不思議な人々2:祖母(野島家の悲劇)

私の祖母が霊能力者だったことは前にも述べました。
と言っても、それほどの凄い霊力の持ち主だったわけではなく、山口のお婆さんに比べれば、横綱と平幕ぐらいの差があったでしょう。むろん、私の勝手な判断ですが・・・・。

しかし、その祖母の霊力の一旦が垣間見えた事件が起こりました。
私の生家の遠縁に『野島家』というのがありました。同じ村落にありましたが、我が家が村のほぼ中央にあったのに比べ、野島家は西北の外れの山間にありました。

その野島家が家を新築したのですが、完成なって間もなく、当主がいきなり高熱を出し、意識不明となったのです。医者に看てもらいましたが、原因がわからないということでした。

その話を聞いた祖母が、いつもの『御勤め』のときに『神様』に訊ねると、ある事実が告げられたというのです。
その事実とは、野島家の敷地内には、私の生家と同様、尼子の落武者を祭った祠があったのですが、祠といっても小石を重ねただけの粗末なものだったうえに、当主は不信心だったらしく、その祠を丁重に移動させることなく除去してしまい、その上に家を建てたというのです。

祖母が、さっそく野島家にそのことを質すと、事実でした。ですが、家族揃って不信心だったこと、またそうかといって、建てたばかりの家を壊すわけにもいかず、そのままにしていました。

十日後、当主は亡くなりました。
それだけであれば、偶然だったと忘れ去られたかもしれませんが、当主の葬式が終わった途端、今度はその長男、つまり跡継ぎが、同じような不明の高熱に魘されました。ここに至って、ようやく事の重大さに気付いた野島家のお婆さん、つまり先代の連れ合いが、祖母に相談にやって来たのです。

相談を受けた祖母は、すぐさま祠が有った場所の上(畳)を清めて、読経しましたが、とても手に負える状態ではなく、すぐさま『山口さん』を頼りました。しかし、話を聞いた山口さんも、
『私一人では、手に負えないかもしれない』
と、知人の霊能力者に協力を求め、二人で落武者の魂を鎮めたのだそうです。そのお陰か、長男は意識を取り戻し、命を取り留めたという事でした。

全快した長男が家を解き、祠のあった場所を外して、再建築したのは言うまでもありません。祠もずいぶんと立派なものを建て、今でも朝夕お参りしているとのことです。

このことがきっかけで、祖母の霊力の噂が広まり、簡単な相談事を受けるようになったのですが、むろん、これを、
『信じる、信じない』
は、勝ってです。しかし、野島家の悲劇は、私の地元では有名な事実ですし、山口さんらの尽力で長男が助かったのも事実です。
まあ、それでも信じない人が、
『全くの偶然が重なっただけだ』
と考えても、私はそれを否定はしません。

不思議な人々・その1:霊能力者山口さん-後

私が初めて出会った頃の山口さんは、70歳を越えている老婆だと思っていましたが、どうやらまだ60歳を少し超えたばかりだったようです。

山口さんが、その世界に入ったきっかけは、若い頃大病に罹り、医者から余命数ヶ月と宣告されたことによります。すでに夫を亡くしていた山口さんは、幼い娘2人を残しては死ねないと、その界隈で信仰を集めていた地蔵菩薩に信心したのだそうです。
そのとき、
『命を助けて頂いたら、さらに信仰を深め、人のために尽くします』
との誓いを立てたということです。

その甲斐があってか、一命を取り留めた山口さんは、誓いに従って、無料で人々の相談に乗っているのです。

さて、この老霊能力者との出会いが、私の大学生活を一変させた、と言った理由は、株式相場です。
私が2度目に訪ねたときです。山口さんの家には、テレビはなかったのですが、ラジオがあり、そのときも1度目と同じように、何やら早口で値段を言っていました。
そうです。短波で株式放送をしていたのです。

私の何か?との問いに、妹さんが株式相場だと教えてくれ、簡単な仕組みを説明してくれました。山口さんは、お姉さんのパートの給料以外に、株式相場でも生活費を稼いでいたようです。

