝去』

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

さて、本年の第一弾のテーマを何にするか、サッカー日本代表の本田、香川、柿谷・・・・にするか、あるいは昨年予想した通り、年末に1ドル=105円になった為替、民主党時の最安値からほぼ2倍になり、今話題のNISAを含めた株式相場について書こうかと迷っているうち、なんとも悲しい、やるせない一報が届きました。

やしきたかじん死去の報です。

なんとなく嫌な予感がしていたものの、昨年末に結婚されたと聞いて、安心していた矢先の悲報でした。私が最も好きなタレント、歌手、芸能人はこのやしきたかじんと明石家さんまでした。やしきたかじんは、東京ではあまり知られていないかもしれませんが(関西ほどという意味)、関西では絶大な人気を誇っていました。

私は大学進学で大阪にやって来て数年後に、彼の存在を知りました。関西ローカルのテレビ番組に出演していたのですが、当初彼が歌手しかも相当に上手い歌手だとは知りませんでした。

私がたかじんのファンになった理由は、彼が毒舌で言いたいことを言ってきたということもありますが、なにより結果的に生き様というか、所業が私と似ていたからです。特に夜の世界での彼に纏わるエピソードの多くのことを、偶然に私もやっていたのです。もちろん、彼ほど豪快ではなりませんが、感性というか人生観が似ていたと思えるのです。

もう一人の明石家さんまは、彼がお笑い一筋だというところです。芸能人の多くは、副業としてたとえば飲食店を経営したりしています。余資の運用、あるいは人気が無くなった
ときの保険のためなのでしょう。人としては理解できますが、そこに潔さは感じません。
芸能界という言わば特殊な世界に生きているのですから、生活の保障を他に求めてどうするのか、というのが私の意見なのです。

ビートたけしは、北野たけしとして映画監督もしていますが、この場合はお笑い芸人の感性が生きる分野ですからまだ理解できるとして、島田紳助がさまざま新食店を展開していたのは、いかがなものかと思っていました。その点、私の知る限り、さんまは副業はしていないと思います。そこに、芸人としての矜持を感じるのです。

さて、やしきたかじんですが、彼の姿がもう見られないのだと思うと、気分が落ち込んでしまいます。また一つテレビに興味がなくなる原因が増えました。今日は何事もやる気が起きず、とはいえ、せめて追悼のブログでも更新したいと思い、短い文章を載せました。この何日かは、録画してある過去の番組を順次再生しようかと思っているところです。

やしきたかじんさんのご冥福をお祈りいたします。
         (敬称略)

猪瀬東京都知事・醜態を晒す人々-2・続き

『猪瀬東京都知事・醜態を晒す人々-2・続き』

東京都議会の追及に猪瀬知事はしどろもどろですなあ。この調子だと、辞任に追い込まれるのも時間の問題でしょう。

さて、私は猪瀬知事を悲しくて愚かと表現しましたが、ことさら彼を糾弾するつもりはありません。その理由は東京都民ではないということではなく、このブログで何度も書いていますが、私の哲学(大袈裟ですが)からすれば、『腹黒いが有能な指導者』と『清廉潔白だが無能な指導者』とでは、躊躇することなく前者を選択するからです。ただし、有能とは国益に利するという意味合いにおいてのみです。

猪瀬知事は間違いなく多大な国益を齎しました。2020年東京五輪招致成功です。民間シンクタンクの試算では、数兆年から百兆円以上と、経済効果についてはバラツキがありますが、仮に10兆円だとして、猪瀬知事の貢献はどれだけあったのでしょうか。

具体的な経済効果はともかく、日本国民が(反日分子以外)等しく歓喜したことは間違いないでしょう。幸せを、喜びを、勇気を感じたことでしょう。その感謝の印として、仮に5,000万人が1円ずつ猪瀬知事に献金すれば5,000万円になります。100円であれば50億円です。

もし、猪瀬知事から依頼があれば、私は1万円献金しても惜しくないですね。(せこいですが)東京五輪招致はそれだけ今後の私の人生に楽しみを持たせました。私の人生観は、いつ死んでも良いというものですが、少しだけ東京五輪を観てから死にたいと思ったぐらいです。

むろん、『清廉潔白で且つ有能』な指導者が出現するに越したことはありません。ですが、それは所詮無理な相談なのです。それを政治家に問う前に、自分の胸に手を当ててみてください。誰しも、出世欲、権力欲、金銭欲、色欲・・・・があるでしょう。人間であれば、当然なのです。だからこそ、宗教の存在意義があるのです。もっとも、昨今はそのような煩悩に打ち勝っているはずの僧侶にもいかがわしいのが増えてきましたがね。

翻って、鳩山、菅の両氏の首相時代を思い出してください。鳩山氏は大金持ちでしたし、菅氏も金には清廉だった?(外国人からの献金問題はありましたが)としましょう。それで両氏が何か国益に利する政策をしたでしょうか?

国益どころか、鳩山氏は普天間基地の移設に関して『最低でも県外』の発言で、日米関係を著しく損ね、菅氏は福島原発事故対策では、無能ぶりを発揮して国民(特に福島県民)に甚大な損害を苦痛を与えました。(もっとも、鳩山氏の発言は理想としては同意します。ですが、方法論もなしに口にするとは無責任極まりないでしょう)

清廉潔白がそれほど大事ですか? 政治家としての資質の第一に問われることでしょうか? むろん、いくら国益をもらたしたと言っても、殺人とか詐欺といった被害者が存在するような犯罪は言語道断ですが、多額の献金?寄付?、あるいは政治資金規正法違反などなにほどのことでしょう。具体的に被害を受けた者がいるのでしょうか。ただし、徳洲会側に何らかの利益供与があったのであれば、それは話が違ってきます。

とにかく日本人は潔癖すぎます。賄賂が常習化していて桁も違う中国や、大統領が交代するたびに、収賄や背任の罪に問われる韓国は論外ですが、国益を齎した政治家にはもう少し寛容であっても良いと私は思います。まあ、その国益を試算するのが難しくはありますが、心象的に私であれば猪瀬氏知事は免罪ですね。

