師との出会い

日本最尊敬列伝
第二回は、やはり私の恩師について話したいと思います。

 

題して、『日本最尊敬列伝』とでも言いましょうか、私が最も敬愛し、尊崇していた人物について書きたいと思います。少々長くなりますが、お付き合い下さい。
私と師との出会いは、第一回(安岡正篤氏についての記述)にも記しましたが、祖母の縁に寄ります。この祖母の縁というのが、少々複雑なのです。

まず、祖母の連れあい、つまり私の祖父は父母ではなく祖母に育てられました。私の祖父の祖母ですから、私の高祖母ということになります。

高祖母は作州、今の岡山県に嫁いでいましたが、祖父が幼い頃、曾祖父母が相次いで他界した為、実家に戻り祖父を育てたのです。高祖母には兄弟がおり、家を継いでいましたが、突然渡米してしまっていたため、高祖母が人肌脱いだということなのです。

 

ここで、少々オカルトっぽくなりますが、高祖母は大変に霊感の強い人だったそうです。

ある夜、高祖母の夢枕に落武者が立ち、こう言ったそうです。

『拙者は、尼子家臣○○××だが、裏の敷地に埋もれておる。掘り出して遺骨を敷地内に埋葬してくれたら、未来永劫、子孫を加護する』

尼子というのは、室町時代中国地方の広範囲を支配した守護大名です。尼子氏は、中国地方全域を支配していた大守護大名の大内氏を破り、その勢力を拡大して行きましたが、後発である毛利元就に破れ、滅亡しました。高祖母の夢枕に立った落武者はその尼子の家臣だというのです。

翌朝、高祖母は隣家の許可を得て、言われたとおりに掘ってみると、確かに人間の骨と武具らしき残骸が出土したので、屋敷の北西の角に祭って丁重に供養したそうです。

高祖母の信心が厚かったのか、後に、この供養地蔵は『正一位月光地主大明神』という高位を授かることになります。

正一位とは、昔の官位で上から、正一位、従一位、正二位・・・・となります。よく時代劇で、将軍が天皇から官位を授かるときに使われるのと同じです。つまり、神様の世界も位というのがあって、高祖母は祭った落武者は最高位まで上り詰めたということになります。

この供養地蔵が正一位に出世?していることを教えてくれた人は、これがまた高名な霊媒師?的な方でした。この人物もユニークな方でしたので、いつか書きたいと思いますが、ともかく私の屋敷の地蔵菩薩様は、大変な力を有する神様になられたというわけです。

余談ですが、人間を祭った仏様がなぜ神様の位を授かるのか?ということですが、それは本来我が国土着の神々に対する信仰と新興勢力である仏教が敵対するのではなく、融合、調和していった『神仏習合』の産物といったところでしょう。

むろん、地蔵菩薩は今も残っており、帰省した折には私も参拝します。

 

さて、高祖母が亡くなるとき、祖母に『地蔵菩薩さんを丁重に祭るように・・・・』との遺言を残しました。それまでの祖母は、それほど信仰心があったわけではありませんが、昔の人は実直ですから、高祖母の遺言を忠実に守ったのです。そのうち、信仰心がどんどん厚くなって行き、とうとう毎朝夕、神棚と地主さんに読経するようになりました。

祖母は96歳で亡くなりましたが、幸い認知症を患うことがなかったせいか、亡くなる直前まで経を暗記していました。これには私も恐れ入ったものでした。

 

ところで、落武者の言った加護らしい逸話を一つ。

私が母のお腹にいるとわかったとき、母は体調が悪く、医者から絶命の危険があるので、堕胎するよう勧められましたが、母は何としても私を生みたかったらしく、命を賭けて生む決意をしました。高祖母から落武者の言葉を聞いていた祖母は、それを信じ地主さんへの一層の信仰に努めました。その甲斐あってか、母子共に無事に出産し、今の私があるのです。

 

その私は、高校時代に精神の病に罹りました。今で言えば、引きこもりといったところでしょうか、そのせいで一浪し、二浪も確実な状況になりました。心配した祖母は、霊験あらたかと聞けば、足を運んで祈祷をしてもらいました。気が向けば、私も同道しましたが、いっこうに回復の兆しが見られませんでした。