話によると、山口さんの夢枕にときどき『神様のお告げ』とやらがあり、それに従って株式を売買しているのだそうです。儲けがどの程度かはわかりません。山口さんの『神様』への信仰、信頼ぶりからすれば、そのときの全財産を投資することも厭わなかったでしょうから、大儲けだってできたはずです。
もっとも、どのような大金を手にしたとしても、山口さんが贅沢な生活をしたとは思いませんが・・・・。

さて、株式に興味を持った私は、さっそく株に関する本を数冊買い求め、学校の勉強などそっちのけで読み漁りました。
詳細な仕組みが分かると、次はシミュレーションをしました。新聞の株式欄で適当に選んだ複数の会社の値段を追って行ったのです。適当といっても、誰もが知っている銘柄を各業種から選びました。

むろん、当時はインターネットなど有りませんし、今日のような株式に関する便利なソフトもありませんから、膨大な手間隙を掛けて分析するしかありません。そのようなことを中学2年生の頃から大学入学まで続けました。

すると、高校3年生の春だったと思います。何となく、株式には一定の法則のようなものがあることに気付きました。
チャートとか罫線とは違います。もったいぶるようですが、私独自の、いや他の株式本には論理があるのかもしれませんが、とにかくおもしろい原理現象を見出したのです。

そして、その理論に従って株式を分析して行くと、薄利ではありますが、低リスク、高確率で儲かることが分かりました。
それからというもの、私は高校にまで短波ラジオを持ち込み、休憩時間になるとそっと教室を離れ、イヤホーンで放送を聞くくらいに熱中していました。
卒業後に催された同窓会では、私が奇妙な行動を取るので、不思議というか気味が悪かったとクラスメートに言われるほどでした。

浪人時代は、ちょうど引き籠もりの状態でもあり、株式研究には打って付けでした。まあ、それが良かったのか悪かったのか、天から与えられた時間のようでもあり、皮肉な期間だったようにも思います。
ともかく、こうしてシミュレーションによって自信を得た私は、実践で腕を試したい欲求に駆られたのですが、当然先立つ資金がありません。
そこで、私は一計を案じ、あるところから資金を調達したのです。

あるところとは、私の両親です。
両親が私のために、何がしかの大学資金を用意しているのは知っていました。そこで、学費を除き、仕送りとして用意していた資金の中から、半分を一括でもらえないかと談判したのです。
交換条件として、その後は一切生活費の無心はしないと約束しました。両親にしてみれば、私の言を信用するなら、仕送り費用が半分で済むということになるわけですから、快く承知しました。
もっとも残り半分も、いざという時のために取っておいたでしょうが・・・・。

大学生になった私は、師の寺院に寄宿させてもらいましたが、師は費用その他の金銭を一切受け取られませんでした。ですから、親からもらった資金は、ほとんど格式投資に充当することができたのです。
両親にしてみれば、そういう事実は想像していなかったでしょうね。何がしかの謝礼をしているものだと、思い込んでいたでしょう。
いずれにしても、そうやって株式資金を手にした私は、さっそく株式の実践を始め、首尾よく儲けたというわけなのです。

『マドンナ・大学篇』で、大学生の私が、数百万円という大金を所持していた理由はそういうことなのです。

不思議な人々・その1:霊能力者山口さん-前

数年前、スピチュアルブームが真っ盛りの頃、霊能力者といわれる人物が、芸能人や一般人の相談を解決するというテレビ番組が流行っていましたが、彼らの霊能力の真偽はともかく、ごく身近に触れて育ってきた私の場合、霊能力者は、
『いる、いない』
というのではなく、
『特別な存在ではない』
という感覚でした。

以前、私の祖父の祖母、つまり私にとっての高祖母と祖母の二人は、霊能力があったと言いましたが、高祖母はともかく、祖母の場合は、私の物心の付く頃から、信心深い人でしたので、私は朝な夕な読経を聞きながら育ったせいか、まず宗教に対して、違和感や猜疑心を抱くことがありませんでした。
小学生の頃、祖母が周囲から相談を受け、『神様』と交信し、アドバイスをしていることを知っても、ごく当たり前のこととして、受け入れていました。

