天才とキチ○イは紙一重

俗に、良くそう言われていますが、私の高校一年生のときの担任が、まさにそのような人でした。もっとも、『キチ○イ』というのは言い過ぎで、極端な『変わり者』と言ったところでしょうか。

 

藤原先生と言って、代々地元でも有名な由緒正しき古社の神官でもありました。専攻は漢文学で、その分野では日本でも五指に数えられるほどの高名な学者で、長らくNHKの『市民大学講座?』のような番組で漢文を担当されていました。

神官職を継ぐ必要がなければ、大学で教鞭をとっておられたことでしょう。

 

私が通った高校は、県下一の名門進学校ですが、特に国語はこの藤原先生がおられたこともあってか、古文、現代国語にも優秀な先生方が揃い、当時全国屈指の教諭陣と称賛されていました。その証拠?ではありませんが、あの毎年東大進学率・全国一位を誇る灘高校から試験問題の作成を依頼されているほどでした。

 

以前、三年生の二学期からは、ひたすら学校側が作成した予想問題集を解く授業を受けていたと言いましたが、特に古文と漢文は完璧で、私が進学した大学の受験問題は、問題文から設問まで、100%当たっていました。

 

さて、一年生のときの担任だったと言いましたが、実は私が学級委員長をしており、この藤原先生には苦労させられたものでした。

後でわかったことですが、担任の職務は不適格とされ、藤原先生は長らく担任の職についておられなかったということでした。

 

それが、よりによって私が学級委員長を務める年に限って、久々に復職されたのです。

なにが苦労だったかと言いますと、とにかく全く担任の仕事をされないのです。

朝礼、終礼、ホームルーム・・・・と、全て私に任されました。

まず、朝礼の前に私が職員室へ出向き(先生は個室でした)、連絡事項を伺って、クラスの皆に伝えるのです、終礼、ホームルームしかりです。

 

本人は何をされているのかと言うと、それが何時出向いても、飲酒でした。授業以外は飲酒されていたのだと思います。机の中には、ボトルが入っていて、常時アルコールの臭いが漂っていました。

おそらく、アルコール依存症だったのではないかと思います。

それでも、学校側が解雇しなかったのですから、藤原先生の学校に対する貢献は多大なものがあったのだと推察されます。

むろん、40年近くも昔のことであり、現在であれば、即時軽くて休職か停職、重くて免職になるでしょう。

 

しかし、苦労をさせられたのにも拘らず、私が先生を恨む?ことがなかったのは、先生の授業のもの凄さでした。酔っぱらっているとはいえ、一旦授業となれば、これはもう別格で、特に漢詩などは、中国語と日本語で朗々と読まれていました。目を瞑って声だけを聞いていると、いつの間にか、すっかりその時代、その風景に迷い込んだかのような錯覚を覚えるほどで、私が言うのもなんですが、先生の授業は非常に、

『値打ち』

がありました。

 

加えて、昼休みには先生の個室で、酒のつまみをいただきながら雑談をするなど、一人だけ親しくさせていただきました。(飲酒はしていません)

16歳の若さで、藤原先生のようなその分野の一流人と、親密な関係性を学習したことが、後々の師との接し方に参考になったと思っています。

 

超大物極道とオーデマ・ピゲ

『超大物極道とオーデマ・ピゲ』

 

私は師の形見分けとして、世界三大高級時計メーカーの一つに数えられている、オーデマ・ピゲの時計を頂戴しました。正確には、お亡くなりになる数年前に頂戴していますので、結果的に形見分けとなったのです。

 

師が、このオーデマ・ピゲの時計を購入された経緯が経緯ですので、今回はその話をしたいと思います。

 

それは、私が師と出会う10年も前のことです。

師は30歳過ぎに、総本山での荒行を終え、下山されて大阪の堺市近辺に自坊を持たれました。

それから数年後のことです。

ある日、初老の女性が師の寺院を訪ねて来ました。

用件は、

『刑務所に服役中の夫に面会し、魂を救って欲しい』

というものでした。

服役中の夫と言うのは、広域暴力団傘下の元組長でした。抗争に明け暮れ、その生涯の半分以上を刑務所で過ごした男でしたが、癌に犯され、余命半年と宣告されていたのでした。

 

常々、畳の上では死ねないと覚悟していた男でしたが、現実に余命を宣告されると、さすがの筋金入りの武闘派として名を馳せた彼も、急に気弱になったそうです。面会のときに、初めて憔悴し切った夫を見て、女性は何とか仮出所して自宅に戻れないかと、方々に当たって見ましたが、むろん無理な望みでした。

 

落胆していた女性の耳に、師の噂が入ったのは、それからしばらくの事でした。女性は、仮出所が無理であれば、せめて師の言葉で、心の安寧を図って欲しいとの願いを秘めて、師を訪ねたのです。

 

師は、一も二もなく快諾されました。そして、女性の希望通り、男と面会をされたのですが、それから2ヵ月後、女性に思わぬ吉報がもたらされます。

何と、夫の仮出所が認めるという連絡が届いたのです。

言わずもがな、師の尽力によるものでした。男と女性の感謝はこの上ないものだったでしょう。しかも、半年後、男は自宅で息を引き取ったのですが、読経も師が務められたということでした。

 

さて、さらにそれから1年後、今度は師に、思わぬ人物から電話がありました。一般市民ですらその名を知っている、広域暴力団の大親分です。

実は、師が面倒を看た男はその大親分の舎弟だったことがあったのです。

師の恩情に甚く感激した大親分は、お礼として師に1,000円を差し出しましたが、

師は、

『此度のことは、仏縁によるもの』

と、金を受け取ろうとはなさいませんでした。

しかし、大親分も極道の中の極道ですから、

『男が一度出したものは仕舞えん』

と、引き下がりません。

それからしばらく、

『受け取れ』、『受け取れない』

という押し問答が続き、とうとう師は半分の500万円を受け取ることにされたのです。

以来、二人はたまに酒を飲み交わす中になったということでした。

 

さて、受け取った500万円ですが、名前は書いてないとはいうものの、筋の良い金ではありませんから、師は宗務の経費や生活費には使えないと考えられ、半分を京都祇園のクラブや先斗町の御茶屋などで散在し、残りの半分で時計を買い求められたのです。それが、私が頂いたオーデマ・ピゲの時計というわけです。

 

最後に、師がどのようにして男の仮出所を認めさせたのか?