ただ、本当に日本人が潔癖すぎるかがどうかは疑問符も付きます。反日、左翼分子の巣窟であるマスコミが、日本の国益に貢献した人物の失策を、ここぞとばかりにことさら大きく喚いているだけかもしれませんのでね。

それにしても、事が発覚した後の、猪瀬知事の対応の拙さは酷いですね。私は5,000万円の授受より、そちらの方に失望感を覚えます。あのような中途半端な借用書しかないのであれば、むしろ進んで潔く罪を認めていた方が傷は小さかったかもしれません。このままでは政治生命を絶たれかねません。

安岡久遠「どうする日本、どうなる世界」



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安岡久遠ブログまとめページ



やしきたかじん・ゆめいらんかね

食道癌の治療のため、休養してから早くも半年が過ぎました。
意外な復帰の遅れに、ファンである私は、大丈夫なのだろうか?と心配している今日この頃です。

私が、たかじんに親近感を覚えるのは、彼の歌や毒舌ではありません。もちろん彼の歌は好きですが、言われるほど毒舌ではないと思いますし、特に読売テレビ系列の『そこまで言って委員会』では、彼はほとんど自分の意見を言っていません。

私が、彼のファンである理由は、彼の夜の遊び方にシンパシーを覚えるからです。
彼は、よく番組中で『北新地』のクラブの名を挙げています。『城』、『小野』、『ピアジェ』・・・・実は、かつて私もそれらの店で遊んでいたのです。
たかじんが北新地で本格的に飲み始めたのは、私より古いはずですから、一度ぐらいは出会っていてもおかしくはないのですが、残念ながら一度も出会っていません。道ですれ違ったことさえありませんでした。

私が、一時期とはいえ、足繁く北新地に通った理由は、むろんプライベートの遊びではなく、会社の接待と、何と言っても師の猟官運動のためでした。
猟官運動と言うと、少し違和感を覚えますが、実はその頃、師は京都のある本山の貫主(トップ)に就く予定でした。ところが、ちょっとした手違いで、数人の印が必要となり、と言っても只者の数人ではないので、その印を貰うために、相手を接待漬けにせざるを得ず、私もその渦中に居たということなのです。

さて、たかじんがしばしば話している遊び方も、これがまた私と良く似ていました。
さすがに、私には、
『わざと《ぼったくりバー》に入り、ビール2本で《6万円》を請求されると、
《ぼったくりバーにしては、根性が無いな》
と言って、20万円を支払った』
などという豪気な逸話はありませんが、もう一つのテナントビル一棟の全てのスナックを一晩で飲み回ったというのは、私にも経験があります。

もっとも、彼のように一晩で十数軒というのは無理でしたが、二晩で12軒、つまり一晩で6軒というのはありました。しかも、私の場合は全ての店でボトルキープをしましたので、その点だけはたかじんに勝っているかもしれません。何をもって『勝っている』のかはわかりませんが・・・・(笑)

前置きが長くなりましたが、私が彼の曲の中で最も好きな曲は、『ゆめいらんかね』です。
たかじんのファンでない人は、知らないかもしれませんね。
『なめとんか』、『未練』、『ヤッパ好きやねん』、『ICHIZU』、『東京』・・・・彼の代表作は多くありますからね。

優しい女が 一人居た
愛していたし 愛されていた
春になれば アパート借りて
二人で暮らす 約束だった

ゆめひとつ いらんかね
ゆめひとつ いらんかね・・・・

不幸は こっそりやって来て
知らんふりして 通り過ぎる
ある日のデート 姿を見せず
女はそれっきり どこかへ消えた

とりたての涙 いらんかね
とりたての涙 いらんかね・・・・

訳も知らずに 残された
思い出と私 二人きり
ほうけた男が やさしい女を
あれからずっと 探してる

やさしい女 知らんかね
やさしい女 知らんかね・・・・

ゆめひとつ いらんかね
ゆめひとつ いらんかね・・・・
とりたての涙 いらんかね
やさしい女 知らんかね

この曲以外の、いわゆる『濃い』あるいは、『ドロドロ』とした感じの歌詞とは違い、表面上は『さらっ』とした歌詞なのですが、それがたかじんの歌唱力とマッチすると、非常な『哀愁』を醸し出すので、私は好きですね。
もっとも、相当な歌唱力がないと人の心には響かないと思われますので、私は一度も歌ったことがありません。
是非、一度聞いて見て下さい。たかじんの一日も早い復帰を願って止みません。

不思議な人々・その1:霊能力者山口さん-後

私が初めて出会った頃の山口さんは、70歳を越えている老婆だと思っていましたが、どうやらまだ60歳を少し超えたばかりだったようです。

山口さんが、その世界に入ったきっかけは、若い頃大病に罹り、医者から余命数ヶ月と宣告されたことによります。すでに夫を亡くしていた山口さんは、幼い娘2人を残しては死ねないと、その界隈で信仰を集めていた地蔵菩薩に信心したのだそうです。
そのとき、
『命を助けて頂いたら、さらに信仰を深め、人のために尽くします』
との誓いを立てたということです。

その甲斐があってか、一命を取り留めた山口さんは、誓いに従って、無料で人々の相談に乗っているのです。

さて、この老霊能力者との出会いが、私の大学生活を一変させた、と言った理由は、株式相場です。
私が2度目に訪ねたときです。山口さんの家には、テレビはなかったのですが、ラジオがあり、そのときも1度目と同じように、何やら早口で値段を言っていました。
そうです。短波で株式放送をしていたのです。

私の何か?との問いに、妹さんが株式相場だと教えてくれ、簡単な仕組みを説明してくれました。山口さんは、お姉さんのパートの給料以外に、株式相場でも生活費を稼いでいたようです。

話によると、山口さんの夢枕にときどき『神様のお告げ』とやらがあり、それに従って株式を売買しているのだそうです。儲けがどの程度かはわかりません。山口さんの『神様』への信仰、信頼ぶりからすれば、そのときの全財産を投資することも厭わなかったでしょうから、大儲けだってできたはずです。
もっとも、どのような大金を手にしたとしても、山口さんが贅沢な生活をしたとは思いませんが・・・・。

