日本サッカーの未来・その8:ダイヤモンド世代

本来、『く○マスコミ』がネーミングしたこの『○○世代』という呼称が、大嫌いな私なのですが、それを批判するためにも、また便宜上も使用することにしました。

最初に、○○世代と呼称されたのが、1999年のU-20Wユースで、小野、稲本、高原、小笠原、中田浩ら擁して準優勝したチームで、『黄金世代』と名付けられました。年代別とはいえ、日本がFIFAの主催する大会で2位という最高位の結果を出した大会でした。

『く○マスコミ』によると、その後日本は長~い長~い低迷期にあったそうで、次にネーミングされたのが、以前紹介しましたAFC・U-17選手権で優勝した柿谷らのチームで、『プラチナ世代』です。
『プラチナ』>『金』ということでしょうか。
ただ、その後この『プラチナ世代』という呼称は、すぐ下の宇佐美らの世代にも使用しています。この辺りがよく分からないところなのですが、一世代に限らないということなのでしょう。
ちなみに、『黄金世代』と『プラチナ世代』の間の低迷期を、彼らは『谷間の世代』と揶揄し、貶めて来ました。

そして、昨年U-17W杯でベスト8の成績を残したチームを『ダイヤモンド世代』と呼んでいるのです。
『ダイヤモンド』>『プラチナ』>『黄金』という評価ということのようです。
しかし、この『く○マスコミ』は、後に『ダイヤモンド世代』と呼称することになるチームを大会前には、どのように評価していたかと言いますと、『プラチナ世代』の柿谷や宇佐美のような絶対的エース、突出したタレントのいない『こじんまり』したチームというものでした。

私は、様々なサイトに、このチームは柿谷や宇佐美のような傑出したタレントがいないのではなく、皆が柿谷や宇佐美のレベルと同等かそれに近い、非常にレベルの高いチームである、とコメント入れていましたが、私の主張と、いかにマスコミが『く○』であるかが証明されたのが、U-17W杯でした。

この大会、準々決勝でブラジルと対戦し、2-3で敗れましたが、『~たら、~れば』を言っても詮無いことながら、試合会場のピッチが日本のストロング・ポイントである『パス回し』を封じ込めてしまう状態だったことが、敗戦の理由だと私は考えています。
実力的には、決勝まで進んでもおかしくないチームでしたし、FIFAからも称賛されたチームでした。

何と言っても、Gリーグはフランスとアルゼンチンが同組だったのですが、両国はこの世代の最強国であり、とくにフランスとはこれまでに2度対戦し、2度とも0-4とか1-5とか、ともかく大人と子供の試合のように圧倒されていました。体格自体が大人と子供の差があったので、試合内容もそうなったのです。

ところが、試合が始まってびっくり仰天です。なんと、あのフランスが日本相手に引いて守ったのです。私は目を疑いました。これまで子ども扱いをしていたフランスが日本チームをリスペクトし、引いて守り、カウンター狙いという、明らかに格下の戦法に出たのです。
結果は引き分けでした。

そしてアルゼンチン戦です。日本が3-1で完勝しました。この世代の日本が、公式戦でアルゼンチンに勝つことなど、前代未聞の快挙でした。負けたアルゼンチンの選手の多くが人目憚らず大泣きしていたのが印象的でした。
決勝Tの一回戦では、ニュージーランドを6-0と『ボコボコ』し、続く準々決勝・ブラジル戦で惜敗したのです。

さて、このチーム数多くのタレントを擁していましたが、これまでのチームと決定的に違ったのが、岩波と植田の2人のCBです。
これまでのチームは、日本人の身体の成長が、白人のそれに比べて2、3年遅いというハンディがもろに出てしまい、ハイボールで責められると全く勝てず、セカンドボールを拾われて押し込まれるという試合内容がほとんどでした。

ところが、この二人は16歳の時点で、共に身長が185cmもあり、加えて足元の技術も高く、1対1にも強いという、日本サッカー界が長らく待ち望んでいた理想のCBなのです。
加えて、岩波はロングフィードに長けており、これまでボランチを経由して、ゲームを組み立てることしかできなかったのが、彼の正確なロングパス一発で、一気に相手自陣の深い地点にボールを運ぶ選択肢を増やしました。
また、植田は中学時代、テコンドーの日本王者になるほど身体能力が高く、おまけに50mを6秒2で走るスピードもあるのです。本格的にサッカーを始めたのが高校1年ということですから、それこそあっという間に、年代別の日本代表にまで上り詰めたのです。
この先、どのような成長を見せるか楽しみです。
順調に成長すれば、中澤、闘莉王を上回るコンビになるのは必定でしょう。現に、破談となりましたが、岩波は今夏、オランダの強豪・PSVからオファーが有ったほどです。

この二人、今年18歳ですので、2014年のW杯には間に合いませんが、2018年のW杯のときには主力となっているでしょう。
2018年といえば、香川は29歳、柿谷、清武、酒井宏は28歳、酒井高は27歳、宇佐美、宮市は26歳です。
本田、長友は32歳になっていますが、十分戦力として見込めます。残るは、強力なFWの出現ですが、最悪の場合、本田を1トップにしても良いでしょう。
つまりは、2018年W杯大会こそ、日本サッカー史上最強の布陣で臨み、ベスト4以上が期待できると思うのです。

話は変わりますが、実は五輪代表が注目されている裏で、この世代の最強ぶりが発揮されていました。
U-22アジアカップ予選を、日本は5戦全勝で突破したのです。
今のところ、3年後の本大会は五輪出場を掛けた大会となる予定です。これまでの、グループ分け、ホーム&アウェー方式から、一ヶ所、短期集中の大会とし、ベスト4以上が五輪参加資格を得るという方式に変えたのです。(アジア枠が4であれば・・・・)

日本は、4年後の五輪、3年後の本大会に向けて、現時点でのU-19代表で臨みました。
東ティモール、マカオ、インドネシア、シンガポール、オーストラリアと同組だったのですが、U-22代表で参加した他国はともかく、豪代表にも5-0で『チンチン』にしたのです。豪もU-19代表が中心でしたが、何人かは上の世代の選手もいたのです。