師は最後まで教えて下さいませんでしたので、その後に私が知った師の人脈の中から想像するしかありませんが、おそらく『川島廣守氏』のお力を頼られたのではないかと思われます。

川島氏は、後年プロ野球セリーグの会長や同コミッショナーを歴任されましたが、師とも昵懇の仲だったらしく、セリーグの会長の要請があったとき、受けるかどうか師に相談されたほどでした。結果、師の助言に従い、川島氏は要請を受諾されました。

 

その川島氏ですが、元は警察庁の公安部長や警備局長、内閣官房副長官の要職を務められました。中曽根内閣の内閣官房長官で、『カミソリ後藤田』の異名を取った、後藤田正晴氏の後輩でもありました。

 

東大安田講堂事件や、連合赤軍によるあさま間山荘事件などでは、戦国武将・佐々成政の末裔で、現場指揮を執った佐々淳行氏が、テレビ出演もあり有名ですが、実はこの川島氏こそ、それまで聖域だった大学構内に、機動隊の突入を決断した人物でした。

 

それはともかく、警察庁最高幹部と超大物極道。

社会的に敵対する二人と、同時期に交誼を結ばれていた師は、誠に不思議なお方で、私は退屈するということがありませんでした。

 

 

ソフトバンク・孫正義

『ソフトバンク・孫正義』

 

私は、この人物を全く信用していません。

好き嫌い以前に、彼の人間性を疑っています。

 

もちろん、今日彼が実業家として成功を収めていることは、一定の評価をしなければなりません。しかし、彼の経営手法が、私の価値観と相容れないこともさることながら、あるテレビ番組で、彼の立場から鑑みてあるまじき発言をしたことが、私に不信感を抱かせました。

 

時間的な齟齬が有った場合は陳謝します。

 

たしか、2000年の1月の末頃だったと記憶しています。

テレビ朝日の報道ステーションの前身である『ニュースステーション』に彼は出演しました。

 

前年の12月だったか、『ヤフー』の日本法人が、日本市場で史上初の1株1億円の値を付け話題となっていました。時は、ITバブルの真っ只中で、関連企業の上場ラッシュが続いていました。

当然、番組内でヤフー株の話題にもなったのですが、そのとき彼は耳を疑う発言をしたのです。

 

『ヤフー株はまだまだ上がります。私なら、預金を下ろしてでも、金を掻き集めてでもヤフー株を買います』

 

『え?』

と思いました。これって、証券取引法かなんかに抵触しないのだろうか・・・・。

ご存知の通り、ヤフーの親会社は彼が社長を務めるソフトバンクです。ヤフーの内情を良く知る立場にある彼が、株が上がるから買えと言っているのです。

 

これって、もし彼もしくは彼の家族、関係者が保有しているヤフー株を高値で売り抜けようとしての発言ならば、立派なインサイダーになるのではないかと思います。(彼自身、もしくは家族、関係者がヤフー株を保有していたかどうかは知りませんし、そのような悪意があったとは思いませんが・・・・)

 

たとえ、法律には抵触しなくても、道義的には問題発言です。

 

ところが、当時司会者だった久米宏氏も、ただ頷くだけで、戒めようとしませんでした。

その後、番組内で不適切な発言があったとの謝罪があったかどうかはわかりません。

ですが、たとえあったとしても、非難は免れないと思います。

 

さて、肝心のヤフー株ですが、孫氏の発言を受けたかどうかは別として、その後やや値を上げたものの、2月に最高値を付けた後は値下がりを続け、4月には株式分割を補正した株価で約1/2に、さらにITバブルの崩壊により、一時ですが実に最高値の1/20にまで下落したのです。

 

彼の発言を真に受けてヤフー株を購入した人は、どうなったでしょうか?

むろん、その後一旦は値上がりしていますから、中には上手く立ち回って儲けた人もいるでしょうが、多くの人は大損をしたのではないでしょうか。

だとすれば、いったい彼は、それらの人々に何と言い訳するのでしょうか?

 

もっとも、根本的に、

『儲けたから良い、損したから申し訳ない』

という類の話ではありません。

彼の立場からすれば、決して口に出してはならない言葉だったのです。

 

彼は、ただ単に無邪気な軽口を叩いただけなのかもしれませんが、そうであったとしても、自分の立場を弁えず、無責任な発言をした彼の人間性を、私は信用する事が出来ないのです。

 

 

昭和天皇と安岡先生と師と王貞治氏

昭和天皇と安岡先生と師と王貞治氏。

 

この四者の間を介在した品物があります。

それは『墨』です。

むろん、どこにでもあるような品ではありません。

 

まず、昭和天皇は事ある毎に安岡先生に教示を受けておられました。陛下の大先生に対する信頼の深さは、このブログの第一回に書いた経緯によります。

 

たとえば、前の公務が長引いて、陛下の食事中に大先生が皇居を訪れられたとします。

陛下は必ず、

『安岡を待たせるわけにいかない』

と、食事を中断されてお会いになったそうです。

人徳に優れた陛下のことですから、それは安岡先生に限ったことではなかったかもしれませんが、これはどうでしょうか?