さて、株式に興味を持った私は、さっそく株に関する本を数冊買い求め、学校の勉強などそっちのけで読み漁りました。
詳細な仕組みが分かると、次はシミュレーションをしました。新聞の株式欄で適当に選んだ複数の会社の値段を追って行ったのです。適当といっても、誰もが知っている銘柄を各業種から選びました。

むろん、当時はインターネットなど有りませんし、今日のような株式に関する便利なソフトもありませんから、膨大な手間隙を掛けて分析するしかありません。そのようなことを中学2年生の頃から大学入学まで続けました。

すると、高校3年生の春だったと思います。何となく、株式には一定の法則のようなものがあることに気付きました。
チャートとか罫線とは違います。もったいぶるようですが、私独自の、いや他の株式本には論理があるのかもしれませんが、とにかくおもしろい原理現象を見出したのです。

そして、その理論に従って株式を分析して行くと、薄利ではありますが、低リスク、高確率で儲かることが分かりました。
それからというもの、私は高校にまで短波ラジオを持ち込み、休憩時間になるとそっと教室を離れ、イヤホーンで放送を聞くくらいに熱中していました。
卒業後に催された同窓会では、私が奇妙な行動を取るので、不思議というか気味が悪かったとクラスメートに言われるほどでした。

浪人時代は、ちょうど引き籠もりの状態でもあり、株式研究には打って付けでした。まあ、それが良かったのか悪かったのか、天から与えられた時間のようでもあり、皮肉な期間だったようにも思います。
ともかく、こうしてシミュレーションによって自信を得た私は、実践で腕を試したい欲求に駆られたのですが、当然先立つ資金がありません。
そこで、私は一計を案じ、あるところから資金を調達したのです。

あるところとは、私の両親です。
両親が私のために、何がしかの大学資金を用意しているのは知っていました。そこで、学費を除き、仕送りとして用意していた資金の中から、半分を一括でもらえないかと談判したのです。
交換条件として、その後は一切生活費の無心はしないと約束しました。両親にしてみれば、私の言を信用するなら、仕送り費用が半分で済むということになるわけですから、快く承知しました。
もっとも残り半分も、いざという時のために取っておいたでしょうが・・・・。

大学生になった私は、師の寺院に寄宿させてもらいましたが、師は費用その他の金銭を一切受け取られませんでした。ですから、親からもらった資金は、ほとんど格式投資に充当することができたのです。
両親にしてみれば、そういう事実は想像していなかったでしょうね。何がしかの謝礼をしているものだと、思い込んでいたでしょう。
いずれにしても、そうやって株式資金を手にした私は、さっそく株式の実践を始め、首尾よく儲けたというわけなのです。

『マドンナ・大学篇』で、大学生の私が、数百万円という大金を所持していた理由はそういうことなのです。

不思議な人々・その1:霊能力者山口さん-前

数年前、スピチュアルブームが真っ盛りの頃、霊能力者といわれる人物が、芸能人や一般人の相談を解決するというテレビ番組が流行っていましたが、彼らの霊能力の真偽はともかく、ごく身近に触れて育ってきた私の場合、霊能力者は、
『いる、いない』
というのではなく、
『特別な存在ではない』
という感覚でした。

以前、私の祖父の祖母、つまり私にとっての高祖母と祖母の二人は、霊能力があったと言いましたが、高祖母はともかく、祖母の場合は、私の物心の付く頃から、信心深い人でしたので、私は朝な夕な読経を聞きながら育ったせいか、まず宗教に対して、違和感や猜疑心を抱くことがありませんでした。
小学生の頃、祖母が周囲から相談を受け、『神様』と交信し、アドバイスをしていることを知っても、ごく当たり前のこととして、受け入れていました。

また、私の師は大変な荒行を積んだ『高僧』でしたから、身近にいた私は、師の霊的な力、あるいは神通力を垣間見ることが多々ありました。

むろん、これらを、
『信じる、信じない』
は、皆さんの自由ですし、実は私自身も、彼らが起こす現象が、
『霊的なもの』
なのかどうか、そしてその霊力は、
『特別な人間』
にしか備わっていないものなのか、分からずにいます。ですから、私は自分の目で見たままを書いて行きたいと思います。

今回、取り上げる人物は、私が育った地域では大変に有名な霊能力者で、名を山口・Iさんと言いました。

私が初めて山口さんと出会ったのは、確か中学校2年生の頃だったと思います。確かな記憶が無いのは、その頃はまだ精神の病に罹っていませんでしたので、私自身の相談事ではなかったからでしょう。
多分、7歳年長の長姉の結婚について相談しに行ったのだと思います。私は、日頃から山口さんの話を聞いていたため、興味があり同行したのだと思います。

私の生家から車で10分南下したところに、人口数万人の街があり、さらにそこから30分南下すると、人口十数万人の街があるのですが、山口さんの家は、その二つの街のちょうど中間地点の小さな町にありました。

町と言っても、山口さんの家は、少し辺鄙な場所にあり、四方を畑で囲まれていました。私は、山口さんの家を見た瞬間、子供心に、
『本物だ』
と思ったものでした。
なんと、私の目に映ったのは、バラック家に毛の生えた程度のみすぼらしい家だったのです。山口さんはこの地域を中心に、大変な数の信者?相談者を抱える有名人で、その数は3,000人?とも考えられるほどでした。

3,000人?というのには意味があって、現在3,000人なのか、累積3,000人なのか、はたまた別の意味のある数字なのか、にわかには判明できないのです。理由は後で説明します。

ともかく、四畳半が二間と台所、風呂という小さな家で、トイレは外に別の小屋でした。
なぜ、3,000人?とも考えられる相談者を抱えながら、極貧生活だったのかと言いますと、相談者から一円たりとも金銭を受け取らなかったからです。

事実、祖母が相談したときも、一旦は祈祷料10,000円を神棚に奉納し、神様に報告をされるのですが、帰り際に必ず返されるのです。もし、返却を拒否すると、二度と相談を受けられなくなりますので、渋々ながら受け取らざるを得ないということです。