豪といえば、日本にとってA代表はいまやアジア最大のライバルであり、アジア杯決勝やアジア最終予選での死闘も記憶に新しいところです。その豪をまるで子供扱いしたのです。
いかに、この世代が強いかがわかるというものです。

U-19代表ということは、昨年のU-17W杯に出場した選手は、1歳年下になるのですが、19歳の年代にも、香川がいたドイツのドルトムントが獲得の噂があった京都の久保や、中田二世の呼び声もある廣島の野津田らもいて、ひょっとしたら来年のU-20W杯に出場できれば、久々にベスト4以上が期待できる好チームだと思っています。

久保、野津田、熊谷アンドリュー(不参加)、田鍋(離脱)、石毛(早くも世界が注目、今回は不参加)、鈴木武蔵(怪我で豪戦は欠場)、南野、高木(横浜・高木豊コーチの三男)、秋野、望月、川口、岩波、植田と逸材揃いで、彼らのほとんどが、早晩海を渡ることになるでしょう。

最後に、『く○マスコミ』が『プラチナ世代』と称賛した、柿谷と宇佐美の2世代ですが、彼らは年下の年代とはいえ、皮肉にも2大会続けてU-20W杯出場を逃しています。進出を掛けた準々決勝で共に韓国に敗れ、出場権を失ったのです。
この2試合、ともに原因があるのですが、『く○マスコミ』は、内容や実態を分析せず、掌を返したように、結果のみを連呼するというく○ぶりです。

また、史上最強とも言われる現日本代表のスタメンを列挙すれば、前田、本田、香川、岡崎、長谷部、長友、内田、今野、吉田、川島と、遠藤一人を除いて、すべて『く○マスコミ』が『谷間の世代』と貶めた世代の選手という皮肉ぶりです。
いかに、日本のスポーツマスコミが、低レベルであるかの証左でしょう。



愛犬・ゴン日記―1

愛犬の『ゴン』です。

1996年10月23日生まれの、約15歳と9ヶ月の老犬です。人間の年でいえば、何歳になるのでしょうか?

犬は、人間の7倍の速さで成長すると言われていますから、単純計算すると、100歳を超えることになりますが、7倍というのは、おそらく幼犬の頃に限ったことだと思われますので、生涯を平均すれば5、6倍といったところでしょうか。

 

いずれにしても、90歳前後の老犬というわけです。

写真は2年前の夏に撮影したものですが、その後すぐに目が見え難くなり、今ではほとんど見えていない状態です。

耳も、片方しか聞こえていないのか、『ゴン』と呼んでも、『あさって』の方向を向いて返事をする始末です。ただ、そうしたなかでも、長年住み慣れた家だからなのか、生活に支障はないようです。

また、幼犬の頃から遊びの中で足腰を鍛えていたせいか、足取りはしっかりとしていますし、食欲は旺盛なので、後数年は長生きするのではないかと安心しています。

 

ゴンは、生まれた年の12月7日に我が家に来ました。実は、私は犬が苦手で、どちらかといえば猫派でした。

というのも、幼少の頃に生家では猫を飼っていて、それがまた頭の良い猫だったので、とても可愛がっていたのです。

 

『クロ』と言って、黒毛の猫でしたが、まるで犬のようでした。

『お座り』や『お手』はもちろんのこと、『待て』もするのです。

当時、クロの餌は『煮干』が主でした。漁師の家ですから、魚には事欠かないわけですが、鰯のような雑魚は、真鰯以外は食することがなく、たいていは大きな釜で煮て、天日干しにしてダシに用いていました。

 

これがまた、ダシに使用するのは勿体無いほど美味く、小腹が空いたときなど、おやつ代わりに食べたものでした。

その煮干を目の前に置いて、

『待て』

と言うと、私の目をじっと見て、許しが出るまで待っている猫でした。

 

普段は納屋が塒でしたが、私が、

『クロ』

と呼ぶと、走って私の許にやって来ました。

元来、猫はわがままで気まぐれな動物ですから、犬のように飼い主に擦り寄ったりはしません。それが、普段は離れていて、私が呼んだときのみ近寄って来るクロは、私にとって誠に都合の良いペットだったのです。

 

クロが死んだときには、これはもう『悲しい』などという言葉では言い表せないほど落胆しました。遺骸を庭の隅に埋めて、しばらくは線香を手向けたものでした。

その悲しみもあって、以来動物を飼うことはなく、ペットは専ら、

『メジロ』や『ジュウシマツ』、『インコ』、『すずめ』、『伝書鳩』といった鳥類か、『めだか』、『金魚』、『グッピー』といった魚類に限りました。

『ジュウシマツ』などは、当時1,000円ほどで『つがい』を買い、繁殖させて金に換えていました。1羽50円ほどだったと思います。

 

その私が、どうしてゴンを飼う事になったのかと言いますと、実は妻が職場の同僚から、

『友人の家に犬が生まれたのだが、見に行かないか』

と誘われ、生まれたばかりの子犬を見た後、同僚の知人が何気に、

『四匹は貰ってくれる人が見つかったのだけど、どうしても2匹は見つからないの。このままだと、保険所に持って行くしかないのよ』

と言ったのだそうです。

その言葉を訊いて平気でいられるわけがありません。妻はその場で2匹の子犬を持ち帰ってしまったのです。端から、同僚と同僚の知人の謀だったのかもしれませんね。

 

ただ、そのまま我が家へというのではなく、一旦妻の実家へ連れ帰りました。妻の実家は番犬として、ずっと犬を飼っていましたので、実家で飼ってもらえないかと思ったからです。しかし実家では、すでに2匹の犬を飼っていましたので、1匹は何とかするが、2匹は無理だと断られ、やむなく我が家で飼うことになったのです。

 

これが経緯ですが、ともかくそのときから、私がゴンに悪戦苦闘する日々が始まったのです。

 

日本再生論・その6:日本民族は世界最低か?

