田原総一郎と川淵三郎

日本最あっぱれ列伝

今回は、前回の『喝』の裏返しで、『あっぱれ』を取り上げたいと思います。

題して『日本最あっぱれ列伝』です。

 

『あっぱれ』となると、これまた候補は多数なのですが、前回のテーマだった『マスコミ』繋がりという観点から二名を取り上げました。

 

ジャーナリストの田原総一郎氏と、日本サッカー協会名誉会長・川淵三郎キャプテンです。

田原総一郎氏は理解できるとしても、川淵Cがなぜ?と思われるかもしれませんが、ちゃんとマスコミ繋がりの『あっぱれ』があるのです。

 

 

まず、田原総一郎氏です。

民主主義の根幹の一つに『言論の自由』というのがあります。日本は、中国や北朝鮮などの独裁国家とは違い、政権批判を始め、自分の主義主張を自由に述べることができます。むろん、自己責任の許に差別的な言葉や、名誉毀損には注意しなければなりませんが・・・・・。

しかし日本にも、ほんの二十数年前までは、この当たり前である言論の自由を標榜する裏で、厳然として公に論ずることが出来ない『タブー』が存在していました。

 

天皇(皇室問題)、宗教(カルト集団)、被差別部落、北朝鮮、暴力団・・・・これらのテーマについて、とくにテレビ局は自由に発言が出来ない状態でした。

何か一言でも批判しようものなら、それぞれ右翼団体、当該宗教団体、部落開放同盟、朝鮮総連、当該暴力団から圧力が掛かるからです。

テレビ局だけではなく、役員や制作担当者の自宅まで押しかけ、恐喝や嫌がらせを繰り返すため、面倒なことは避けたいという思惑から、自主規制を行っていたのです。

 

その分厚い壁を打破したのが、まさしく田原総一郎氏です。

ご存知の通り、今でも毎月放送されている『朝まで生テレビ』の放送開始です。当初は、深夜の1時ぐらいから、朝の6時くらいまで生討論をしていたと思います。この討論番組の中で、それまでタブーとされていたテーマを次々と取り上げていきました。

 

おそらく、相当な圧力が掛かっていたと推測されます。文字通り命懸けの挑戦だったと思います。それにも拘らず、果敢に切り込んでいった同氏の勇気には頭の下がる思いです。

むろん、同氏だけではなく、出演者や制作スタッフの勇気や苦労にも拍手です。

 

田原総一郎氏がいなかったら・・・・などと言うつもりはありません。同氏がやらなければ、いずれ誰かがやったことでしょう。しかし、五年から十年ぐらい遅くなったことは確実です。

そういう意味で、田原総一郎氏に『あっぱれ』です。

 

次に川淵三郎Cですが、

その前に、現在の日本のプロ野球界をどう思いますか?

最近、巨人がドラフト一位選手に高額の契約金を支払っていたことが暴露されました。

巨人サイドは、契約金、1億5000万円+出来高、5000万円は緩やかな基準にすぎず、上限ではないという苦しい抗弁をしましたが、仮にその言い分を認めたとして、基準が1億5000万円であれば、常識的な上限はいくらぐらいが妥当でしょうか。

 

人それぞれに思い浮かぶ額があるでしょうが、まさか7億から10億というのは想像外でしょう。倍額の3億というところが常識的な線ではないでしょうか。

つまり契約金、1億5000万円+出来高、5000万円というのは、世間の批判を逸らすための方便であり、実態は無制限だったというのが真実でしょう。

 

さて、ドラフトに纏わる暗部は、これに限ったことではありません。ともかく、巨人が自らの利益のために好き放題にごり押しをしてきた歴史があります。では、何時から巨人はこれほどまで傲慢になったのか。それは、渡邉恒雄氏が巨人のオーナーになった時期と見事に合致します。

氏はドラフト改革だけではなく、セパ交流戦、球団買収とさまざまな問題で物議を醸してきました。その反動から、巨人人気の凋落、視聴率の低迷、プロ野球の衰退いう結果を生み出したことも周知の通りです。

日本プロ野球は、故正力松太郎氏が創設し、巨人軍がその人気を牽引してきた功績は認めます。しかし、これだけ民主化が進んだ世の中にあって、巨人の相も変らぬ主人然とした態度には辟易します。

 

日本サッカー界は寸でのところで、そのプロ野球界の二の舞になるところだったと言えば、信じてもらえるでしょうか?

少々大袈裟かもしれませんが、その危険性は大いにあったのです。その窮地を救ったのが、まさに川淵三郎Cだったのです。

 

それは、Jリーグ発足前のことです。

クラブ名に企業の冠を付けるかどうかで、Jリーグ側と読売ベルディが対立しました。地域密着型を志向するJリーグ機構と、企業名を前面に押し出す読売ベルディ。

読売ベルディの親会社は、日本テレビ放送網。同局は、読売新聞グループの一員です。そうです、読売ベルディの主張は渡邉氏の意向に沿ったものだったのです。

 

この報に触れたとき、私は絶望的な思いになりました。

『これで、サッカー界もプロ野球界と同様、読売グループの玩具になる』と。

それはそうでしょう。何と言っても、渡邉氏は世界一の発行部数を誇る大読売新聞の会長。方や川渕氏は、当時はせいぜい上場企業の部長程度の貫目しかなかったのですから、到底抗することなど出来ないと思うのが当然です。

しかも、読売側はセパ交流戦や球団買収騒動時にも使った、例の『連盟を脱退して、新リーグを創る』と息巻いて、川淵Cを恫喝したのですから、尚更です。

 