ただ、その代わりに、漁師は魚や干物、農家は米や野菜、勤め人はお菓子や果物などを持参しましたので、生活に困ることはなかったようです。
また、二人の娘さんがおり、姉の方はパート勤めをされていたようですので、光熱費などの雑費は彼女の給料で賄っていたようです。妹の方は、山口さんの身の回りの世話をしながら、おそらく後継の修行?というか、準備をされていたように思います。

さて、3,000人という数字についてですが、実は私が大学生のとき、つまり師の下で生活するようになってから、山口さん許を訪れ、相談しようとしたことがありました。
ところが、
『久遠ちゃんは、もうお上人の庇護の下にあるので、私の神様から手が離れているのよ』
と、断られてしまいました。
山口さんの話によると、彼女が信心する神様の能力は、3,000人が限度で、すでに満員だというのです。そこで、私が師に師事したのを契機に、私を手離し、新しい相談者を入れたということでした。

そうだとすると、山口さんは現在進行形で、3,000人の相談者がいるということになり、また相談者が亡くなったり、しばらく(何年かはわかりません)音沙汰がなかったりしても手離すそうですから、累計ともなれば、軽く万人を超えているでしょう。

ただ、その神様は山口さん一人が信心しているのか、他者もいるのかが不明なので、曖昧な言い方になってしまったのです。
おそらくは、私の守護霊様である、『正一位月光地主大明神』様と同様、山口さんの個人的な守護霊様か何かだと思われますので、相談者の数を見ても、大変な霊能力者だということが分かると思います。

さて、この山口さんとの出会いは、ある意味で私の人生を変えてしまうことになりました。というのは大袈裟ですが、私の大学生活が一変したのは事実です。

マスメディア批判・その4:亡国の徒

注目されていた消費税増税法案に反対票を投じた民主党議員は、鍵となる54名を超える57名でした。
その中心にいる小沢元代表は、民主党を離党して新党を立ち上げるかどうか、逡巡しているようですが、この状況を鑑みるに、
『老いたり、小沢一郎』
の感が否めません。10年前の彼であれば、採決の日に迅速な行動に出ていたことでしょう。彼の政治生命は風前の灯となったことを暗示しています。

さて、採決までの数日間、私は数多くの報道番組やバラエティ番組で小沢元代表を扱ったニュースを見ましたが、その感想は、
『おぞましい』
の一言です。
放送される番組、出演してコメントする評論家、新聞社の編集委員、テレビ局の論説委員の誰も彼もが、小沢元代表の過去の政治行動を論い、あれやこれやと批判していました。

彼らの主張をまとめると、

1. 小沢元代表は政党を創れば壊し、創れば壊した、単なる壊し屋。
2. 小沢元代表の周りは新人ばかりで、深く付き合えば誰もが離れて行く。 
3. 小沢元代表は消費税増税なしに、どうやって財政再建をするのか、具体的に提示していない。
4. 小沢元代表に従って反対票を投ずるのは、せいぜい30名から40名で、54名に届くはずがない。
5. これで、小沢代表の政治的影響力は大きく低下する。
6. たとえ反対の立場であっても、党の結論に従うのが民主主義。

といったもので、まるで事前に申し合わせていたかのように、異口同音の発言が相次ぎました。

彼らは、
『よほど、小沢元代表が憎いのだろうだろう』
『よほど、小沢元代表の政治生命を絶ちたいのだろう』
というのが、私の率直な感想で、寒気がするような嫌悪感を抱いたのです。

その理由を述べる前に、まず断って置きますが、以前にも書きましたように、個人的には小沢元代表は嫌いです。彼の政治手法が私の哲学に反し、彼の推し進めようとする政策が私の求める理想国家像と異なるからです。

しかし、個人的な感情と評価は別物、まして法的な処置については、厳正でなければなりません。それが、先の政治資金規正法違反とする、検察の捜査は明らかに異常な行為で、これは官僚組織の小沢元代表に対する宣戦布告とみるのが妥当でしょう。

なぜなら、官僚たちは、小沢元代表こそ、
『不倶戴天の敵』
だと捉えているからです。

民主党は、政権交代したあかつきには徹底的な行政改革を行い、官僚主導から政治主導に戻すと訴えて選挙に大勝しました。
その中心にいたのが小沢元代表です。ですから、小沢元代表に嫌疑を掛けて民主党人気を低下させ、政権交代を阻もうとしたのです。その限りにおいては、小沢元代表が主張していた『検察陰謀論』は的を射ていたと思います。

しかし、私に言わせれば、
『説明責任を果たさないお前が言うな』
ということになり、国民の大多数が同様に思ったことでしょう。事実は、検察=官僚側の陰謀だと思うのですが、それを主張しても聞き入れてもらえないのは、小沢元代表の自業自得とも言えるでしょう。

それでも、民主党が政権を獲ってしまい、このままでは自分たちの既得権益を侵されると焦った財務省を中心とする官僚側は、次善の策として、何としても小沢元代表の力を削ぎ、彼が権勢を振るえないようにしたいと考えました。
そこで検察と図り(検察も官僚です)本来は修正申告で済む話を大袈裟にし、またありもしない水谷建設や西松建設からの賄賂をでっち上げ(証拠不十分という意味)、あまつさえ検察官が調書を偽造するという暴挙にまで及びました。

もっとも、調書偽造は検事の個人的な犯罪で、財務省が関知していたとは思いませんが、ともかくこの機に乗じて、小沢元代表の政治生命を絶とうとまで画策しました。
結局は、法の正義が通り、不起訴となりましたが、この間散々マスコミを通じて、小沢元代表を叩いた効果から、検察審査会による裁判に持ち込まれました。
これで、事実上官僚側の勝利が確定しました。