御二人の会談は対面ではなく、ソファーに横に並んで座った状態で行われたそうです。よく、皇室の映像で両陛下が横並びに座られているように、です。

 

おそらく陛下がそのように親密且つ厚遇された民間人は、安岡先生だけだったのではないでしょうか。

 

 

一方、王貞治氏は私の師に師事していました。

現在では、阪神タイガースの金本選手や新井選手の護摩木修行が有名ですが、精神修養もさることながら、スポーツ選手は少なからず神仏に頼るところが多いようで、王氏が師に師事した理由も、

『どうしても三冠王を取りたい』

という一心からでした。

 

それまで、数々の打撃タイトルを獲得していた王氏でしたが、三冠王には縁が無かったので、三冠王獲得は氏の悲願となっていたのです。

誰に紹介されたかはわかりませんが、師の許を訪れた王氏は、

『三冠王達成』の祈願を依頼しました。

 

その甲斐あってか、王氏は1973年、74年と史上初の2年連続三冠王に輝きます。

感謝感激に堪えない王氏は、師に、

『何かお礼を・・・・』

と申し出たのですが、師は、

『祈祷料は十分に頂いています』

と、丁重に断ったそうです。

しかし、どうしても感謝の気持ちを形に表わしたい王氏は、行き下がらなかったそうで、

やむなく師は、

『墨』を所望したということでした。

当時、日本では高級な墨が入手し難くなっており、師は王氏が台湾人であることも考慮に入れた上での要望でした。

王氏は、とにかく親兄弟だけでなく、台湾の知人らにも依頼して高級な墨を捜し求めたということです。

 

さて、その後何かの席で、安岡先生から、

『陛下が良い墨が無くて困っておられるようだ』

と漏れ聞いた師は、王氏から贈呈された墨を陛下に献上されたということです。

 

その墨ですが、私の記憶が正しければ、

縦:約10cm、横:約3cm、厚み:約1cmの大きさで、1枚300万円だったそうです。今から40年前の相場です。

師は、この墨を3枚献上され、陛下から感謝のお言葉を頂いたと言うことです。

 

 

香川真司 – その2

ドルトムントの香川真司が相変わらず凄い。

 

昨深夜に行われたドイツ杯で、香川は1G1Aの活躍をし、23シーズンの制覇に貢献しました。

相手は、リーグ優勝も争ったバイエルンミュンヘン。バイエルンは、次週CL決勝を控えたチーム、つまり今年の欧州TOP2のチームなわけです。

 

この試合は欧州全土の注目を浴び、移籍が噂されるイングランドプレミアリーグ・マンチェスターUのファーガソン監督も、今日リーグ優勝の懸かった大一番があるにも拘らず、観戦に訪れていました。

香川の視察が目的というのが大方の見解で、御前試合でのMOM級の活躍は、彼の移籍を決定付けたと見られます。

 

中学時代からのサッカー不毛の時代を知る私にしてみれば、中田のセリエAでの活躍もさることながら、昨年からの香川の急成長には、驚きを越えて恐怖さえ感じます。

少々大袈裟に言えば、神の意思、つまり日本サッカー界の明るい未来の啓示しているようにさえ感じます。

 

以前も書きましたが、日本人選手が欧州のトップリーグの優勝チームでエースとして活躍し、全世界チームランキングで第3位のチームに移籍しようとしているのです。

もしかしたら、NO1クラブであるFCバルセロナ移籍でさえ、夢物語でなくなってきたのです。

もし、香川がマンUに移籍し、ドルトムントと同じような活躍をすれば、申し訳ないですが、ダルビッシュがMLBでサイヤング賞を取ったとしても、味わえないだろう興奮を覚えることでしょう。イチローがメジャー年間最多安打の記録を達成した以上かもしれません。

 

しかし、残念ながら野球偏重の我が国では、この偉業がTOPニュースになることはありません。

相変わらずの、松井秀喜がデビルレイズとマイナー契約したとか、マイナーの試合でヒットを打ったとかホームランを打ったとか、こちらの方が重視されるというく○ぶりです。

 

私は、松井は嫌いではありません。彼は阪神ファンでしたから、巨人に入団したときも彼だけはアンチになりませんでした。

ですから、彼にメジャー復帰の道筋が見えたことは喜ばしく思っています。

しかし松井と香川、いったいどちらにニュースバリューがあるのか?

いくら野球の方が、人気があるからといって、・・・・・これも真偽はわからないが、マスメディアの世界では野球>サッカーということになっている・・・・ニュースの価値というものを全くわかっていない。

いや、わかっていながら、何かの意図があって、サッカーあるいは香川のニュースに触れまいとしているのでしょう。

間違いなく、香川の価値を一番わかっていない、いやわざと評価を低くしているのは日本のマスコミ自身で、これには怒りよりも虚しさを覚えます。

 

子供たちの人気は、すでにサッカー>野球ですが、時間の経過と共に、国民全体の人気も野球とサッカーは、その立場が逆転するでしょう。

そのとき、マスコミはどうするのか?

厚顔無恥な奴等は、掌を返したようにサッカー絶賛になるのでしょうね。

 

さて、これは私の願望、妄想ですが、

長友:インテルと長期の契約更新。主力。

香川:マンUへ移籍。(可能性高)主力。

内田:シャルケ。主力。

本田:ラツィオへ移籍。(今冬移籍目前だった)。主力。

酒井高:ACミランへ移籍。(ミラン、チェルシー、バイエルンから獲得検討との噂)主力。

宮市:アーセナル復帰 控えか、再レンタルだと思うけど・・・・。

細貝:レバークーゼン復帰。主力。

いわゆるビッグクラブに、日本人がこれだけ在籍し且つ活躍すれば、ブラジルW杯で、BEST8以上というのが現実味を増してきます。

 

今夏、来冬、来夏の移籍シーズンが楽しみでなりません。

まずは、今夏誰がどのチームに移籍するのか要注目です。

 

 

 

大相撲

日本最八百長列伝・その1:

昨年末、サッカー・イタリアセリエAの選手16名が八百長で逮捕されるという事件がありました。イタリアは、数年前に名門ユベントスの幹部が、審判を買収したとして、懲罰を受けましたが、懲りませんね。

 

八百長の形態は、

自チーム優勝のために、審判や相手選手を買収する。

マフィア絡みの賭博のため、審判や選手を買収する。

の二つです。

 

イタリアだけでなく、中国のサッカーのリーグも八百長が蔓延し、ファンは嫌気が察しているようですし、韓国はもっと酷く、野球、サッカー、バレー、バスケット・・・・なんとあらゆる競技で八百長があったと、国を揺るがす騒ぎになっています。なぜか、日本ではあまり報道されませんがね・・・・。

 

まあ、韓国の場合、宜しくないのは、国内だけでなく国際大会でも審判買収問題が発覚している事ですね。たとえば、古くはソウル五輪でボクシングの審判買収がありましたし、2002年のサッカー日韓共催W杯での審判買収も実しやかに噂されています。