日本民族が世界最低か?
というのは皮肉というか、本心とは裏腹の物言いです。
私が言うまでもなく、日本人が世界で最も民度が高く、優秀な民族の一つであることは、日本国民が思うよりも遥かに世界が認めているところです。

昨年の東日本大震災での、被災民の忍耐強く、極限状態でも他人を思いやる行動は、全世界の称賛を浴びました。
反日の色濃い中国でさえも、ネット上では、
『被災民の秩序正しい行動は大変な驚きで、中国人も見習うべきだ』
とか、
『日本が奇跡のような戦後復興を遂げた理由が分かった』
と、称賛の声が圧倒的でした。

振り返ってみれば、19世紀の欧州列強による帝国主義を背景とした植民地政策の大波を、なぜアジア諸国において日本だけが避ける事ができたのか。
それは、鎖国はしていたものの、元禄文化を始めとする高度な文明文化が花開いており、当時のアジア諸国の中では、抜きん出て民度が高かったことが主要因です。

それは、幕末から明治初期に掛けて、欧米から訪日した各分野の数多の一流人が、口を揃えて記録にこう残しています。
『まさか、極東の果てにこのような高文化及び高民度の国があろうとは思いも寄らなかった。この国の庶民は、貧しいながらも、卑屈なところが全くない。僅かな食物を近所で分け合い、共生の心を持ち、明るく生きている。また、この国の文化レベルは非常に高く、とくに絵画、文学、演劇などは欧州のそれに引けを取らない』と。

この民度の高さゆえ、欧州列強は日本の植民地政策を躊躇したと考えられています。
とはいえ、軍事的には大人と赤子のような差がありましたから、その気になればいつでも植民地にする用意はしていたと思います。

ところが、明治維新以降の日本の発展は目覚しく、いわゆる『富国強兵』によって、あっという間に国力を付けて行きました。これは、ひとえに日本人の民度が極めて高かったからに他なりません。

その後、日清、日露戦勝の勝利によって、日本は独立を守ったどころか、欧州列強の仲間入りをしたのです。
日本が中国、韓国,北朝鮮以外の、アジア諸国から尊敬の念を抱かれるのは、ひとえにこの歴史的事実によるものです。日本が西洋諸国と互角に渡り合えた唯一のアジアの国だったという事実です。
さらに、戦後の驚異的な復興も、世界に日本民族のレベルの高さを再認識させました。
明治維新と戦後復興。
この二つの奇跡は、どちらも日本人の民度が高かったために、成し遂げられたものだということは、疑いの無いところでしょう。
しかし、皮肉な事にこの民度の高さが、却って今の日本の凋落を招いていると思うのです。私が敢えて『世界最低民族か?』と言ったのは、そのためです。

以前、中国の国家主席、たぶん江沢民だったと思いますが、(違うかな?)
『日本の政治家が羨ましい。中国国民が日本人のようであったなら、統治はどれだけ楽なことか』
と、発言しました。
確かに、日本人ほど政府、役所に従順で、法律を遵守する民族も珍しいでしょうが、このことが、却って政府、政治家の怠慢と堕落を容認し、政官財の癒着、官僚の専横を許したといっても過言ではないでしょう。

かつては、
『経済は一流、政治は三流』
などと揶揄されていましたが、経済が好調な時代は笑って済まされても、頼みの経済が振るわなくなった今日、とうとう回って来た付け・・・・それはつまり、日本人の極端な政治への無関心により、優秀な政治家が生まれるステムを構築してこなかったこと・・・・を払わされているのです。

政治評論家の三宅久之氏などは、再々テレビ番組などで、
『国民のレベル以上の政治家など、生まれるはずがない。政治家のレベルが低いのは、つとめて日本国民のレベルが低いからだ』
と、主張されています。

一理ある発言です。
日本人はルール遵守、謙譲、忍耐といった共生の精神、美徳には優れているのですが、逆に批判、批評、反論といった行為は苦手です。
聖徳太子の時代から、
『和をもって尊しとなす』
として生きて来ましたから、相手を傷付けるかもしれない発言や行為は不得手なのでしょう。ですから、多少の不祥事があっても相手を許し、我慢してしまうところがあります。

また、封建制度の名残で、『御上』意識がDNAにこびり付いているのか、政府や役所を頭から信用する思考から抜け切れないでいるようにも思えます。
これらのことは、政治や役所にとっては誠に都合の良いことで、彼らを甘やかしてきた主要因となってしまいました。

ただ、『家貧しくして孝子顕わる』
とも言いますから、逆境に陥った日本、もうそろそろ孝子、つまり日本を牽引する強力なリーダーの出現を期待するばかりです。

マドンナ・大学編・その4

二日後のお昼頃でした。
『ドンドン』と荒々しく玄関の戸を叩く音がしたかと思うと、
『安岡君、安岡君・・・・』
と、大声で私の名を呼ぶ者がいました。喫茶店・Gのママの声でした。

何事が起こったのか?と訝りながら、戸を開けると、
『安岡君、貴方いったい何をしたの?』
と、いきなりママが問い詰めるように言うのです。ですが、口調とは裏腹に怒っている様子は無く、むしろ呆然とした中にも喜びの表情が看て取れました。
『何のことですか?』
私が問い返すと、
『今朝ね、○○庶民信用組合から、
《例の土地の件で話があるので、至急来て欲しい》
と電話があって、急いで行ってみると、なんと、
《私に土地を売っても良い》
と言われたの』
と、ママは興奮した口調で、一気に捲くし立てたのです。
『ああ、それは良かったですね』
私が愛想もなく、極めて事務的に言うと、
『何言っているの。貴方が何かしたからでしょう』
ママは、他人事のように言った私に、業を煮やしたようでした。
もちろん、私には心当たりがありません。
『僕は、何もしていませんよ』
それでも、私が平然と言うと、
『貴方、○○銀行の××専務さん、知っているでしょう』
ママが口にした名は、二日前師の許に相談に訪れ、私がこの件を話した方でした。
ここに来て、ようやく私は事態が飲み込めました。
『調べてみる』
と言われた専務は、実は○○庶民信用組合に直接出向き、支店長と話を付けて下さったのです。というのも、後で分かったことですが、○○庶民信用組合は、○○銀行の孫会社だったのです。