本来、小沢元代表が権勢を振るうはずだった、鳩山首相時には、被疑者の身で動けず、売国奴・菅との代表争いには直接敗れ、嘘吐き・野田の時には、代理戦争で敗れ、結局民主党政権になってからは一度も力を振るうことなく、民主党を追われようとしているのです。
これこそが、財務省=官僚が描いた小沢封じだったのです。
小沢元代表の封じ込めに成功した官僚は、何一つ血を流すことなく、財務省の悲願だった消費税の増税に成功したという経緯です。

 
さて、こういった経緯を理解した上で、上記したくず共の主張に反論すると、

1.たしかに壊し屋の異名を付けられても仕方が無い面もありますが、戦後というスパン  
  で俯瞰すれば、いわゆる自民党一党独裁政権が約40年間も続いた訳ですから、政権交代可能な二大政党体制が確立するのにも、同じ程度の時間が必要ではないでしょうか。
  そう考えれば、今は過渡期であり、合従と分裂を繰り返しながら、あるべき姿に形付けられて行くのではないでしょうか。また、小沢元代表がその中心にいるのは、好意的に取れば、彼が信念を曲げず、妥協しないからではないでしょうか。

2.そう意味からすれば、小沢元代表から人が離れて行くことを、彼が悪者のように言っていますが、むしろ離れて行った者たちが変節していったとも考えられるのです。それを、一方的に小沢元代表ばかり批判するのは公平ではないでしょう。
  今回の件にしても、民主党は、
『消費税率は上げない』
と言って政権を獲ったのです。それを、嘘吐き・野田が首相になった途端、掌を返したように消費税率を上げると言い出したのです。
小沢と野田、いったいどちらの言い分が、筋が通っているのでしょうか?
それを、初心を貫徹し、最後まで反対を押し通して離党したら、小沢は壊し屋だと非難される。全く、常軌を逸しているとしか思えません。

まず、まともなのは、政治評論家では森田実氏、ジャーナリストでは田原総一郎氏、評論家・宮崎哲弥氏ぐらいで、後は有象無象の輩でした。

3.中には、小沢元代表の主張は正論と言いながら、財政再建の具体案がないと批判する者や、同じく正論と認めながら、対論である野田首相の批判はしないという不可思議な態度の者もいました。
  彼は、具体案は示しています。とにかく、公務員改革など徹底的な行政改革を行えば、
16兆円という埋蔵金が出るというものです。
こう言うと、反小沢元代表の連中は、
『結局、埋蔵金は無かったではないか』
という鬼の首を取ったように言いますが、実はそうではありません。
鳩山や菅、野田では、財務省を始めとする官僚組織の抵抗に対応することが出来なかった。つまり、
『改革を行ったが埋蔵金は無かった』
というのではなく、
『改革に手を付けることもなく、官僚に屈してしまった』
というのが真実なのです。
この真実に目を背け、埋蔵金は無かったと声高に言う連中は、つまるところ、財務省と結託して、とにかく小沢元代表を貶し、消費税増税法案を成立させたいという目的を共有しているしか思えません。

4.小沢元代表の力の衰えを力説したいだけの輩です。しかも、彼らは誰一人として、自分  
  の予想が外れたことを詫び、釈明した者がいません。その後も、何食わぬ顔で番組に出演し、
『ああだ、こうだ』
と、偉そうに論じています。厚顔無恥とはこのことです。

5.これに関しては、私も同意します。私は嫌いですが、稀代の政治家であったことは確かでしょう。ちょっと、誉め過ぎですが、少なくとも、ボンクラ・鳩山、売国奴・菅、嘘吐き・野田よりは、数段上の力量の持ち主でしたが、それを国民のために使うことなく、(もっとも、国民に尽くす気があったかどうかは不明ですが・・・・)財務省=官僚の手によって葬り去られたと言っても良いでしょう。

6.これは一見正論のようですが、はたしてそうでしょうか。確かに政権公約を具体化する過程で意見が対立したのなら、そう言えますが、政権公約を破棄し、全く逆の政策を推し進めようとしている執行部に対して、反旗を翻すのはむしろ当然のことで、それはつまり、党より国民との約束を重視している訳ですから、反対票を投じた議員こそ、民主主義を貫いていると言えます。

私は、
『小沢元代表を批判するな』
とは言いません。批判して結構ですし、批判されるべきでしょう。しかし、小沢元代表を批判するならば、野田首相は彼の二倍、三倍、いや十倍批判されてしかるべきです。

ちょっと、語弊あるかもれませんが、
仮に、例の陸山会の四億円、小沢元代表が賄賂で取得したものとしましょう。そして、上手く司直の手を逃れて無罪放免になったとします。
私は、それでも野田首相の方が遥かに罪深いと思います。
確かに、小沢元代表は刑事罰が相当で、野田首相には刑事的な罪はありません。しかし私は、平然と公約を破り、それはつまり国民との約束を破棄し、そればかりか正反対の政策を推し進めるのは、民主主義を冒涜するものであり、万死に値する罪深き所業と考えます。

もし、これを是とするなら、選挙のとき国民はいったい何を頼りにして、一票を入れたらよいのでしょうか。しかも、国民に信を問うことなく、任期満了まで政権を運営したら、日本国を滅亡に追い込むことだって有り得るでしょう。

極論ですが、どこかの国と戦争するかどうかが焦点になった選挙で、国民が、
『戦争はしない』
という選択をしたにも拘らず、政権を獲った途端、
『戦争開始』
となったら、貴方は許せますか?