特に、欧州での評判が悪く、当該のイタリア、スペインはもちろん、ポルトガルやイングランド、オランダ、ドイツ、フランス、・・・・といずれもサッカー強豪国の評判は芳しくありません。

 

さて、かく言う日本も先年、大相撲で八百長が発覚し、国民の顰蹙を買いましたが、実はこの相撲の八百長、私は20十年以上も前に、当時の現役力士の口から言質を取っていました。

もっとも、今となっては、録音していたわけでも有りませんし、『言った、言わない』の、押し問答になるでしょうがね。

 

題して、『日本最八百長列伝・その1:大相撲』です。

 

その前に、何を隠そう、私はある野球賭博にも関わり、警察の家宅捜査と事情聴取を受けたこともありますので、いずれそちらの顛末も書きたいと思います。(注:ただ巻き込まれただけで、首謀者ではありません。もちろん、不起訴です)

 

私の師は、ある名門相撲部屋の後援をしていました。

後援と言っても、数多くの後援会があり、たとえば、テレビで優勝力士が大きな杯を口にしたり、鯛を持ち上げたりしているシーンが流れますが、そのとき周りを囲んでいる人たち、いわゆる『タニマチ』のような存在ではありませんでした。

部屋というより、親方からある力士の薫陶を依頼されたのです。その親方は、自分の娘とその力士を結婚させ、部屋を継がせる腹積もりだったらしく、力士の人間教育を師に頼んだということなのです。

大阪場所になると、必ず相撲観戦した後、力士と師と私の三人で飲食したものでした。

料理旅館・宝家で食事し、ミナミのクラブへ足を運ぶ。そういう感じでした。

 

宝家は旅館だったので、大きな総檜の風呂が有り、力士と一緒に入ったものでした。そういったことから、自然と親しくなり、そのうちに二人だけで遊ぶ事も多くなりました。

 

余談ですが、当時の女将はひとかどの人物だったようで、彼女の気風というか度胸を物語る逸話があります。

宝家の近所に、ある病院があるのですが、そこに広域暴力団のとある大物組長が入院していたことがありました。

ある日、地方の組長ら数人が、その大物組長を見舞った後、食事をしようと、宝家に立ち寄ったのですが、女将はきっぱりと断ったそうです。

口で言うのは簡単ですが、客商売ですから、どのような報復を被るとも限りません。食事だけなら・・・・と考えてもおかしくはないのですが、暖簾を上げたときからの方針を貫き通した女将はたいしたものだと思います。

一方、断られた組長の方も、一言の文句も言わずに立ち去ったという事ですから、それなりの人物だったということでしょうか。

 

そうしたある日の、食事の折でした。

力士の次の日の取り組み相手が横綱だったので、

『明日の横綱戦、頑張って下さい』

私が発破を掛けると、力士は、

『いやあ、それはちょっと・・・・』

急に歯切れが悪くなりました。そのときは、まさか八百長などとは思いも寄らず、

『金星を取れば、三賞も芽も出るでしょう』

と、言葉を継いだのですが、

『いや、駄目です。もう話が付いているのです』

今度は目を逸らすように言ったのです。

さすがに、私にも分かりました。

『じゃあ、上手に負けて下さい』

などど、訳の分からぬ激励をして、話を終りにしたのを憶えています。相手は横綱ですから、引退後は協会に残り、行く行くは幹部、もしかしたら理事長にだってなる可能性はあります。引退後、相撲界に残りたければ、受けざるをえなかったのでしょう。長いものには巻かれろ、です。

 

その後、いつものように朝まで遊ぶつもりでクラブへ移動すると、彼の方から、

『今日は、0時で失礼します』
と言い出したのです。

『何か用事があるんですか?』

と訊くと、彼はにやっと笑い、

『奈良へ・・・・』

とだけ言いました。私はその一言で、すぐに女性だと察しました。と言うのも、結局のところ、彼は親方の娘とは縁がなかったようで、一般の女性と婚約を発表していたからです。

 

ところが、22時過ぎ、彼が宿舎に電話を入れると、親方の命令で急遽宿舎へ戻ることになりました。

まだ、携帯が本格的に出回る前でしたので、彼は定期的に連絡を入れていたのですが、どうやら緊急事態が起こったようでした。

 

さて、それから数日後、週刊誌やテレビのワイドショーでは、その力士の話題で持ち切りになりました。彼が婚約者の他に女性を作っていたのです。奈良とは、その女性が住んでいるところだったのでしょう。

あの夜の緊急事態とは、どうやら出版社側から、記事のゲラ刷りが届いたようでした。

 

そして、さらに数日後、テレビはカメラの前で謝罪会見をする彼の姿を映し出していました。

彼は今、部屋付きの親方として後進の指導に当たりながら、HNKの解説者としても活躍していますので、実名は伏せましたが、当時かなりマスコミを騒がしましたから、何となく見当が付くかもしれませんね。

 

 

日本最疫病神列伝

前回の『お金』絡みの話から、ふと昔の悔しい思い出が脳裏を過ぎりました。

 

題して、『日本最疫病神列伝』です。

 

疫病神などと、罵る言葉を使いましたが、些細な出来事です。私の狭量を表わすような恥ずかしい昔話です。

 

以前、私の祖母と祖母の祖母、つまり私にとっての高祖母の二人は霊感が有ったと書きましたが、今のところ私にはそのような兆候は見られません。霊を見たことも、霊の存在を感じた事もありません。

 

ただ一度だけ、それらしき事があったのは、私が会社勤めをしているときでした。

その頃は、週末になると馬券を買うのが楽しみの一つだったのですが、ある土曜日の夜、競馬のレースを夢に見たのです。そして、1着と2着の馬名まではっきりと目に焼き付けたまま目を覚ましたのです。

当時は、まだ3連単などない時代で、連勝複式を専ら購入していました。

 

さて、私はさっそくその馬名をメモに記し、駅の売店でスポーツ新聞を買い、会社に行きました。勤めていた会社は、場外馬券売り場へ向かう途中にあったので、いつも机の上に新聞を広げて予想をしていたのです。