むろん、私がそのような事を知るはずも無く、ただ師の許を訪れた人物が銀行の役員だということで、口に出しただけのことなのです。しかも、どうにかして欲しいとの依頼は一切していません。

『私が話しを漏らした人が、たまたま力のある人だったなんて、ママはラッキーでしたね』
尚も、私が素っ気無く言うと、
『まだ、惚けるの。支店長さんから、
《安岡という学生さんとはどういう御関係ですか?》
と聞かれたので、
《店のお客さんです》と答えると、
《ただの学生さんじゃありませんね。なんせ、○○銀行の××専務が、直に足を運ばれたのですよ。専務は、はっきりと安岡という大学生に頼まれたとおっしゃっていました》
と、感心しきりだったのよ。貴方、いったい何者なの?』
と、ママは興味津々の目で訊ねました。
『ただの学生ですよ。私も××専務さんが、そのようなことをして下さるなんで思いも寄らなかったんですから・・・・』
私は苦し紛れの返答しか出来ませんでした。

言うまでもなく、××専務が私に頼まれたと漏らしたのは方便であり、師の存在があったからに他なりません。私が師の寺院に寄宿したことで、師の知人、檀家からクレームが有ったと言いましたが、実は単なるクレームばかりではなかったようです。

私は、祖母の縁で、たまたま師と出会い、その流れで師の寺院に寄宿することになったと思い込んでいましたが、事態はそのように単純なことではなかったようです。周囲は、師の後継者ではないかと見ていたのです。ですから、この××専務も、私の相談を真剣に受け止め、善処してくれたのでしょう。

私が師の後継者というのは、まんざら当て推量ではなく、事実として、後年には私が師の養子に入る話まで持ち上がりました。むろん、一般の養子縁組ではなく、師の後継すなわち宗教家として後を継ぐのです。
私は師からその話があったとき、ずいぶんと悩みました。

それはそうでしょう。
尊崇する師とはいえ、一般人ではないのです。しかも、同じ宗教人でも、田舎の末寺に養子に入るのではありません。末寺には違いありませんが、○○以来の傑物との評価を受け、将来大本山の貫主に上り詰められる、いや法主の座も決して夢ではない、宗門を背負う一人になられるであろう高僧の後継なのです。
終生、周囲から比較をされ続け、決して凌駕することのできない巨人の後継など、成りたくないというのが本音というものです。

さらに、姉が二人いるものの、私は長男です。たいした家ではありませんが、長男としての最低限の務めというのもあります。
そういう事情で、返事を留保していたのですが、数年後、この話は立ち消えになりました。私の方に過失があったわけではなく、師ご自身も考えておられなかった、結婚をされたからです。

それはともかく、
『じゃあ、なぜ××専務のような偉い人と知り合いなのよ』
ママの詮索は留まる事がありませんでした。
私は、仕方なく、
『私が大阪でお世話になっている方の知人です。たまたま三人で食事をすることになったので、ついでに土地の件を話してみたのです』
と、少し語調を強めて言いました。暗にこれ以上の詮索はするな、との意を込めたのです。
さすがに、ママも客商売をしている身ですから、敏感に感じ取ったようで、
『分かったわ。じゃあ、今晩7時にお店に来てくれない?』
と、話題を変えました。
『今晩?何か・・・・』
『ささやかなお祝いをしたいの。必ず来てね』
ママは、問答無用といった体で、私の返事も聞かずに帰って行きました。

不思議な人々2:祖母(野島家の悲劇)

私の祖母が霊能力者だったことは前にも述べました。
と言っても、それほどの凄い霊力の持ち主だったわけではなく、山口のお婆さんに比べれば、横綱と平幕ぐらいの差があったでしょう。むろん、私の勝手な判断ですが・・・・。

しかし、その祖母の霊力の一旦が垣間見えた事件が起こりました。
私の生家の遠縁に『野島家』というのがありました。同じ村落にありましたが、我が家が村のほぼ中央にあったのに比べ、野島家は西北の外れの山間にありました。

その野島家が家を新築したのですが、完成なって間もなく、当主がいきなり高熱を出し、意識不明となったのです。医者に看てもらいましたが、原因がわからないということでした。

その話を聞いた祖母が、いつもの『御勤め』のときに『神様』に訊ねると、ある事実が告げられたというのです。
その事実とは、野島家の敷地内には、私の生家と同様、尼子の落武者を祭った祠があったのですが、祠といっても小石を重ねただけの粗末なものだったうえに、当主は不信心だったらしく、その祠を丁重に移動させることなく除去してしまい、その上に家を建てたというのです。

祖母が、さっそく野島家にそのことを質すと、事実でした。ですが、家族揃って不信心だったこと、またそうかといって、建てたばかりの家を壊すわけにもいかず、そのままにしていました。

十日後、当主は亡くなりました。
それだけであれば、偶然だったと忘れ去られたかもしれませんが、当主の葬式が終わった途端、今度はその長男、つまり跡継ぎが、同じような不明の高熱に魘されました。ここに至って、ようやく事の重大さに気付いた野島家のお婆さん、つまり先代の連れ合いが、祖母に相談にやって来たのです。

相談を受けた祖母は、すぐさま祠が有った場所の上(畳)を清めて、読経しましたが、とても手に負える状態ではなく、すぐさま『山口さん』を頼りました。しかし、話を聞いた山口さんも、
『私一人では、手に負えないかもしれない』
と、知人の霊能力者に協力を求め、二人で落武者の魂を鎮めたのだそうです。そのお陰か、長男は意識を取り戻し、命を取り留めたという事でした。