もちろん、戦争と消費税を同列に扱うことはできません。しかし、消費税でこのような事態になるということは、その延長線上に確かに存在する『戦争』という命題に突き当たる可能性はあるのです。
消費税と戦争という命題の間にどれくらいの距離があり、どれほどの高い壁があるかはわかりませんが、すくなくとも消費税という命題のときに、民主主義の原点を死守することは肝要だと思います。

そういう意味では、野田首相を始め、民主党執行部、消費税増税に賛成の民主党議員、マスメディア、小沢元代表のみを非難する評論家諸氏は、すべからく『亡国の徒』だと言わざるを得ません。

橋下徹・大阪市長と原子力政策

国政が一気に混沌としてきました。

私はまだ懐疑的なのですが、予想に反して、どうやら小沢元代表が民主党を離党し、新党を立ち上げそうな情勢です。

鍵は、造反組が54名を超えるかどうかですが、この話題については26日の採決の後、詳細に意見を述べたいと思います。

 

さて、橋下市長に関してですが、私は彼を評価しています。

政治手法については多少否定的な面もありますが、政治理念、政策実行のスピード感は共に申し分ありません。

ある番組の調査によると、市長就任半年間の彼の評価は、約80%が支持するというものでしたが、おそらく他の調査でも同じような数字になるでしょう。野田首相の支持率が23%だということを考えれば、もの凄い支持率だということが分かります。

何せ、地域政党にも拘らず、大阪維新の会が支持率24%?でトップというのも、いかに既成政党に不満があるかの裏返しです。

 

しかし、私が橋下市長を支持する理由は他にあります。

以前にも書きましたように、私が公人を評価する基準は、あくまでも、

『国士』

つまり、

『国や社会のために命を投げ出す覚悟があるかどうか』

ですので、その基準で言えば、

『良』ということになるのです。

 

ただ、今のところ彼が本物の『国士』であるかどうかまでは見極められていません。ですが、彼が政治の世界へ転身した経緯が経緯だけに、私はそれだけでも評価するに足ると思っているのです。

周知のとおり、橋下市長は大阪府知事の前は弁護士、それもタレント弁護士として人気を博していました。数多くの番組に出演し、年収は2億円とも3億円とも言われていました。あくまでも推測に過ぎませんが、どのように少なく見積もっても、億は下らなかったのは間違いないでしょう。

それが、知事あるいは市長の年収は2千万円前後で、3千万円を大きく下回ります。タレント弁護士時代の、1/5~1/10ということになり、軽く1億円以上の収入減となるのです。当時の彼は、人気絶頂ということもあり、最低でもその後の2,3年は同じような収入が見込まれたはずです。

それを、数億円という金を打ち棄て、何を好んでか、政界へと転身したわけで、この一点をもってしても、少なくとも彼が金銭的な私利私欲で政治家になったのではない、ということは明白でしょう。

方や、国政に目を転じてみて下さい。

以前からそうでしたが、特に昨今の国政の体たらくは、国会議員の誰も彼もが私利私欲と保身に奔っているが原因であり、国家国民のことを考えている政治家など、極々少数になりました。国民の生活が第一、を強調している小沢元代表とそのグループしかりです。

まさに、橋下市長とは雲泥の差です。

 

話は変わりますが、以前原子力政策について、今後最新の原子力発電所を二、三基建設すべきだと言いましたが、その真意を、昨晩の報道ステーションのコメンテーターだった『寺島実郎』が代弁していました。

この寺島実郎とは、これまでほとんど意見の一致を見なかったのですが、珍しくも彼が私と同様の主張をしていたのには驚きました。

彼の、そして私の主張は、簡単に言いますと、原子力技術というのは、もっとも高度な科学技術の一つであり、もし原子力発電所の全廃となると、技術者の海外流出は避けられず、引いては日本の原子力技術の基盤低下に繋がるというものです。

そうなると、今後の世界におけるエネルギー政策に関しての発言力を失うことになりますし、また世界に原発の輸出を目論んでいることとの整合性が取れなくなります。

安全のために、自国では原発を廃止しておきながら、他国へは輸出するのか、という謗りを免れなくなるのです。

さらに、安全のため日本が原発を廃止したとしても、他国がそれに倣う訳ではありません。特に、隣国である中国や韓国が原子力を棄てるはずがありません。

中国は、そうでなくても急速な経済発展を支えるエネルギーの一つとして、原子力は魅力な技術ですし、軍事的にも必須の技術ですから、原発を止めることはありません。

韓国は、とにかく日本に対抗するのが国是のような国ですから、日本が原発から撤退となると、喜々として日本に取って替わろうとするでしょう。

ところが、日本に比べれば二国とも原子力技術は未熟です。現に、韓国はUAE?だったか、トルコ?だったか忘れましたが、国策として原子力発電所開発を落札しておきながら、技術的な部分は全て東芝に丸投げといったレベル技術でしかありません。

このように、日本に比べて未熟な技術で原発を建設し、もし事故でも起きようものなら、日本も害を被ることになるのですから、本末転倒ということになります、。そうであれば、中国や韓国に対して、日本の原発を輸出したり、技術指導したりする方が、安全性からいって、より現実的だと思うのです。

一国平和主義が成り立たないのと同様、一国脱原発もなり立たないのが現状なのです。

政治家や評論家、マスコミはいい加減、ナイーブな議論から脱却すべきと考えます。

そして、さらに私が懸念するのは、この核開発技術力の低下による影響は、原子力産業界に留まらず、日本の外交・防衛にも及ぶということです。

核開発技術と防衛との関係と言うと、すぐに核兵器を結び付けるでしょうが、むろんそれも否定はしませんが、日本の核兵器の開発は非常にハードルが高いので、直接的な影響はあってないようなものです。

それよりも、端的に影響があるのは、原子力潜水艦です。日本は、目下のところ原子力潜水艦は一艦もありません。理由は、通常の潜水艦に比べ、コストが非常に高いからです。ご存知のとおり、日本は武器輸出を禁じているため、商業ベースに乗らず、原子力潜水艦に限らず、戦闘機などの武器全般が、自国生産は高コストになるのです。

戦闘機の場合は、まだその差額が少ないため、一部自国生産をしていますが、原子力潜水艦は歯牙にも掛かっていないのが実情なのです。

しかし、外交カード上も、また産業上もいずれ武器輸出は解禁となるでしょうから、また解禁するべきでしょうから、そのとき原子力潜水艦が自前で建造できるだけの技術力を有していなかければならないのです。

また、この原子力潜水艦は日本の防衛にも大きく寄与します。

中国が空母を建造しているのは知っていると思います。もっとも、ロシアの中古を購入して修理したものですから、純然たる中国製ということにはなりませんが、いずれにせよ中国が本格的に海洋制覇に向け本腰を入れていることは間違いありません。