 

気が逸る私は、電車の中で1レースから順に出走馬を確認しましたが、全レースを見終えても、夢に見た馬名はありませんでした。

ガセ夢か・・・・当てが外れた私は落胆を隠しきれないまま、会社に着きました。そしてあらためて、予想を始めたのですが、そこでふとあることを思い出しました。

そうです。メインの数レースに限り、関東のレースが購入出来たのです。そこで、関東のレースを見てみると、『京王杯スプリング・・・・』というレースの出走馬の中に、2頭の名があったのです。

 

 

『これだ!このレースに違いない』

私は歓喜しました。予想オッズを確認すると、約70倍でした。当時の連勝複式としてはかなりの高配当、つまり大穴でした。1頭の方は3番人気の予想でしたが、もう1頭の方は全くの無印だったのです。

心に疑いが生じました。私は1万円を賭けるつもりだったのですが、夢はあくまでも夢ですから、迷いが生じたのです。しかしこれまでに、このようなことは一度も無かったわけですから、最後は一点勝負と、腹を決めました。

たかが1万円で何を大袈裟な、と思われるかもしれませんが、サラリーマンの毎月の小遣いから、1レースに1万円を張るのは、結構勇気のいる事なのですよ。

 

さて、お昼になりいよいよ場外馬券へ向かおうとしたときでした。そこに後輩のBが顔を出したのです。Bも競馬好きで、よく馬券を買うということでした。このときも、馬券を買いに行く途中に寄ったとの事でした。

 

当然、話題は競馬になり、私はつい購入馬券をBに話したのです。これがいけなかった。

Bは、それはもう何か蔑むような目つきで、

『そんなの来るわけないじゃないですか』

と、馬鹿にしたような口調で言ったのです。

私は、まさか夢に見たなどと、間違いなくBの失笑を買うようなことは言えず、

『やはり、そうだろうな・・・・』

と弱気が再燃したのです。

その後も、Bはけんもほろろに、私の作り話の予想を切り捨てるのです。それでも、私一人であれば、最初の決断通り、1万円の1点勝負に出たことでしょうが、彼と一緒では、また蔑まされるような気がして、結局その3番人気の馬から本命と穴の2点買いに変更してしまいました。

 

結果は、私の夢の通りの着順になり、配当金は約6,000円(100円に付き)、つまり5,000円購入していたので、30万円の払い戻しとなったのです。

私は後悔に苛まれました。初心の通りにすれば良かった、と。

また、Bを恨む気持ちも湧きました。彼と出くわさなければ、もう30万円手に入ったのです。それでも、Bから詫びの一言でもあれば、気持ちは治まったでしょうが、彼は少しも悪びれる事も無く、

『来ちゃいましたね』

と、笑って言ったのです。さすがに頭に来て、殴ってやろうかと思いましたが、会社の後輩ですから、その後の仕事がやり難くなると思い、我慢しました。

もっとも、これだけであれば、彼を疫病神などと呼ばないのですが、まだ続きの話があるのです。

 

その次の週でした。

その週の日曜日は、朝から所用があったので、馬券を買うつもりは無かったのですが、土曜日に買ったスポーツ新聞の競馬欄を見た途端、閃きが奔ったのです。

それは、関西のメインレースの出走表に目が行ったときでした。

『これだ!』

と、勝ち馬と2着馬を直感したのです。予想オッズは約30倍でした。

私はBに電話をし、日曜日に場外馬券を買いに行くか訊ねると、Bは行くと答えました。そこで今度は何の躊躇無く、その約30倍の馬券を購入してくれるように依頼すると、いつものように会社に立ち寄るので、机の上に金を置いておくように、と言われました。

私は、翌朝早く起きて、会社へ行き、彼の机の上に『3万円』を置きました。先週、30万円を手にしたので、強気になっていたのです。

ちなみに、場外馬券売り場は開場が9時頃だったので、時間がありませんでした。

 

私は所用のため、テレビを見る事もラジオを聴くことも出来ませんでしたが、深夜帰宅するとき、駅の売店で翌朝のスポーツ新聞の早刷り版を購入して、結果を確認すると、なんと見事に当たっていたのです。

配当金は約3,000円。3万円の購入ですから、払い戻しは、約90万円となりました。

興奮を抑え切れない私は、電車の中でもニヤニヤしていたようで、周囲からは気味悪がられました。

むろん、妻には何も話していません。折角のへそくりですからね。妻には、小遣いを貯めたと嘘を吐いて、何かプレゼントをしようと思っていました。もちろん、Bにもお礼を考えていました。

 

しかし、月曜日の朝、喜び勇んで会社の扉を開けた私に、目を疑う光景が飛び込んで来ました。私がBの机の上に置いた3万円が、そのままになっていたのです。

『まさか?』

と疑念が過ぎりましたが、Bはきっぱりと行くと言ったのです。予想馬券と購入金額は、伝えていましたから、彼は会社に寄らず、直接場外売り場に行ったのだと思い直しました。

ところが、始業時間になっても、Bはいっこうに姿を現しません。

 

私の心は、次第に不安に包まれて行き、やがて失望に変わって行きました。

そして、始業時間から30分後、彼から連絡があり、

『ぎっくり腰になったので、会社を休みたい』

との申し出があったのです。むろん、馬券も購入していませんでした。

 

失望は怒りに変わりました。彼のせいで、2週間で約120万円を撮り損ねたのです。いや、怒りに任せ、

『もし、先週Bが余計なことを言わなければ、60万円が手に入り、そうであれば今週は3万円ではなく、少なくとも5万円は購入していたはずだ。そうであれば、撮り損ねたし金額は180万円だ』

などど、私の被害者意識は、止め処の無いものとなって行きました。

 

結局、Bは会社を一週間休みました。一応、医師の診断書を提出しましたから、ぎっくり腰は嘘ではなかったでしょうが、私に会わせる顔がなかったというのも事実でしょう。

 