 

そのような、二浪も覚悟した年末のことでした。祖母の耳に、近くの町のお寺に、大変な荒行を終えた高僧が寄院されているという噂が入りました。

なんでも、その高僧が最寄りの駅に降り立つや、一目尊顔を拝したいとの信者で溢れており、お寺までの道路脇も人並みで途切れることがなかったということです。

その高僧こそが、私の師だったのです。

 

祖母はさっそく、そのお寺に電話をし、師との面談を懇願しました。というのも、信心深かかった祖母は、宗派が違えども年中行事には必ず参拝しており、住職とは面識があったからです。実は、住職は師の実父であり、祖母に同行して、私も一度面談したことがあったのですが、残念ながら住職の法力では、私の病気は平癒しませんでした。

 

忘れもしません。年も押し迫った12月29日でした。大雪の降る中、私と祖母はお寺の山門を潜りました。

応接間に通され、すでに着座されていた師を見たとき、大袈裟でもなんでもなく体中に電流が奔ったような衝撃を受けました。

私は心の中で、『この方だ!この方が私の病気を治して下さる!』と叫んでいました。

正直に言うと、師との会話は憶えていません。というより理解出来なかったという方が正確でしょう。

仏教の世界観と論語の一説だったと思いますが、それが理解できたのは、数年も後のことでした。

師は会話の最後に、『年が明けたら私の許に来ないか?』と言われ、

私は躊躇することなく即座に『はい』と答えました。横にいた祖母は、呆然と眺めているだけでした。祖母だけでなく、家に帰った私を家族全員が、私が『生まれ変わった』と確信したそうです。

 

師との約束どおり、正月が過ぎると、すぐに大阪の師の自坊に寄宿したのですが、そこでいきなり仰天の事態が待ち受けていました。

もうとっくの昔に時効ですから、正直に話しますが、師と出会うまでの私は、東京の私立大学の文系に、師と出会ってからは、大阪のそれに方針を変えたのですが、いずれにせよ国語と日本史には自信があったものの、英語が苦手でした。

そのことを私から聞いていた師は、家庭教師を用意して下さったのですが、その方は私が進学を希望していた大学の文学部教授だったのです。しかも、受験問題作成担当の一員という曰く付きです。

誓って言いますが、受験問題の漏洩は一切ありませんでした。ただ、先生から憶えておくようにと渡された単語リストは役に立ったと思います。

お陰様?でしょうか、試験は概ね出来が良く、自己採点では、国語は3問、日本史は1問のみの不正解で、英語はたぶん80点ぐらいだったと思います。十分に合格点だったと思いますが、帰宅した私はさらに驚愕することになるのです。

試験の出来を問われ、

『良く出来ました』と答えた私に、師は、

『君は合格したよ』

と、涼しげな顔で言われたのです。

私は、一瞬何をおっしゃっているのかわかりませんでした。そして、次の瞬間、未来を見通す『神通力か?』と思いました。

というのも、またオカルトっぽくなりますが、信仰心を強めて行った祖母は、徐々に霊感が開花したらしく、読経の際に神との交信が出来るようになって行きました。家族や親戚の相談に乗り、たとえば高校や大学受験などの合否を当てるようになっていたのです。もっとも、受験などは合格する自信のある学校を選択する訳ですから、50%以下の確率であろう事例を言い当て、いわゆる奇跡を起こしたというわけではありません。

ともかく、祖母でさえそのような力があるのですから、本格的な修行を終えた高僧であれば、どのような神通力があるとも限らないと考えたのです。

 

ですが、事実は違いました。

師はあっさりと、

『受験前に、理事長と話は付いていた』

とおっしゃったのです。

何のことはない。私は受験前に、すでに理事長枠で合格していたのです。しかし、そのことを受験前に私に知らせると気を緩めるので、黙っておられたということなのです。

ですから、私は正規に合格点を取ったかどうかわからず仕舞いで入学することになりました。

 

さて、寺院での寄宿生活ですが、これがまた奇想天外なものだったのですが、それもまた追々書いて行きたいと思います。

 

Copyright © All Rights Reserved · Green Hope Theme by Sivan & schiy · Proudly powered by WordPress