ちなみに、空母を建造しても、それだけで軍事的なプレゼンスが増すという訳ではありません。戦闘機の着艦には、米軍でさえ事故が絶えないという高度な技術が必要であり、その習得には数年を要するからです。

ともかく、その中国の空母を押さえ込むためにもっとも効果的なのが、原子力潜水艦を尖閣諸島辺りの海洋に潜らせておくことです。

原子力潜水艦は、燃料補給や酸素の補給のために浮上する必要がなく、乗務員の心理的影響などの懸念を除けば、長期間の潜行が可能です。

騒音の問題は残りますが、日本の最先端の技術をもってすれば、それも解決が可能で、そうなると、艦船などによる追尾が困難になり、空母を釘付けにする、つまり無力化することができるのです。

このような理由で、常に世界最高水準の原子力技術を有していることは多いに国益に適うことなのです。

あえて強調します。今の日本の原子力技術は世界最高レベルにあります。ですから、万全の対策を講じれば、少なくとも福島原発の事故のような惨事は起きないということです。

あの不幸な福島原発の事故は、あくまでも技術的な問題ではなく、ひとえに経済産業省、原子力保安員、原子力委員会、東京電力といった、いわゆる原子力村の連中の、怠慢と欺瞞と自己保身と私利私欲に塗れた体質が原因です。

ですから、原子力発電を継続するにしても、今の体制が一新されなければ、同じような事故と惨劇が起こるでしょう。

最後に、私は現在の原子力発電所は時間を掛けて、全て廃炉にすべきと考えています。

そのうえで、新しい政治体制、新しい原発組織の下、入念な活断層の調査をしたうえで、最新の技術を結集した原子力発電所を建設すべきだと思っています。

その際、さらに安全性を高めるために、発電所をドームで囲うべきと考えます。福岡のヤフードームのような開閉式のドームにすれば、開いているときでも、すでに30mぐらいの津波に対応することができ、地震と同時に閉めてしまえば、それ以上の津波にも対応できます。

また、最悪の事態を想定して二重のドーム式にすれば、仮にチェルノブイリのような爆発による炉心溶融が起きても、ドームなので放射能が外に洩れることがありません。

ただ、このドーム型原発は、現在の原発に比べ、一基あたり一千億円以上のコスト高になりますから、一電力会社で保有することは無理ですので、国の所有とすべきでしょうね。

さらに、産業用のロボットの高度化も進め、事故が起きた場合の一次作業は、ロボットで完結出来る目途を付けておく必要もあるでしょう。

 

ロボット技術に関しては、ほんの十年前には、

1に日本、

2に日本、

3,4がなくて、

5にアメリカ

というぐらい日本のロボット技術は先行していました。

ところが、あの福島原発事故の際、フランスのロボットに頼るという醜態をさらけ出してしまいました。

これも、ひとえに経済産業省の怠慢のなせる業です。日本はロボット技術の軍事転用を規制していますから、民生用技術しかなく、肝心のときに役に立たないのです。それでも、今でもロボット技術は世界のトップレベルですから、本気なればロボットの事故処理も可能だと思います。

ついでに言えば、太陽光発電設置量も、ほんの数年前までは、日本は世界首位でしたが、ドイツに抜かれ、スペインにも抜かれ?ました。これも、経済産業省の無策の現れです。

何度も言いますが、バブル崩壊後の20年、日本が不景気から脱しきれないのも、政治家はもちろんのことですが、同様に官僚の責任も大きいのです。

 

一期一会

茶会の心得から、一生に一度限りであることを表す言葉ですが、私とある人物ともこの一期一会の出会いでした。

私が、東京へ出向くことが多かった頃でした。ホテルは永田町近くの『キャピトルホテル・東急』でした。食事は、主にホテル内の寿司屋を利用していたのですが、さすがに場所柄ですね、大臣クラスの議員を何度も見かけました。

ある夜のことでした。いつもは連れがあるのですが、その日は私一人で寿司屋のカウンターに座っていました。珍しいこともあるもので、私以外の客は外国人ばかりでした。

そこへ、見るからに『金持ち』風の中年男性やって来て、左右を見渡すと、一席空けて私の横に座りました。

ちなみに、この頃までの私は、寿司屋でも滅多に寿司を食しませんでした。最後に、巻き物を少々食すだけでした。おかしな話だと思われるでしょうが、漁師の子供として育った私は、毎日三食、新鮮な魚を食していましたので、生簀以外の、すでに捌かれた切り身を食する気にならなかったのです。むろん、新鮮なことは分かっているのですが、生きた魚を目の前で捌かない限り、口に入れる気になりませんでした。

今は、そのような贅沢なことは言ってはおれませんので、もうなんでも食します。

私が鮑やサザエの造りのみを食していることに、興味を持ったのでしょうか、その中年紳士はチラチラと私に視線を送っているようでした。

そして、何度目かのときに、私が横を向いて目と目を合わせると、男性は満を持したかのように、

『あのう、タバコを吸っても良いのでしょうかね?』

と、問い掛けてきました。

私は、カウンターに置いてある灰皿に視線を送り、

『大丈夫でしょう』

と、答えました。

すると、中年紳士は、

『それは分かっているのですが・・・・』

と言って、外国人客らに視線を送ったのです。喫煙に関しては、外国人の方がより敬遠する傾向がありますので、男性はそのことに気を使ったのです。

 

そこで私は、機転を利かし、

『では、私にも1本下さいませんか?』

とタバコを所望して、二人に一緒に吸うことにしたのです。

普段は一切タバコを吸わない私ですが、飲酒したときは稀に吸うことがあります。もっとも、煙を肺まで吸い込むことは無く、口に含むだけですので、手持ち無沙汰を紛らわす小道具といったところでしょうか。

さて、それをきっかけにして話が弾み、男性は身の上話までするようになりました。余談ですが、何の取り得もない私なのに、どうも年長者には好かれる傾向があるようです。性格的に、媚を売ることは無く、それどころか、気後れもせずにズケズケと物を言うことが、却って気に入られたようです。

 