ただ、間が開いたお陰で、私の怒りも徐々に収まって行き、代わって自己嫌悪を抱くようになりました。

そもそも、嫌味を言われたぐらいで、自説を曲げた自分が悪いのです。

妻に馬券を取ったことを内緒にした天罰も受けたのでしょう。結婚前、妻とは何度も場外馬券売り場に行っていましたので、彼女に頼めば間違いがなかったのです。

いわば、2週連続の不運は自業自得のようなものでした。

 

一週間後、出社したBに、私は何事もなかったように振舞い、彼もまた一言の詫びも口にしませんでした。私は、それで構わなかったのですが、それ以降Bと競馬の話は一度もしませんでした。

 

この年になりますと、誰の人生にも、幸運の女神が一度は微笑むような気がします。競馬、ロト6、TOTO,ナンバーズ、宝くじ・・・・そのチャンスをものにするか逃すかは、信じ通す気持ちと、心持ち一つのような気がします。

 

私は、悪魔の囁きに心折れ、正夢だと信じ切ることが出来なかった。また、そのレースに1万円を賭けましたが、へそくり全部、10万円を賭ける度胸があれば、少々オッズは下がっても、600万円弱を手にし、妻に相談して貯金を下ろせば、100万円だって賭ける事が出来たでしょう。

払い戻しは数千万円です。私の妻は、そういう太っ腹なところがありますので、きっと私の好きなようにさせてくれたはずなのです。

それを、こっそりへそくりを増やそうなどという姑息な考えを起こしたから、しっぺ返しを食らったのでしょう。30万円も儲けたというのに、まるで螻蛄になったかのような落胆を味わう破目になったのです。

 

ちなみに、それ以降勝ち馬の夢を見る事はありません。今後も無いでしょう。

 

 

 

馬堀法眼喜孝画伯


日本最尊敬列伝・その3

今日は昭和の日、旧天皇誕生日ですね。

天皇誕生日と言えば、皆さんは『馬堀法眼喜孝』という人物をご存知でしょうか?

 

おそらく、圧倒的に知らない人が多いのではないでしょうか。しかし年配の方は、日々何度もこの方の作品を目の当たりにしていたはずです。

 

と言うのも、馬堀氏は旧一万円札の聖徳太子、旧千円札の伊藤博文、旧五百円札の岩倉具視などの肖像画の原作者だからです。

 


『法眼』というのは、絵画の最高位とも言うべき称号で、文字通り肖像画の第一人者でした。

 


題して『日本最尊敬列伝・その3:馬堀法眼喜孝画伯』です。

 

画伯は、歴代天皇肖像画や歴代首相肖像画など、歴史に残る人物を数多く描かれているのですが、実を言いますと、私は画伯の作品を師からいただいています。

画伯も師と親交が深く、師が画伯から頂戴した作品の中から、お裾分けしていただいたという次第です。


私は師から様々な物をいただきましたが、当時はその品の価値が分かりませんでした。師が亡くなられた後、それらを鑑定してもらうと、大変な高価な品だったということが判明し、その都度恐縮しました。

 

また、いただいた品一つ一つに面白い?曰くがあるのですが、それも追々書きたいと思っています。


ところで、私は一度画伯と飲食を共にしています。


私が師の自坊に寄宿して数ヶ月経った頃でした。私は、一旦寺院を離れていました。私が師の寺院に寄宿していることを知った檀家や知人らが、師に抗議をしたからです。師の人徳を知る彼らは子息を師に預け、薫陶を得たいと欲しましたが、師は断り続けていました。


ところが、宗教上の弟子ですら持たない師が、何処の馬の骨とも分からない学生を寄宿させたと知って憤慨したのです。


尤もな抗議に、師はほとぼりが冷めるまで、と私を一時外に出したのです。

 


その間のことでした。師から連絡を受け、夕食を共にする事になったのですが、田舎から出て来たばかりの世間知らずの私は、事もあろうにジーンズにサンダル履きで、師の指定したホテルへ出向くという非常識を犯してしまいました。


今思い出しても、恥ずかしさに身が震えますが、師が指定したホテル内の飲食店は、正装かそれに順ずる服装でなければ入店が許可されない高級店だったのです。

 


店先で押し問答している騒ぎを師が聞き付け、師の顔に免じて入ることができたのですが、そのときに紹介していただいたのが、馬堀法眼喜孝画伯だったのです。


師は、どなたであってもあまり詳細に説明されない方でしたので、そのときは画伯がどれほどの高名な画家か理解していませんでした。

 


さて、師からいたいただいた品の中で、馬堀画伯の作品のみ、その価値が分かりません。


まず、肖像画が一般に流通するものではないということ、そして馬堀画伯の作品と言いましたが、正確には絵画ではないからです。ややこしい言い方ですが、画伯は神話時代の神武天皇から昭和天皇まで、124代の肖像画をお書きになっています。

 


画伯の0号サイズの値段から単純計算すると、一枚の値段は億?ということになってしまうのですが、その絵自体をいただいたのではなく、124枚の肖像画を一枚一枚写真に撮り、一つの額に修めた作品をいただいたのです。


額を2枚いただき、1枚は妻の実家に進呈したのですが、下世話な話、この作品がいったいどれだけの価値があるのか、皆目検討が付かないのです。

 


絵としての価値は、合計百億円?以上ということになりますが、所詮は写真です。所詮は写真ですが、とは言え写真の題材は相当な価値の絵画です。


また、絵画ではないものの、画伯の作品として公の会場に展示されたこともありますので、それなりに価値があるのではないかと思うのです。

 


いやあ、何だか今日は、金だ価値だと、下賎な事ばかりを書いてしまい赤面しますが、一応その額を載せます。


ちょっと分かり難くて申し訳ありません。

 


 

 

中野浩一

日本最真の偉業列伝

今回は、第十回ということで、『10』という数字に関わるテーマを取り上げたいと思います。

スポーツですと、『10』と言えば、サッカーや野球などの背番号が思い浮かぶと思いますが、そうではなくスポーツ選手としては、私が最も偉大な業績を挙げたと評価している、『中野浩一』氏について書きたいと思います。

 

題して、『日本最真の偉業列伝』です。

 

中野氏は、1977年から1986年まで、世界自転車選手権のスプリントにおいて、前人未到、空前絶後の10連覇を達成しました。むろん、彼以降更新されていない不滅の記録です。

