師の死-悔恨

日本最悔恨列伝

『日本最○列伝』などと、最上段に構えてしまったため、内容が表題から逸れることが多く、恐縮しています。今回も逸れてしまいますがご了解下さい。

 

私には、今もって傷の癒えることのない痛恨事を犯しています。一生、忘れることのない後悔の念が、澱となって心底に横たわっています。

 

題して『日本最悔恨列伝』です。

 

師は、すでに十五年も前に他界されています。

若くして厳しい荒行を達成され、総本山の役員も務め上げられた後、師は下山されました。

下山後も、師は順調に出世?され、五十代前半で京都のある本山の執事長に就任されました。他宗派はわかりませんが、師の宗派では大変に異例の人事でした。というのも、執事長に就任するということは、貫主の後継者と認められたということだからです。もし、五十代で本山の貫主就任となれば、これまた異例中の異例なことでした。

 

 

ところが、手続きの不備から、一転師の貫主就任は混迷を極める事態になります。横槍が入いったため、泥沼の暗闘が繰り広げられたのです。その過程で、欲の無い師は貫主の座を先方に譲ろうとなさいましたが、すでに師を取り巻く思惑がそれを許さず、師は心労のあまり体調を崩されました。

 

結局、師はどうにか貫主の座に就かれましたが、わずか二年後に心労で崩された体調が尾を引き、この世を去られてしまわれたのです。

暗闘の間、師の傍らで経緯をつぶさに見ていた私は、宗教の世界も、いや宗教の世界だからこそ余計に、権力、名誉欲丸出しの横槍に辟易したものです。

『・・・・たら、・・・・れば』と言っても詮無いことですが、もしあの横槍がなかったら、すんなりと師が貫主に就かれていれば・・・・と思うと今も残念でなりません。

ですが、私の悔恨というのは、そのことではありません。私が悔いているのは、師を手助けすることができなかったということです。

いや、宗教上の事に私の出る幕はありませんから、せめて傍らに居た私が師の体調管理に注意をすべきだったと後悔しているのです。師の明らかな体調の異変に、私は気付いていました。気付いていて、ありきたりの気遣いしかしなかったのです。強引に検査をするよう進言しなかったのです。おそらく師は病院へは行かれていないと思われます。

 

正直に言えば、師より私の方が、『五十代で貫主就任・・・・』という冠に拘っていたのです。政治家と同様、病気というのは貫主就任に致命的になります。また、もしこの機会を逃せば、今度は何時チャンスが巡って来るかわからない世界だということも、私にそうさせた要因でした。

 

師の死後、精神的支柱を失った私は抜け殻のようになり、やる気を無くしました。人生の目的を無くし、ただ無為に日々を送っていました。そのような私に、今回の試みを進言してくれたのが、長年の知人・友人であるN氏でした。

 

数年前、ある事で久しぶりに再会したN氏とは、その後定期的に酒を酌み交わすことになったのですが、その折、私が見聞きしたことをブログに書いてみたらどうだ、とアドバイスを受けたのです。

 

正直、当初はやる気がなかったのですが、体調を崩したとき、ふと『もし、このまま死んでしまったら、親、兄弟、親戚たちは、私を誤解したままになってしまう。私の死後、彼らが私の真実の生き様を知る術を残しておきたい』との思いが過ぎりました。

 

そこで、ブログを書くことにしたのですが、その過程で小説も書き始めたということなのです。プロではありませんから、拙い文章ですが、読んでいただけたら幸いです。

上記の師の貫主就任時の暗闘も小説『黒い聖域』として執筆中です。いずれ機会があればアップしたいと思います。

 

 

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