この中年男性にも気に入られたようで、しきりに、

『この後、銀座に飲みに行こう』

と誘われました。

私には、その後の予定が無かったのですが、身の上話から、中年紳士はこの夜、愛人と密会する予定だということを知っていましたので、私は何度も遠慮しました。

 

この中年紳士は、『大手設計事務所』の社長で、一週間に一度、このホテルで愛人と夜を共にしていたのです。まるで、『渡辺淳一』の小説の設定そのものでした。

ともかく、私は気を利かして何度も断ったのですが、あまりにしつこく誘うので、これ以上断ると却って失礼に当たると思い直し、とうとう彼の行き付けのクラブへ同行することにしました。

 

お店では、取り立ててどうこういうことはありませんでしたが、ママの話から、彼は日本でもかなり有名な大手設計事務所の二代目で、相当な資産家だということが分かりました。ですから、中年男性は二十三時頃帰宅しましたが、私は遠慮をすることなく閉店まで飲んでいました。むろん、中年男性との交誼はその夜一度切りでした。

ただ、これだけのことでしたが、私の人生を振り返ったとき、同種のことが多々ありました。私にとっては、まさに一期一会で出逢った人々との縁を大事にしているだけなのですが、周囲の人たちにすれば、たまたま飲食店などで同席になった見知らぬ人と、一言二言言葉を交わすことはあっても、それから銀座のクラブに誘われることなど考えられない、ということだそうです。

 

そうですね、仮に私が騙されていたとしても・・・・・たとえば、男性が料金の支払いを済ませずに帰宅してしまった場合などですが、私は常にそういうケースも想定していて、自腹を切る腹積もり、いやもっと言えば、相手が逃げない場合でも、私が支払う覚悟でいます。だからこそ、思い切った行動を取ったのかもしれません。

 

 

酒と涙と男と女


若くして亡くなった河島英五の代表曲です。


良い曲ですね。今はあまり歌わなくなりましたが、私にはとても思い入れのある曲で、以前は飲み屋へ行くと必ず歌っていました。


私は今でこそ、カラオケ大好きで、歌唱力もまあまあだと、勝手に自負していますが、実は社会人になりたての頃は、人前で歌を歌うことが、苦手と言うか苦痛以外の何者でもありませんでした。


音痴だったのです。今の私を知る人からすれば、とても信じられないことでしょう。

 


それが、どうにか人前で歌うことに馴れ、歌唱力もそれなりになるきっかけとなったのが、大阪・北新地のラウンジ『辰巳』のママとの出会いでした。

 


私が初めて辰巳を訪れたのは、入社早々、新人歓迎会の二次会だったと思います。上司に連れられてのことでした。私の他にも同伴者がいて、総勢5名だったと思います。


北新地と言っても、『辰巳』は小さなラウンジで、カウンターが5席と、ボックス席が3つだったと記憶しています。ママとホステス2人という小さなお店でした。

 


当然のごとく、カラオケが始まり、上司を含め他の者は次々と持ち歌?を披露したのですが、それまでカラオケに行ったことも、人前で歌を歌ったこともない私は、歌える歌が無く選曲に躊躇っていました。

 


しかし、皆が2曲目、3曲目と歌って行くうち、しだいに私への催促が強まって行きました。こうなると、どうしても歌わなければならない雰囲気となり、とうとう覚悟を決めた私は、この『酒と涙と男と女』を歌ったのです。


この歌は、ラジオなどで耳にしていて、好きな歌だったのですが、音痴でしたので、上手く歌えるはずがありません。

 


ママが私に話し掛けてきたのは、御開きになったときでした。私たちを見送るため、一緒に店の外へ出たママが、こう私に耳打ちしたのです。


『明日、19時に一人でお店にいらっしゃい』

 


私にはどういう意味か分かりませんでしたが、ママがもう一度、


『必ずいらっしゃいよ』


と、念を押したので、翌日言われた時刻にお店に出向いたのです。

 


お店のドアを開けると、ママはすでに掃除を終え、開店の準備は終わっていました。


そして、カラオケをセットすると、ママは、


『さあ、開店まで練習しなさい』


と言って、『酒と涙と男と女』を何度も何度も掛けてくれ、歌唱指導までしてくれたのです。

 


そういうことが、断続的に十回ぐらいあったと思います。


お陰さまで、どうにか『酒と涙と男と女』がそれなりに歌えるようになり、そうなると現金なもので、次の曲、次の曲というように、新たな曲に色気が出ました。曲をマスターすることに満足感も覚えるようになりました。


その後、私が急にマイクを持つことに積極的になり、且つ歌が上手くなったことに、同僚たちは目を丸くしていたのを思い出します。

 


それから、一年半後だったと思います。突然、辰巳のホステスから、ママが病気で入院したとの連絡がありました。


当然、見舞おうと入院先を訪ねましたが、ママの希望で教えられないとのことでした。


そして、さらに半年後、今度はママの訃報が届きました。彼女は癌だったのです。


あ、遅くなりましたが、ママは七十歳ぐらいのお婆さんでした。

 


ともかく、上司は常連だったようですが、初対面の私に開店までの一時間、無料でカラオケを開放してくれ、そのうえ喉が渇いただろうと、ビールも1本サービスしてくれたママは、いったいどのような了見だったのか。亡くなってしまった以上、知る術もありません。私は、ママの真意を聞くことも出来ないままになってしまいました。

 


しかも、気を使った私が、


『このまま残って客になる』


と申し出ても、ママは笑って拒否しました。安月給だと知っていたからでしょう。


稀に、そのまま店に残ることを了承しても、料金は頑として受け取りませんでした。

 


むろん、ママが入院するまでには、何度か店にも行きましたが、そのときも正規の料金は取っていなかったと思います。


私は、出世払いを心に決めていましたし、事実それから五年後の一時期、北新地の店を河岸とするようになりましたが、時すでに遅し、受けた恩を返すことは適いませんでした。

 


今では、北新地に足を踏み入れることも無くなりましたが、足繁く北新地に通っていた頃、辰巳があったビルの前に立つと、当時を思い出し、心の中で頭を垂れていました。

 

 


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