 

自転車競技というと、日本ではあまり人気がありませんが、サッカーW杯、五輪と共にツール・ド・フランスが、世界三大スポーツイベントに数えられるほどのメジャースポーツであり、特に欧州ではサッカーと共に絶大な人気を誇ります。

ただ、人気があると言うだけでなく、自転車競技者は市民から尊敬の眼差しを受けるくらい社会的地位が高い存在なのです。

 

その自転車競技の世界大会で、10連覇を成し遂げた中野浩一氏の欧州での尊敬度は、並大抵でなく、日本人が想像を絶するもので、もはや伝説の域に達しています。

おそらく、日本人では知名度NO1のビッグネームでしょう。今でも、国際大会になると世界の自転車競技者は、まず中野氏に挨拶に出向き、必ずサインをねだります。彼らにとっては、それぐらいの憧れの存在であり、偉大な選手だったのです。

 

10連覇がいかに凄いことか・・・・。たとえば、ロンドン五輪・水泳の北島選手、もし金メダルを獲得すれば3連覇となりますが、単純計算で9年ということになります。これも凄いことに変わりはありませんが、ただ五輪は4年に1度ですから、その間の大会で常に世界一だったわけではありません。

事実、北島選手は世界選手権では破れたり、不参加で体調を整えたりしていました。柔道の野村選手も五輪で3連覇を達成しましたが、同様でした。

 

しかし、10連覇となると、その間体調を崩しても、故障してもアウトです。中野氏も体調不良や怪我があったことでしょう。事実、8連覇が懸かった1984年は、鎖骨を骨折し、一旦は癒え掛けたところに、レースで落車をして再び負傷してしまい、出場さえ危ぶまれました。ところが、なんと彼は無理をして参加したばかりか、その年も優勝し、記録を継続したのです。それが、彼の伝説化に拍車を掛けた一因でしょう。

 

しかし、このような偉業を達成しているのにも拘らず、彼は『国民栄誉賞』を受賞していません。

 

これまた反感を覚悟で言えば、スポーツ選手としての実績は、これまで受賞したスポーツ選手の中では一番で、あの世界のホームラン王の『王貞治』氏より上だと思います。

世界的に見れば、野球という競技は自転車競技よりマイナー競技であることや、ホームランの世界記録と言っても、選手レベルの差、球場の広さの違いなどの理由で、米国においては、それほど認知されているわけではないことが指摘できると思います。

 

野球関係者はそれなりの敬意を払いますが、一般国民は王氏の記録は知らないか、評価はしていないと思います。むしろ、イチローの方が断トツで評価されているでしょう。

なにしろ、同じフィールドで戦っていますから・・・・。

そうですね。イチローの『10年連続シーズン200安打達成』という記録も偉大ですね。

中野氏の偉業に匹敵すると思います。彼は辞退しましたが、当然国民栄誉賞に値します。

むろん、国民栄誉賞は記録だけでなく、広く国民に感動と勇気を与えることも受賞理由の一つですから、決して王氏の受賞にケチを付けるものではありません。

 

ついでに、他のスポーツの個人記録で、その価値を比較しますと、

 

野球:上記したイチローの『10年連続シーズン200安打達成+日米通算4,000本安打』。(これは達成可能)

サッカー:男子はバロンドールを2回受賞。女子は5回受賞。(連続でなくても良い)

男子サッカーは世界最高のスポーツであり、競技人口から鑑みると、一度でも受賞すれば偉業です。したがって、メッシは五回以上受賞するでしょうから、もはや人間業ではなく、神の領域に入っていると言っても過言ではないでしょう。

水泳:北島選手が、ロンドン五輪で3大会連続2冠達成したうえで、4大会連続2冠達成か、5大会連続金メダル獲得。(共に金メダル8個)

体操:内村選手が、五輪で3大会連続個人総合金メダル+種目別で金メダル合計6個獲得。(北京大会での個人で金メダルだったら、可能性は有った)

柔道:日本発祥のお家芸なので、五輪4連覇+その間の世界選手権を連覇。

といったところでしょうか。

 

あくまでも、中野氏の実績との比較であって、それ以下の成績でも十分受賞する価値はあります。

 

 

 

さて、それほどの偉業を成し遂げたのに彼が国民栄誉賞を受賞出来なかった理由は二つあります。

一つは、10連覇の価値そのものに疑問符が付いたことです。当時のスプリント種目は、旧ソ連などの共産主義国家で、国から報酬を受けて生活していた、いわゆるステート・アマが強さを誇っていた時代であり、プロのみの参加だった世界選手権の価値を疑問視する向きがあったのです。

 

しかし、世界規模の大会に、日本人選手が10年連続で出場することすら滅多に無い時代ですし、上記したように10連覇自体が至難の技であることから言えば、彼の偉業が著しく貶められることはないでしょう。

 

むしろ、もう一つの理由が大きかったと思います。

それは、当時はまだ『競輪=ギャンブル=裏社会との関連=悪』という連鎖のイメージが拭い去られていなかったことです。特に主婦の間で顕著だったと思います。

 

近年、公営ギャンブル界はクリーンなイメージ戦略に成功し、女性人気も博すようになりました。もし、彼の偉業の達成が今日であったならば、間違いなく国民栄誉賞ものでしたね。

 

闘魂 – A・猪木と高田延彦

日本最尊敬列伝

今回の『闘魂』というのは、私の選択ではなく、この人のキャッチフレーズです。

そう今回は、『燃える闘魂』アントニオ猪木氏と、もう一人の人物との想い出を書きたいと思います。

 

その前に、今朝ダルビッシュがヤンキース戦で好投し、3勝目を挙げましたが、よく分からないのが、フジTV系列の『知りたがり』で、ナレーションが『1回を三者凡退・・・』と言っていたことです。細かいことですが、実際は四球を一人出しています。

よく分からないというのは、なぜこんな単純なミスを犯すのだろうか?ということです。あまりに不思議です。試合終了から2時間も経っているのだから、十分確認できるはず。

 