全快した長男が家を解き、祠のあった場所を外して、再建築したのは言うまでもありません。祠もずいぶんと立派なものを建て、今でも朝夕お参りしているとのことです。

このことがきっかけで、祖母の霊力の噂が広まり、簡単な相談事を受けるようになったのですが、むろん、これを、
『信じる、信じない』
は、勝ってです。しかし、野島家の悲劇は、私の地元では有名な事実ですし、山口さんらの尽力で長男が助かったのも事実です。
まあ、それでも信じない人が、
『全くの偶然が重なっただけだ』
と考えても、私はそれを否定はしません。

日本プロ野球の崩壊・その1:序章

子供の頃、私は大の野球ファン、トラキチでした。
以前にも書きましたように、強烈なアンチ・巨人、且つ阪神ファンの祖父に育てられましたので、当然といえば当然でしょう。まあ、これも一種の『洗脳』でしょうね。

私が世の中の仕組みというか、力学といったものを理解できるようになるまでは、祖父はただ単に『一番』が嫌いなのだと思っていました。言うまでもなく、日本プロ野球を創設し、発展させたのは巨人ですから、巨人がNO-1でしょう。
他にも、世は、
『巨人、大鵬、卵焼き』
の時代でしたから、当然大鵬も嫌いで、同じ横綱だった柏戸のファンでした。

『社会問題:いじめ』で、少し触れましたが、私の生家と祖父について、もう少し詳しく紹介しておきます。
私の生家は、地元では最も古い家の一つで、何代か前までは、この界隈の大部分の山林、田畑を所有していたそうです。
当時、たぶん江戸時代でしょうが、当主は馬で近隣を行き来していたようです。江戸時代の田舎で馬というものが、どれほど貴重な動物だったかは分かりませんが、農民(漁民)が交通手段として、馬を所有していたということは、『それなり』だったのではないでしょうか。

ところが、ご他聞に洩れず、私の高祖父(祖父の祖父)の父、つまり私の五代前の当主が、他人に騙されて、その大半を失うことになりました。
特に貧乏になったわけではないのですが、権勢が衰えたのは事実で、その後、生家は凋落の一途を辿ることになります。
それを、財産はともかく、以前の威勢を復活させたのが祖父でした。

祖父はとにかく、正直で曲がったことが大嫌いの、『正義の鎧』を纏っているような人間でした。若くして、漁協の会計を任された祖父は、当時の漁師村にありがちな『どんぶり勘定』を良しとせず、とにかく一円の間違いまで正したそうです。

その頃は良くあったということですから、笑ってしまいますが、水揚げした魚介類の落札額を誤魔化し、その差額を自分の懐に入れる上司もいたそうで、祖父はそういったことにも目を瞑ることなく、食って掛かったそうです。
そういった脛に傷を持つ人間には、疎ましく思われたそうですが、村人たちからは絶大な信用を得たようで、しだいに、
『祖父に任せておけば安心』とか、『何かあれば、祖父に相談しろ』
という風潮が醸成されていったようです。

晩年には、町長選挙ですら、
『祖父が応援する人物でないと・・・・』
と、投票にまで影響を与えるようになりました。こういった実態は、当然国会議員の耳にも入りましたので、ある人物から、その界隈の票の取りまとめを依頼されてもいました。

さて、そのような祖父の血を受け継ぎ、且つ育てられた私ですから、祖父ほどではないにしろ、不正不義が嫌いであることは言うまでもありません。
その私が、自分の意思で巨人を嫌いになる決定打となったのが、あの1978年ドラフト会議前日の、
『江川の空白の一日』
事件です。

事件の詳細は控えますが、
『世の中は、こんなことが罷り通るのか?』
というのが、私の率直な感想でした。

師の寺院に寄宿して約10ヶ月。
私にも、それなりに分別というものが付き、全くのナイーブな青年ではありませんでしたし、社会の仕組みというものも、分かり掛けていた頃でした。
しかし、
『この理不尽な蛮行が堂々と罷り通る社会』
に、怒りというより、虚しさを覚えたものです。

『巨人は球界の紳士たれ』
というのが、日本プロ野球生みの親であり、巨人軍のオーナーだった故正力松太郎氏の言葉です。
紳士とは、
『自らの利益のためには手段を選ばず、所属する組織のルールを破ってまでも、その目的を果たす者』
ということなのでしょうか。

私は、
『祖父は、ただ強者が嫌いなわけではなく、直感的に巨人の胡散臭さを見抜いていたのだ』
と悟りました。
それまでも、巨人は他球団のエースや中心打者を引き抜き、補強していました。しかしそれは、強い球団を作るための当然の努力であり、正当な行為だと思っていましたが、祖父はその裏にある、金に任せたどす汚い画策や黒い陰謀も嗅ぎ取っていたのでしょう。

それまでの巨人の汚い行為は、表沙汰にはなりませんでしたが、この江川事件により、ついに、
『巨人は汚く醜い球団』
であることが公になったのでした。
まさに、巨人自身が墓穴を掘った瞬間であり、その後の迷走への序章となった象徴的な事件でした。

日本サッカーの未来・その7

裏・五輪代表

『日本サッカーの未来・その7:裏・五輪代表』

先日、男女のロンドン五輪のサッカー日本代表が発表され、本日それぞれ壮行試合がありました。
女子は、メンバー選考も順当で、試合内容も現段階では合格でしょう。澤選手もゴールしましたし、気分も吹っ切れて本番に臨めそうです。
一方、男子ですが、試合内容はともかく、そもそもメンバー選考自体に、多くの方がちょっと『?』というか、異論のあるところではないでしょうか。
そこで、所詮は野次馬に過ぎませんが、私なりに選考漏れの選手たちで、イレブンを構成してみました。

裏・日本代表です。システムは、4-2-3-1です。(太字はOA)

FW  大迫(指宿)

OMF 宮市、柿谷、原口(金崎、山田直)

DMF 米本、柴崎岳

DF  長友、闘莉王、大岩、實藤、(薗田、濱田)

GK  川島

大迫:アジア予選では主力でした。

指宿:身長196cmの高さは魅力。現在スペイン3部所属ですが、レンタルで1部へ移籍の噂も?