ところが、私は心地良い裏切りに遭いました。なんと、川淵氏は最後まで恫喝に屈することなく、企業名を外すことに成功したのです。

肝心な点は、企業名を付けるか外すか、ということもさることながら、このとき読売グループの恫喝に屈しなかった、つまりどのような横槍にも応じないことを世間に知らしめ、日本サッカー界のクリーンなイメージを定着させたことなのです。

 

結局、日本テレビは東京ベルディの株を放出し、当クラブは衰退の一途を辿ります。

レジェンド・三浦カズ、カリスマ・ラモス瑠偉、闘将・柱谷、突貫小僧・北澤、そして夜のハットトリッカー・武田・・・・彼らを擁して一時代を築いた栄光あるベルディは、今やJ2に低迷しています。

 

その後の川淵Cの業績には、賛否両論があるのは承知していますが、たとえ多少の失点があったとしても、あのときJリーグを読売グループから救った功績に免じて、氏に『あっぱれ』と言いたいと思います。

 

 

個人的には、二人ともあまり好きなタイプではありませんが、個人の感情とは別にして、彼らを賞賛したいと思います。

 

マスコミ

日本最喝列伝

今回は、日本のマスコミについて私見を述べたいと思います。

題して『日本最喝列伝』です。

『喝』、TBS・サンデーモーニングのスポーツコーナーで張本氏が喚く言葉ですが、私はマスコミに『喝』をします。

 

なぜ、マスコミが『喝』なのかと言いますと、マスコミは第四の権力だという自覚が無く、その使命を果たしていないからです。

 

さて、マスコミを取り上げるからには、いい加減なことは書けません。私見とはいえ、本腰を入れて批判するつもりですので、当然今回だけでは収まりません。今後、数回に渡って批判を展開して行くつもりです。

 

まず、大前提として、現在の状況を見れば、日本はあらゆる分野で制度破綻を起こしているのは周知のとおりです。

三権・・・・立法府である国会(政治)、行政(官僚)、司法はむろんのこと、経済界、芸能界、スポーツ界とほとんどの世界で腐敗と幼稚化が進み、このままでは日本の地盤沈下は止め処が無いでしょう。

 

一言で言えば、戦後復興システムの金属疲労であり、それを修復できない無能で無責任な政治家を持った国民の悲劇と言えるでしょう。さらに言えば、明治以来の中央集権システムが終焉しているにも拘らず、それに目を伏せてきた、あるいは自己保身に奔走し、政治家を誑かしてきた高級官僚の謀略の結果でしょう。

 

それに拍車を掛けて来たのがマスコミです。この場合のマスコミというのは、大新聞、テレビ局を指します。

 

本来権力の番人であるはずのマスコミの体たらくは、犯罪であるとさえ言えます。

何が犯罪なのか?

政治家をあるいは官僚を批判せず、彼らの言い分をそのまま垂れ流していることです。

これはもう絶望的な状態にまで腐敗しています。

 

また、真実を報道しない。いや百歩譲って真実まで追求しなくても良いとしましょう。だが、事実はすべからく報道しなくてはならないのに、それをしない。むろん、取捨選択はあって然るべきですし、より社会的に影響力のある事柄を優先するのも当然です。

 

しかし、今のマスコミの報道基準は自社の利益に資するかどうかという一点で判断しているような気がしてならないのです。己の不利益になることは一切口を噤む。たとえば、自社社員の犯罪は一切報道しない。自社どころか、同業他社の不祥事もなかなか報道しない。つまり、明日は我が身ということで、談合しているのです。

 

いかに民間企業であり、利益を追求するのが本分とはいえ、マスコミはただの民間企業ではありません。国民に事実を知らせる使命というものがあるはずです。彼らは、その意識がほとんど無いといっても過言ではないでしょう。

 

また、強い者には屈し、弱い者は必要以上に批判する。

些末な例ですが、少し前にある人気アイドルグループの一員の家族が不祥事を起こしました。軽犯罪で警察に逮捕されたのです。ですが、このニュースは一切報道されませんでした。本人が罪を犯したわけではないので、報道しないならそれでも良いでしょう。

ところが、同じような事件で、他の芸能人の家族の場合は報道されています。

となると、基準はいったいどこにあるのか?という疑問が浮かびます。タレント自身に人気があり、所属事務所あるいは関係者が、マスコミに影響力があれば看過するのではないか、という穿った見方をせざるを得ません。

 

島田紳助氏の問題もそうです。本当にマスコミは、彼と暴力団の関係を知らなかったのでしょうか?

知っていて、テレビ局は自社の番組に穴が空くのを恐れ、あるいは所属事務所の力を恐れ、暴力団を恐れ、目を瞑っていた。これが真実なのではないでしょうか。

 

いや、そういう理由で看過していたのなら、それは『可』としても良いでしょう。私だって、暴力団は怖い。サラリーマンですから、暴力団の恫喝に安い給料は見合いません。

しかし、そうであれば、是非『当社は、強い事務所には屈します。暴力に屈します』という看板を掲げて放送したり、新聞を発行したりしていただきたい。

 

私が嫌悪を抱くのは、実際はそうでありながら、まさに正義面をして、報道していることです。厚顔無恥とはこのことです。

 

彼らはまた、圧力団体を恐れ、事実を報道しないこともありますし、強力なスポンサーの不祥事も看過したり、極々短めな報道に終始したりしたこともあります。

 

いったいどこの国の報道機関かと疑うほど、他国の目を気にし、あまつさえ彼らの意思の

代弁までもする。

 

最も重要な使命であるはずの政治権力に対しては、批判どころか迎合する始末。

 

このように、この問題は根が深く、今回は取っ掛かりとしての表層的な批判に抑えました。次回以降はもっと深く掘り下げて行くつもりです。

 

 

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