マドンナ・その1

ゴールデン・ウィークが始まりましたね。

私は、今年も出掛ける予定がなく、虚しくPCと向かい合っています。

 

折角の連休初日なので、あまり堅苦しい話題は止めました。と言っても、この話題も鬱陶しいだけかもしれませんが・・・・。

 

題して『日本最美少女列伝:マドンナ・その1』です。

 

マドンナ・・・・これも死語なのでしょうか?

男子の誰もが憧れる存在。彼女にしたいが、高嶺の花で、声を掛けることすらできない。マドンナとは、そのような存在でしょうか。

ただ、美形というだけでなく、知的で近づき難いオーラを纏い、出来ればスポーツも万能。これだけ揃えばもう十分ですが、さらに駄目を押すとなると、深窓のお嬢様という肩書きでしょうか。

ここまでハードルが上がると、滅多なことでは出会えませんが、実は高校時代、私はこれらの条件を全て満たした女性に出会ったのです。

 

目鼻立ちの整った正統派の美人。

身長は165センチほどで、スラリとした体型ですが、豊満な胸。

色白でロングヘアー。

そうですね、女優に例えるなら、古くなりますが、映画『愛と誠』の愛役の池上季実子をもっと整った顔立ちにした感じですね。
(TVを見ていたら、Going!Sportのお天気コーナーの『佐藤ありさ』をもう少し整った顔立ちにした感じですかね)

 

しかも、深窓のお嬢様という点では、祖父が重要閣僚や自民党の役職を務め、叔父は内閣官房長官や自民党の幹事長を務めた大物議員という、正真正銘、生粋の良家のお嬢様でした。

その、彼女との不思議な関係。精神の病に罹っていた私に、神からのプレゼントのような出来事。

今回は、私のノスタルジーにお付き合い下さい。

 

私が通った高校は、県下一の名門進学校で、東大の前身である東京帝国大学より前に創設されたほどの歴史を持つ伝統校でした。

上位の100番目だったか、200百番目までだったか、テストの成績上位者が張り出され、学力によってクラスが再編成されるという高校でした。3年生の1学期までに、教科書は全て終了し、以降はひたすら学校側が作成した予想問題集を解いていました。

 

夏休みは、前後それぞれ1週間から10日間削られ、3年生のときは、通常の6時限+補修の2時限、合計8時限の授業を受けていました。補修科目は選択制です。

当然、修学旅行などはありません。ただその分、体育祭と文化祭は大掛かりに行われていました。

 

私が初めてマドンナと出会ったのは、むろん入学してからですが、親しく言葉を交わすようになったのは、2年生のとき同じクラスになってからです。

1年生のときに、彼女の噂はいろいろとで出回っていましたので、実際に同じクラスになったときは、彼女でもないのに胸がときめいたのを憶えています。

 

さて、1学期の初日の事でした。彼女が同じクラスになったことで、少なからず興奮を覚えていたところに、この日とんでもない事が起こったのです。

朝礼の前に席替えを行ったのですが、なんと彼女が私の隣の席になった男性と代わるよう願い出て、私の右横の席に着いたのです。

『どういうこと?』

明らかに彼女の方から私に近付いて来たのですから、頭が混乱するのも無理はないでしょう。

『彼女は俺に気が有るのか?まさか・・・・』

噂で、彼女には中学校時代から付き合っている彼がいると聞いていました。私の目から見ても『ハンサム』な男性でした。その彼女が私に気があることなど有り得ないことでした。

 

ところが、授業の合間の休憩時間になると、今度は彼女から話し掛けて来るではありませんか。彼女から根掘り葉掘り聞かれ、私はますます舞い上がってしまい、とても授業どころではありませんでした。

 

そのような日が、しばらく続いた後、彼女があらたまった物言いになりました。私は、

『まさか、告白か?』

と、口から心臓が飛び出すかと思うくらい緊張しながら、彼女を注視していました。

すると、彼女は少しはにかみながら、

『安岡君(実際は本名です)って、A君と親しいでしょう?』

と言ったのです。

『そういうことか・・・・』

私が彼女の真意を悟るには、その言葉で十分でした。

 