宮市:A代表にも選手されたスピードスター。プレミアの強豪・アーセナル所属。

柿谷:以前にも触れた天才。横浜戦でも、芸術的なボレーシュートを決めました。

原口:クラブの同僚に暴力行為をするなど精神的に未熟なものの、宇佐美に負けず劣らず期待された逸材。セリエAのクラブが注目。

金崎:世代別の代表を香川と共に主力として背負ってきた選手。本来ならこのチームでも主力のはずだった。

山田:実は、私が2年前まで、香川や柿谷よりも期待した逸材。たしか、ESPN?だったと思うのですか、世界を背負う世界の若手ランキングで、2位か3位だったと記憶しています。
   しかし、なにせ虚弱体質なのか、怪我の連続です。

米本:バックアップメンバー。大怪我で1年を棒に振らなければ、ボランチの主戦と考えられていた選手。

柴崎:広い視野と類まれなるパスセンス。遠藤の後継者は彼かもしれません。

長友:ビッグクラブ・インテルでレギュラー。

闘莉王:私の中では、現在の日本で、実力NO-1のCB。
なぜか、ザッケローニ監督に呼ばれません。ラインを下げる癖と、むやみに攻撃参加する性格を監督が嫌っているという話も伝わっていますが、それでもブラジル本大会には欠かせない存在だと思っています。

大岩:バックアップメンバー。

實藤:アジア大会では主力として活躍。

薗田:アジア大会では主力。

濱田:アジア予選では主力。

川島:日本代表不動のGK。

OAはクラブとの問題もありますが、召集可能を前提として考えました。
こうしてみると、何気に正式の五輪代表より、強く見えるのは私だけでしょうか?

それにしても、CBを除くと、日本はずいぶんと選手層が厚くなりました。中でも、二列目はタレントの宝庫ですね。もうちょっと、バランスよく散らばってくれると良いのになあ、などと贅沢な悩みを抱えるほどです。
来年、再来年には、五輪メンバーより、こちらのメンバーの方が、欧州のクラブで活躍している選手の数は多い気がします。



社会問題:いじめ

滋賀県・大津市の中学校で起きた、2年生の男子の自殺が問題になっています。ネット上で、私なりに背景を調べてみると、いじめと関係があるかどうかは不明ですが、中学校自体が『?』の付く学校ですね。

しかし、報道されている内容が事実だとすると、市教育委員会や学校側、警察の対応もさることながら、担任は酷すぎましね。笑って見ていたというではありませんか・・・・。
ここまで『日本人』の劣化が進んでいるのかと、愕然とした思いになりました。

振り返ってみると、私が子供の頃も『いじめ』はありました。高度経済成長時代に入っていましたが、地方の田舎でしたので、貧しい家庭も多く、粗末な家や、風呂の無い家の子供は、『貧乏人』、『汚い』、『臭い』などと、囃されていました。
大概は、男子が女子に言うのですが、そういった場合は他の女子が団結して、逆に『ちび』だとか、『不細工』とか男子の悪口を言い返していましたね。
見て見ぬ振りをしたり、まして加担したりすることなどはありませんでした。ですから、いじめられていた女の子も救われていたのかもしれません。

自慢できることではありませんが、どちらかといえば、私はいじめる側の人間でした。
私の生家は、その地域でも権力のある家で、特に祖父は、数多くの地元の公職に就いていましたので、たとえば小学校の校長や教頭も、頻繁に我が家にやってきては、祖父と将棋を指したり、酒を酌み交わしたりしていました。

また、私の6歳年上の従兄弟が、その界隈に名の通った不良でしたので、私は祖父と従兄弟の威を借りて、傍若無人に振舞っていました。ですが、私には私なりに『侠気』というのがあって、決して障害を持つ弱者、自分より幼い者、女の子はいじめませんでしたし、集団でいじめたりはしませんでした。

むしろ、学校生活や村の行事などで、役割をサボるとか、集団行動から逸脱するとかした者を叱ったり、小突いたりしました。これがいじめになるのかどうかはわかりませんが、相手にすれば、いじめられたと受け取ったかもしれません。

ただ、私の行動の度が過ぎた場合は、家族だけでなく、近所の人々からも注意を受けましたし、何よりも先生が厳しかったですね。
祖父の社会的地位や、祖父との親交など全く関係なしに、こっぴどく叱られましたし、ぶたれたことも、一度や二度ではありませんでした。

しかし、私が先生を恨めしく思うことはなく、むしろ子供心にも、
『えこひいきのない先生だ』
と、信頼が置けました。
私がそうだったからというわけではありませんが、今の子供たちだって、敏感に教師の本質を見抜いていると思います。ですから、腰の引けている教師は、生徒から馬鹿にされ、信頼されなくなるのでしょう。

この事件でだけでなく、近年は陰湿ないじめを苦にした自殺というのがあまりに多いですね。原因としては、評論家諸氏が、のたまっているように、戦後教育の失敗と地域社会の崩壊、核家族化などが挙げられるでしょう。
私は、これらの要因には日本人の宗教観が密接に関わっていると思っているのですが、そのことについては『日本再生論』で言及することとし、今回は視点を変えて、いじめた側の生徒について考えてみたいと思います。

ここからは、全くの私の推論であり、ソースやデータがあるわけではありません。暴論と言っても良いと思いますので、予め御容赦下さい。

中2の男子をいじめ、自殺に追い込んだと思われる生徒たち。彼らは、今後どうなるのだろうか、と私は憂慮します。
もちろん、刑事的な罰を受けることはありませんし、ひょっとしたら、うやむやになり、何の御咎めもなく、今後の生活を送るかもしれません。

そうなった場合、彼らはどういう人生を送るのだろうか、と想像するのですが、たとえば確率として、10人中何人の生徒が、自殺した追い込んだことを反省し、心に傷を抱えて生きて行くのでしょうか。

私は半数もいないのではないかと、勝手に推量します。そして半数以上の人間は、何ら反省することもなく、成長し社会に出て、犯罪者予備軍になるのではないかと思うのです。
人の心の痛みが分からない人間ですから、社会に出てからも同じことを繰り返すと思うのです。