また、昨日の朝ズバ!では、香川のニュースの中で、『欧州四大リーグでの優勝は、中田英寿や中村俊輔がありますが、連覇は初めてです』などとほざいたのです。

明らかな間違いです。中村が所属していたスコティッシュリーグは、欧州リーグランキングの10位以内にも入っていません。

 

考え得るに、試合を見ていない奴が、適当に台本を書いているとしか思えない。

この手のミスは、これに限ったことではありませせん。私は、何度も目の当たりしています。いや、『知りたがり』や『朝ズバ!』は、一応情報番組ですから、目を瞑るとしても、スポーツ番組でもこういうミスがあります。スポーツ番組の制作スタッフぐらいは、ちゃんと試合を見てろよ!と言いたくなります。

 

ついでに、以前日本の国債について、某著名弁護士がしたり顔で『日本の国債は、米国や中国に買って貰わないといけないので、また両国に頭を下げなければならない』と発言しました。

『はあ?』

本当に呆れてしまいます。これで知的さを売り物にしている人物のコメントでしょうか。彼は法律関連以外の、あらゆる分野のテーマに、知ったかぶりのコメントをしています。

まあ、彼に限らず、日本の情報番組は専門外の人間が良くコメントしますね。米国が良いというわけではありませんが、あちらではきっちりとすみ分けされているようです。

 

ご存知のように、日本の国債の90%以上は、日本国内の投資家が購入しています。たしかに、このところ外国人の保有率は上がっていますが、これはドルやユーロの値下がりを懸念し、換金性の高い国債を購入したためで、日本が頭を下げて購入してもらったわけではありません。また、米国や中国が、日本国債を保有する会社の株主であれば、間接的に両国が購入している、と言えなくもありませんが、それはこじつけに過ぎないでしょう。

 

バラエティ?情報?番組だから、適当なことを言っても許される、あるいは頭の隅に残っている知識を確認しないで発言してしまう、この軽率さ・・・・。

このような風潮が垣間見えて嫌悪感を抱きます。

 

さらに、誤字脱字も目に余ります。ワープロ変換の影響なのでしょうが、実際に作業しているであろう新人クラスの若者はともかく、ディレクターなり何なりがちゃんとチェックしろよ、と声を大にして言いたくなります。もし、チェックしてこの状態ならば、完全に国語力が落ちているという、これはこれで由々しき問題になります。

さすがに、新聞に誤字脱字は見られませんが、テレビ局も正確な情報を発信する責務を負っていることに変わりはありません。番組制作者は、その意識が低いように思えてならない近年です。

 

私もあまり偉そうに言うと、自爆してしまいそうですが・・・・。マスメディアの質の低下は、これからも随時触れて行きたいと思います。

 

 

さて、ようやく本題ですが、もう三十年近くも昔になるでしょうか、新婚の年に、師のお誘いで妻と共に総本山へ参拝しました。師の縁の宿坊に泊まったのですが、そこにいたのがA・猪木氏でした。

当時、A・猪木氏は師に師事していましたので、師が誘ったということでした。そしてもう一人、A・猪木氏の付き人として同行していたのが、まだデビュー前の高田伸彦氏でした。

 

『あれ?高田は、「延彦」では?』と疑問に思われるかもしれませんが、デビュー前は『伸彦』でした。

 

二人は本堂で瞑想したり、滝行の水に打たれたりしていました。

本堂への、三百?メートルほどの急勾配の坂道を、私たち夫婦は休み休み上って行きましたが、高田氏はトレーニング代わりにと、走って3,4往復していましたね。プロレスラーの体力ってこういうものなのか・・・・と感心したものでした。

 

師はA・猪木氏と一緒に風呂に入り、私は高田氏と入りました。ともかく、デビューするのが嬉しくて仕方がない様子だったのを覚えています。

高田氏は、とにかく食欲が凄くて、私たちは酒を飲んでいたのですが、高田氏は酒を飲むことはなく、ただひたすら、がっつくように御飯を食べていました。

 

当然、配られた膳では足らず、何杯もお替りをしていました。おかずが足らないだろうと、私たちがそれぞれ一品ずつカンパしたのですが、それでも足らず、最後はお櫃を抱えるようにして御飯のみを食べていました。それはもう、物凄い食欲でした。力士と同じで、身体を大きくすることに必死だったのだと思います。

 

さて、師に断りを入れて、A・猪木氏にサインをお願いすると、氏は快諾したのですが、私が色紙を10枚用意すると、一瞬、

『むっ!』とした表情になりました。

そこで咄嗟に、

『私と妻の親族中が貴方の大ファンなので、とても喜ぶと思います』

と私が言うと、

『お、そうですか』

A・猪木は途端に相好をを崩し、一枚一枚丁寧に書いてくれました。

 

高田氏にもサインを頼んだのですが、こちらは風呂のとき、あらかじめ了解を得ていたこともあって、とにかく色紙はもちろんのこと、Tシャツや手帳や小物類と、ありとあらゆる物にサインをしてもらいました。

高田氏はデビューする前だったので、サインの練習をしていたと思いますが、おそらく初めてのサインだったのでしょう、嫌な顔どころか、嬉しそうに書いてくれましたね。

 

翌朝、レスラーの木村健吾氏が車で迎え来て、帰って行きました。高田氏は車の免許を持っていなかったのか、運転を信用されていなかったのでしょうね。

 

大阪に帰った私はプロレス番組をチェックし、高田氏がデビューするのを心待ちにしていたのですが、いよいよデビュー試合というとき、彼の名前が『延彦』に改名されていたので驚いたものでした。総本山で書いてもらった『高田伸彦』は幻のサインということになるのでしょうね。

 

大変失礼ながら、その後高田氏があれほどの人気レスラーになるとは、思いも寄らないことでしたが、そうなると『高田伸彦』のサインは、たとえば紙幣や切手のミスプリントのように、価値があるではないかと思うのです。

 

以前、『YAHOO!オークションに出品したら、いくらの値が付くかな?』などと、妻に聞いて、顰蹙を買ったことがありました。

 

テレビで活躍している二人の姿を拝見する度に、あの時の光景が懐かしく脳裏に浮かんできます。

 

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