Aと言うのは、私の中学からの大親友で、これまたとにかくかっこいい男でした。

そうですね、全体の雰囲気は若い頃の福山雅治でしょうか。顔立ちも彼と竹野内豊の良い点を合わせた感じと言えば言い過ぎかもしれませんが、それぐらい良い男でいた。

身長は180センチ、2年生ながらテニス部の主将を務めるほど人望があり、頭脳の方は成績によって再編成される9クラスの他に、特別に設けられた、3年間同じメンバーで過ごす、特級クラスの一員でした。

性格はといえば、それだけ恵まれていながら、傲慢なところが微塵もなく、温厚で人に気遣いのできる男でした。まさに、非の打ち所のない男だったのです。

 

私は小学校の頃からAに憧れていました。

サッカー、バスケット(ポートボール)、陸上競技・・・・6つの小学校対抗戦のとき、必ずAの小学校と私の小学校が決勝戦を戦ったのですが、彼はそのライバル校のエースだったのです。

私は、エースではなく2番手の位置付けでしたが、とにかくAはかっこ良かった。

私を始め、ほとんどの男子が前髪を額のところで揃える、『おかっぱ風』の髪型をしていたのですが,彼だけはやや長髪で、センター分けしていたのです。

 

中学時代、そのAと私は仲良くなり、特に3年生のときは、生徒会長になった彼が、私を議長に推薦したため、彼と2人で様々な行事を仕切って行きました。

成績、スポーツ、容姿、性格、すべてにおいて私を凌駕するAは、私にとってライバルなどではなく、憧れの存在であり、雲の上の男でした。

 

マドンナは、私にそのAを紹介して欲しいというのです。彼女は中学から付き合っていた彼と別れてまで、Aと付き合いたいというのです。

私にすれば、悔しいとか落胆とか嫉妬とかという感情はありませんでした。(いや、少なくともこの時点では、と注釈して置きましょう。)

ですから、私は喜んでマドンナにAを紹介しました。まさに、典型的な美男美女のカップルの誕生でした。

 

しかし、半年後の秋、マドンナと私は恋人同士になるのです。それはいったいどういうことなのか?

申し訳ありませんが、この続きはいずれとさせていただきます。

 

 

中野浩一

日本最真の偉業列伝

今回は、第十回ということで、『10』という数字に関わるテーマを取り上げたいと思います。

スポーツですと、『10』と言えば、サッカーや野球などの背番号が思い浮かぶと思いますが、そうではなくスポーツ選手としては、私が最も偉大な業績を挙げたと評価している、『中野浩一』氏について書きたいと思います。

 

題して、『日本最真の偉業列伝』です。

 

中野氏は、1977年から1986年まで、世界自転車選手権のスプリントにおいて、前人未到、空前絶後の10連覇を達成しました。むろん、彼以降更新されていない不滅の記録です。

 

自転車競技というと、日本ではあまり人気がありませんが、サッカーW杯、五輪と共にツール・ド・フランスが、世界三大スポーツイベントに数えられるほどのメジャースポーツであり、特に欧州ではサッカーと共に絶大な人気を誇ります。

ただ、人気があると言うだけでなく、自転車競技者は市民から尊敬の眼差しを受けるくらい社会的地位が高い存在なのです。

 

その自転車競技の世界大会で、10連覇を成し遂げた中野浩一氏の欧州での尊敬度は、並大抵でなく、日本人が想像を絶するもので、もはや伝説の域に達しています。

おそらく、日本人では知名度NO1のビッグネームでしょう。今でも、国際大会になると世界の自転車競技者は、まず中野氏に挨拶に出向き、必ずサインをねだります。彼らにとっては、それぐらいの憧れの存在であり、偉大な選手だったのです。

 

10連覇がいかに凄いことか・・・・。たとえば、ロンドン五輪・水泳の北島選手、もし金メダルを獲得すれば3連覇となりますが、単純計算で9年ということになります。これも凄いことに変わりはありませんが、ただ五輪は4年に1度ですから、その間の大会で常に世界一だったわけではありません。