極端な例は、ヤクザになることですが、そこまで道を外さなくても、本格的な詐欺師や商品偽造、産地偽装、会社においては着服や横領、横流し、あるいは一時社会問題になった、賞味期限切れ商品の使い回しなど、金儲けのために平気で人を騙したり、社会法規を破ったりする人間になるのではないかと思うのです。
また、犯罪ではありませんが、悪意の噂を流して同僚を貶めたり、気に入らない部下をネチネチと陰湿に叱ったり、人事的に不当評価したりする人間になるのだと思います。
全くの暴論ですが、種々の犯罪を起こした人間は、子供の頃にいじめをしていた者が圧倒的に多いのではないかと、私は推察します。

自殺報道は、いじめの実態の氷山の一角に過ぎず、自殺までは行かなくても、心に深い傷を負った者は大勢いるでしょう。そして、いじめた側はその何倍という人数になります。
そういった類の連中が、つまり子供の頃にいじめをしても、誰からも注意を受けず、それが原因でいじめた相手が自殺しても、心に何の痛みも覚えない人間が、次々と社会人になって行くのです。

実に恐ろしいことだとは思いませんか。
私は、『オレオレ詐欺』を働き、喜々として老人から年金を巻き上げる、あるいは『闇金』の取立てで、相手を自殺にまで追い込むといった輩は、こういった人間なのだと思えてなりません。『親父狩り』や『ホームレス襲撃』もそうでしょう。
そうそう、笑っていたとされる担任も、学生の頃いじめた側の人間だったのではないでしょうか。少なくとも、いじめられた側の人間ではないことは確かでしょう。

いじめを止める、といった正義感や勇気までは無くても、少なくとも加担はしない、あるいは心に痛みを覚える人間は、滅多なことでは犯罪に手を染めることはない種類の人間だと思うのです。
もちろん、確率の問題ですが、
『学生時代に人をいじめた者=社会に害を成す人間になる』
というのは、かなりの高確率だと思います。
まあ、偏見だとは思いつつも、そう思わざるを得ない自分がいますし、あながち間違ってはいない気もします。

この理屈が事実かどうかは別として、もう一つ私は、ある不満を覚えます。それは、被害者及び被害者家族に比べて、あまりに加害者が護られているということです。このいじめだけでなく、一般の犯罪しかりです。

どこで、どう間違えたのか、変てこな社会になったものです。私に言わせれば、『似非人権弁護士』やら『似非人権団体』の影響だと思うのですが、私の偏った思想、哲学からすれば、罪を犯した輩の更生などより、被害者及び被害者遺族の心のケアーの方が断然重要で、そのためには加害者がどのような晒し者になろうと構わないと思います。

罪を犯した者はそれだけのペナルティがあってしかるべきで、今回のいじめ事件に関しても、いじめた生徒はそれ相当のペナルティを受けなければならないと思います。しかし、少年でもあり、また直接手を下したわけではありませんから、むろん刑事罰は相当ではありありません。

私の言うペナルティとは、社会の目です。
昔であれば、『村八分』というのがありました。『村八分』は、何も刑事的な罪を犯した場合のみでなく、村の掟に反する行為など、道徳に外れた場合にも適用されました。ちなみに、村によって異なるかもしれませんが、『村八分』以外の『二分』とは、『葬式』と『火事』です。死んで仏になれば、無罪放免となり、また火事は類焼を恐れたため、村八分の外としたのです。

むろん、今では村八分はもう無くなっていますし、私の故郷も例外ではありませんが、それでも。私の幼い頃に比べればかなり弱くなったとはいえ、今でも『世間の目』というのが厳然として存在します。

刑事罰だけでなく、不道徳な行いは世間の冷たい目に晒されます。若者の夜遊びや不良行為は、すぐさま親に報告され、村中に知れ渡ります。そして、その一家は本人だけでなく、家族全員が一定期間、肩身の狭い思いをして生きて行くことになるのです。
ですから、私も家族から、少々の『やんちゃ』は仕方が無いが、『盗み(たとえば、万引き)』だけは、絶対に許さない、ときつく戒められていました。

まあ、不倫関係なども、あっという間です。
相互監視というのは、確かに窮屈で生き難い社会ではありますが、お陰様?なのか、私が生まれてから今日まで、犯罪らしい犯罪は一件もなく、子供たちの素行もいたって良好です。子供の頃の私や従兄弟の行状が、最も酷かったかもしれないくらいです。

私の故郷のような村や町は、まだ全国に多々あると思います。しかし、都会はそういうわけには行きません。『人権』という美名に守られ、今回いじめた生徒を始め、これまでも自殺に追いやるようないじめをした生徒たちは、たいていが無罪放免となり、世間の目からも逃れて生きて行くことでしょう。
そうなった場合、いったいどれだけの人間が自らを反省し、いじめたことを悔いながら生きていくのでしょうか?これがつまり、犯罪予備軍になるのではないかと思うのです。

人間とは愚かで弱い生き物です。自らを律することは容易ではありません。外から縛るものが無ければ、すぐに甘え、楽な方へ楽な方へと流されるものです。ですから、多少非情であっても、世間の冷たい目というのは必要だと思うのです。

今日、学校に爆弾予告があり、『いじめた生徒と担任はテレビカメラの前で謝罪しろ』という要求があったそうですが、私の言いたいことと一致しており、気持ちとしては良く分かりますね。手段は間違っていますが・・・・。

しかしこの問題。
地域社会の崩壊と核家族化によって、結果的に近所付き合いが疎遠になり、相互無関心となった現代においては、解決は非常に困難でしょう。
時間は掛かりますが、やはり教育内容を根本的に変えることと、地域活性化のために、地方分権化を進めて行くしか方法はないと思います。