また、私の師は大変な荒行を積んだ『高僧』でしたから、身近にいた私は、師の霊的な力、あるいは神通力を垣間見ることが多々ありました。

むろん、これらを、
『信じる、信じない』
は、皆さんの自由ですし、実は私自身も、彼らが起こす現象が、
『霊的なもの』
なのかどうか、そしてその霊力は、
『特別な人間』
にしか備わっていないものなのか、分からずにいます。ですから、私は自分の目で見たままを書いて行きたいと思います。

今回、取り上げる人物は、私が育った地域では大変に有名な霊能力者で、名を山口・Iさんと言いました。

私が初めて山口さんと出会ったのは、確か中学校2年生の頃だったと思います。確かな記憶が無いのは、その頃はまだ精神の病に罹っていませんでしたので、私自身の相談事ではなかったからでしょう。
多分、7歳年長の長姉の結婚について相談しに行ったのだと思います。私は、日頃から山口さんの話を聞いていたため、興味があり同行したのだと思います。

私の生家から車で10分南下したところに、人口数万人の街があり、さらにそこから30分南下すると、人口十数万人の街があるのですが、山口さんの家は、その二つの街のちょうど中間地点の小さな町にありました。

町と言っても、山口さんの家は、少し辺鄙な場所にあり、四方を畑で囲まれていました。私は、山口さんの家を見た瞬間、子供心に、
『本物だ』
と思ったものでした。
なんと、私の目に映ったのは、バラック家に毛の生えた程度のみすぼらしい家だったのです。山口さんはこの地域を中心に、大変な数の信者?相談者を抱える有名人で、その数は3,000人?とも考えられるほどでした。

3,000人?というのには意味があって、現在3,000人なのか、累積3,000人なのか、はたまた別の意味のある数字なのか、にわかには判明できないのです。理由は後で説明します。

ともかく、四畳半が二間と台所、風呂という小さな家で、トイレは外に別の小屋でした。
なぜ、3,000人?とも考えられる相談者を抱えながら、極貧生活だったのかと言いますと、相談者から一円たりとも金銭を受け取らなかったからです。

事実、祖母が相談したときも、一旦は祈祷料10,000円を神棚に奉納し、神様に報告をされるのですが、帰り際に必ず返されるのです。もし、返却を拒否すると、二度と相談を受けられなくなりますので、渋々ながら受け取らざるを得ないということです。

ただ、その代わりに、漁師は魚や干物、農家は米や野菜、勤め人はお菓子や果物などを持参しましたので、生活に困ることはなかったようです。
また、二人の娘さんがおり、姉の方はパート勤めをされていたようですので、光熱費などの雑費は彼女の給料で賄っていたようです。妹の方は、山口さんの身の回りの世話をしながら、おそらく後継の修行?というか、準備をされていたように思います。

さて、3,000人という数字についてですが、実は私が大学生のとき、つまり師の下で生活するようになってから、山口さん許を訪れ、相談しようとしたことがありました。
ところが、
『久遠ちゃんは、もうお上人の庇護の下にあるので、私の神様から手が離れているのよ』
と、断られてしまいました。
山口さんの話によると、彼女が信心する神様の能力は、3,000人が限度で、すでに満員だというのです。そこで、私が師に師事したのを契機に、私を手離し、新しい相談者を入れたということでした。

そうだとすると、山口さんは現在進行形で、3,000人の相談者がいるということになり、また相談者が亡くなったり、しばらく(何年かはわかりません)音沙汰がなかったりしても手離すそうですから、累計ともなれば、軽く万人を超えているでしょう。

ただ、その神様は山口さん一人が信心しているのか、他者もいるのかが不明なので、曖昧な言い方になってしまったのです。
おそらくは、私の守護霊様である、『正一位月光地主大明神』様と同様、山口さんの個人的な守護霊様か何かだと思われますので、相談者の数を見ても、大変な霊能力者だということが分かると思います。