事実、北島選手は世界選手権では破れたり、不参加で体調を整えたりしていました。柔道の野村選手も五輪で3連覇を達成しましたが、同様でした。

 

しかし、10連覇となると、その間体調を崩しても、故障してもアウトです。中野氏も体調不良や怪我があったことでしょう。事実、8連覇が懸かった1984年は、鎖骨を骨折し、一旦は癒え掛けたところに、レースで落車をして再び負傷してしまい、出場さえ危ぶまれました。ところが、なんと彼は無理をして参加したばかりか、その年も優勝し、記録を継続したのです。それが、彼の伝説化に拍車を掛けた一因でしょう。

 

しかし、このような偉業を達成しているのにも拘らず、彼は『国民栄誉賞』を受賞していません。

 

これまた反感を覚悟で言えば、スポーツ選手としての実績は、これまで受賞したスポーツ選手の中では一番で、あの世界のホームラン王の『王貞治』氏より上だと思います。

世界的に見れば、野球という競技は自転車競技よりマイナー競技であることや、ホームランの世界記録と言っても、選手レベルの差、球場の広さの違いなどの理由で、米国においては、それほど認知されているわけではないことが指摘できると思います。

 

野球関係者はそれなりの敬意を払いますが、一般国民は王氏の記録は知らないか、評価はしていないと思います。むしろ、イチローの方が断トツで評価されているでしょう。

なにしろ、同じフィールドで戦っていますから・・・・。

そうですね。イチローの『10年連続シーズン200安打達成』という記録も偉大ですね。

中野氏の偉業に匹敵すると思います。彼は辞退しましたが、当然国民栄誉賞に値します。

むろん、国民栄誉賞は記録だけでなく、広く国民に感動と勇気を与えることも受賞理由の一つですから、決して王氏の受賞にケチを付けるものではありません。

 

ついでに、他のスポーツの個人記録で、その価値を比較しますと、

 

野球:上記したイチローの『10年連続シーズン200安打達成+日米通算4,000本安打』。(これは達成可能)

サッカー:男子はバロンドールを2回受賞。女子は5回受賞。(連続でなくても良い)

男子サッカーは世界最高のスポーツであり、競技人口から鑑みると、一度でも受賞すれば偉業です。したがって、メッシは五回以上受賞するでしょうから、もはや人間業ではなく、神の領域に入っていると言っても過言ではないでしょう。

水泳:北島選手が、ロンドン五輪で3大会連続2冠達成したうえで、4大会連続2冠達成か、5大会連続金メダル獲得。(共に金メダル8個)

体操:内村選手が、五輪で3大会連続個人総合金メダル+種目別で金メダル合計6個獲得。(北京大会での個人で金メダルだったら、可能性は有った)

柔道:日本発祥のお家芸なので、五輪4連覇+その間の世界選手権を連覇。

といったところでしょうか。

 

あくまでも、中野氏の実績との比較であって、それ以下の成績でも十分受賞する価値はあります。

 

 

 

さて、それほどの偉業を成し遂げたのに彼が国民栄誉賞を受賞出来なかった理由は二つあります。

一つは、10連覇の価値そのものに疑問符が付いたことです。当時のスプリント種目は、旧ソ連などの共産主義国家で、国から報酬を受けて生活していた、いわゆるステート・アマが強さを誇っていた時代であり、プロのみの参加だった世界選手権の価値を疑問視する向きがあったのです。

 

しかし、世界規模の大会に、日本人選手が10年連続で出場することすら滅多に無い時代ですし、上記したように10連覇自体が至難の技であることから言えば、彼の偉業が著しく貶められることはないでしょう。

 

むしろ、もう一つの理由が大きかったと思います。

それは、当時はまだ『競輪=ギャンブル=裏社会との関連=悪』という連鎖のイメージが拭い去られていなかったことです。特に主婦の間で顕著だったと思います。

 

近年、公営ギャンブル界はクリーンなイメージ戦略に成功し、女性人気も博すようになりました。もし、彼の偉業の達成が今日であったならば、間違いなく国民栄誉賞ものでしたね。

 

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