さて、この山口さんとの出会いは、ある意味で私の人生を変えてしまうことになりました。というのは大袈裟ですが、私の大学生活が一変したのは事実です。

怪奇現象

昨日のホテルでの出来事を書いていて、あることを思い出しました。

以前、私には霊能力がなく、霊を見たこともないと書きましたが、一度だけそれらしき現象に遭ったことがあるのです。

 

それは、東京の新宿にあるホテルでのことでした。

その頃は、得意先の近くにあるホテルを定宿にしており、フロントの従業員とも顔見知りになっていました。

 

ある日、急に宿泊することになり、予約をせずにホテルへ向かったのですが、あいにく満室とのことでした。

ただ、フロント係が、

『ちょっと狭いのですが、その部屋で宜しければ、半額の料金で結構です』

と言ったので、私は一も二もなく了承しました。どうせ、一晩だけですから、少々狭くても料金が半額なら・・・・と思ったのです。

 

確かに、その部屋は変わっていました。普通?というか、部屋は廊下を挟んで両側に設計されていると思うのですが、その部屋は廊下の突き当たりにあったのです。通常であれば、非常階段がある場所です。

確かにいつもの部屋より狭かったのですが、不自由というほどでもありませんでした。

その夜も六本木で飲食し、ホテルの部屋に戻ったのは0時過ぎだったと思います。シャワーを浴びて、ベッドに入り、ビールを片手にテレビを見ていたのですが、いつの間にかウトウトとしていました。

 

そのときです。

『ドンドン、ドンドン』

と、扉を叩く音がして、目が覚めたのですが、男性の声で、何か喚いているのです。

英語ではありませんでした。フランス語でもドイツ語でもなく、中国語でも韓国語でもありませんでした。中東のアラビア語か、アフリカの諸国のどこかの言語のようでした。

 

時計を見ると、1時過ぎでした。

私は知人の部屋を間違えているのだと思い、扉の前に立って、日本語で、

『何ですか?』

と言いました。日本語が通じるかどうかは不明でしたが、とにかく声を聞かせれば、間違いだと気付くと思ったのです。

 

ところが、外からの反応がないので、というより何となく、外に人がいる気配がなかったので、覗き穴から外を探ると、やはり誰もいませんでした。部屋は廊下のどん突きにあるわけですから、外はかなり遠くまで見渡せたのですが、人の姿は全くありませんでした。

私は、

『どこかの部屋に入ったのだろう』

と思い、ベッドに戻り、眠りに戻りました。

 

すると、再び、

『ドンドン、ドンドン』

と、扉を叩く音がして、また目が覚めました。そして、やはり理解不能の言葉を喚く声が聞こえました。

私は、

『近くの部屋の誰かが、悪戯しようとして部屋を間違えているのだ』

と思い、フロントに電話して事情を話し、

『このフロアーに外国人は宿泊していないか』

と、訊ねました。

ところが、どうもフロント係の歯切れが悪いのです。戸惑いを見せているような、言い訳をしているような・・・・。

 

しかし、それ以上フロント係を問い詰めても、どうにもならないので、そこで受話器を置きましたが、しばらくすると、今度はフロント係がやって来て、

『部屋を用意しました』

と言うのです。

『確か、満席だったはずでは?』

そう聞き返すと、

『スイート・ルームをお使い下さい』

と神妙な顔付きなのです。

時間を確認すると、3時近くになっていましたので、いまさら部屋を移っても、朝まで4時間ほどの滞在です。

『結構です』

と、私は断りました。

その後は何もなかったのですが、後々になって考えてみたとき、あれは霊現象ではなかったのか、という思いに至ったのです。

その場で、気付いていれば、迷うことなく部屋を移っていたでしょうね。

 

 

一期一会

茶会の心得から、一生に一度限りであることを表す言葉ですが、私とある人物ともこの一期一会の出会いでした。

私が、東京へ出向くことが多かった頃でした。ホテルは永田町近くの『キャピトルホテル・東急』でした。食事は、主にホテル内の寿司屋を利用していたのですが、さすがに場所柄ですね、大臣クラスの議員を何度も見かけました。

ある夜のことでした。いつもは連れがあるのですが、その日は私一人で寿司屋のカウンターに座っていました。珍しいこともあるもので、私以外の客は外国人ばかりでした。

そこへ、見るからに『金持ち』風の中年男性やって来て、左右を見渡すと、一席空けて私の横に座りました。

ちなみに、この頃までの私は、寿司屋でも滅多に寿司を食しませんでした。最後に、巻き物を少々食すだけでした。おかしな話だと思われるでしょうが、漁師の子供として育った私は、毎日三食、新鮮な魚を食していましたので、生簀以外の、すでに捌かれた切り身を食する気にならなかったのです。むろん、新鮮なことは分かっているのですが、生きた魚を目の前で捌かない限り、口に入れる気になりませんでした。

今は、そのような贅沢なことは言ってはおれませんので、もうなんでも食します。

私が鮑やサザエの造りのみを食していることに、興味を持ったのでしょうか、その中年紳士はチラチラと私に視線を送っているようでした。

そして、何度目かのときに、私が横を向いて目と目を合わせると、男性は満を持したかのように、

『あのう、タバコを吸っても良いのでしょうかね?』

と、問い掛けてきました。

私は、カウンターに置いてある灰皿に視線を送り、

『大丈夫でしょう』

と、答えました。

すると、中年紳士は、

『それは分かっているのですが・・・・』

と言って、外国人客らに視線を送ったのです。喫煙に関しては、外国人の方がより敬遠する傾向がありますので、男性はそのことに気を使ったのです。

 

そこで私は、機転を利かし、

『では、私にも1本下さいませんか?』

とタバコを所望して、二人に一緒に吸うことにしたのです。

普段は一切タバコを吸わない私ですが、飲酒したときは稀に吸うことがあります。もっとも、煙を肺まで吸い込むことは無く、口に含むだけですので、手持ち無沙汰を紛らわす小道具といったところでしょうか。

さて、それをきっかけにして話が弾み、男性は身の上話までするようになりました。余談ですが、何の取り得もない私なのに、どうも年長者には好かれる傾向があるようです。性格的に、媚を売ることは無く、それどころか、気後れもせずにズケズケと物を言うことが、却って気に入られたようです。

 

この中年男性にも気に入られたようで、しきりに、

『この後、銀座に飲みに行こう』

と誘われました。

私には、その後の予定が無かったのですが、身の上話から、中年紳士はこの夜、愛人と密会する予定だということを知っていましたので、私は何度も遠慮しました。

 

この中年紳士は、『大手設計事務所』の社長で、一週間に一度、このホテルで愛人と夜を共にしていたのです。まるで、『渡辺淳一』の小説の設定そのものでした。

ともかく、私は気を利かして何度も断ったのですが、あまりにしつこく誘うので、これ以上断ると却って失礼に当たると思い直し、とうとう彼の行き付けのクラブへ同行することにしました。

 

お店では、取り立ててどうこういうことはありませんでしたが、ママの話から、彼は日本でもかなり有名な大手設計事務所の二代目で、相当な資産家だということが分かりました。ですから、中年男性は二十三時頃帰宅しましたが、私は遠慮をすることなく閉店まで飲んでいました。むろん、中年男性との交誼はその夜一度切りでした。

ただ、これだけのことでしたが、私の人生を振り返ったとき、同種のことが多々ありました。私にとっては、まさに一期一会で出逢った人々との縁を大事にしているだけなのですが、周囲の人たちにすれば、たまたま飲食店などで同席になった見知らぬ人と、一言二言言葉を交わすことはあっても、それから銀座のクラブに誘われることなど考えられない、ということだそうです。

 

そうですね、仮に私が騙されていたとしても・・・・・たとえば、男性が料金の支払いを済ませずに帰宅してしまった場合などですが、私は常にそういうケースも想定していて、自腹を切る腹積もり、いやもっと言えば、相手が逃げない場合でも、私が支払う覚悟でいます。だからこそ、思い切った行動を取ったのかもしれません。

 

 

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