次回は、このあたりに言及したいと思います。

マドンナ・大学編・その3

当時、大学の正門を出てすぐの右手に、閉鎖された食堂がありました。歴史は古く、おそらくかつては学生相手の安価な食堂として繁盛していたのでしょう。ところが、大学側が自前の学生食堂の設備を拡充したため、徐々に需要が減り、とうとう不渡り手形を出し、倒産したのです。

そして、50坪の敷地は2分割され売りに出されていたのです。いや正確に言えば、債権者である『○○庶民信用組合』が、事前に得意先に打診し、買い手はすでに決まっていました。

『その土地が何とかならないか・・・・』
というのが、喫茶店・Gのママから付き付けられた難題でした。
経営者としてみれば、その一等地は喉から手が出るほど欲しかったに違いありません。今の路地裏の辺鄙な場所でさえ、それなりに繁盛しているのですから、表通りに店を構えられれば・・・・と皮算用するのは人の情というものでしょう。

しかし話によれば、すでに仮契約まで済んでいるとのことで、手の打ちようが無いのは明らかでした。いったい、ママは何を思って私に相談したのでしょうか。前回受けた相談は、別に法学部の学生でなくても、一般常識に毛の生えた程度の事柄でした。

『ママは俺を試したのだろうか?それとも、何かを嗅ぎ付けたのか?』
私は疑心暗鬼に陥りながら、
『仮契約をした人より、多額の預金をすれば何とかなるかもしれません』
と、気休めを言うのが精一杯でした。
金融会社の特性として、○○庶民信用組合が打診したのは、自社の上得意先であることは間違いなく、そうであれば、その得意先を上回る預金をすれば、可能性があるかもしれないと思ったのです。

しかし、仮契約した者がどの程度得意先なのか分かりませんし、仮契約を引っくり返すには、その何倍の預金をすれば良いのかも分かりません。ママの資産を知るはずも無く、いや、そもそもそのようなことが可能なのかどうかさえも分からないという、まるで雲を掴むような提言でした。

私は心の中に、
『師に相談すれば、何とかなるかもしれない』
との思いを抱いていましたが、そうまでしてママの力になる義理はありません。私は適当に慰めを言って帰りました。

さて、数日後だったと思います。
師の許に来客があり、用件が済んだ後、外で飲食となったのですが、私もご相伴に預かることになり、梅田に出ました。
北区・西天満の料亭『芝苑』で食事をし、指呼の間である北新地に繰り出しました。
ちなみに、師に同伴することが多かった私は、学生の分際で高級料亭や京都の御茶屋、高級クラブに頻繁に出入りすることができました。

その頃、師の許には数多の来客がありましたが、師は名前を紹介して下さるだけで、社会的地位や肩書きなどは一切口にされませんでした。
酒の席は『無礼講』となさりたかったのだと思います。
師の意を汲んだ私も、相手の職業などを聞くという野暮なことはしませんでしたので、相手が進んで名詞を差し出す以外は、詳しい素性も知らないままの談笑となりました。

このときの来客とも初対面でしたので、料亭までは堅苦しい話題に終始していたのですが、
師との話の内容から、銀行員だということだけはわかりました。
そして、クラブに河岸を変えて、ようやく和んだ雰囲気になった機を捉えて、私は喫茶店・Gのママの件をその方に相談しました。同じ金融機関の社員であれば、何か裏技的なアドバイスがもらえるかもしれないと考えたからです。

すると、一般的な事例として、匿名で相談した私に、実名を明かして欲しいと要望されたのです。私は、隠す必要もないないと思ったので、言われるがまま実名を明かしました。
その方は、
『では、私の方で調べてみましょう』
と言って下さり、その場はそれで終りとなりました。

不思議な人々・その1:霊能力者山口さん-後

私が初めて出会った頃の山口さんは、70歳を越えている老婆だと思っていましたが、どうやらまだ60歳を少し超えたばかりだったようです。

山口さんが、その世界に入ったきっかけは、若い頃大病に罹り、医者から余命数ヶ月と宣告されたことによります。すでに夫を亡くしていた山口さんは、幼い娘2人を残しては死ねないと、その界隈で信仰を集めていた地蔵菩薩に信心したのだそうです。
そのとき、
『命を助けて頂いたら、さらに信仰を深め、人のために尽くします』
との誓いを立てたということです。

その甲斐があってか、一命を取り留めた山口さんは、誓いに従って、無料で人々の相談に乗っているのです。

さて、この老霊能力者との出会いが、私の大学生活を一変させた、と言った理由は、株式相場です。
私が2度目に訪ねたときです。山口さんの家には、テレビはなかったのですが、ラジオがあり、そのときも1度目と同じように、何やら早口で値段を言っていました。
そうです。短波で株式放送をしていたのです。

私の何か?との問いに、妹さんが株式相場だと教えてくれ、簡単な仕組みを説明してくれました。山口さんは、お姉さんのパートの給料以外に、株式相場でも生活費を稼いでいたようです。

話によると、山口さんの夢枕にときどき『神様のお告げ』とやらがあり、それに従って株式を売買しているのだそうです。儲けがどの程度かはわかりません。山口さんの『神様』への信仰、信頼ぶりからすれば、そのときの全財産を投資することも厭わなかったでしょうから、大儲けだってできたはずです。
もっとも、どのような大金を手にしたとしても、山口さんが贅沢な生活をしたとは思いませんが・・・・。

さて、株式に興味を持った私は、さっそく株に関する本を数冊買い求め、学校の勉強などそっちのけで読み漁りました。
詳細な仕組みが分かると、次はシミュレーションをしました。新聞の株式欄で適当に選んだ複数の会社の値段を追って行ったのです。適当といっても、誰もが知っている銘柄を各業種から選びました。

むろん、当時はインターネットなど有りませんし、今日のような株式に関する便利なソフトもありませんから、膨大な手間隙を掛けて分析するしかありません。そのようなことを中学2年生の頃から大学入学まで続けました。

すると、高校3年生の春だったと思います。何となく、株式には一定の法則のようなものがあることに気付きました。
チャートとか罫線とは違います。もったいぶるようですが、私独自の、いや他の株式本には論理があるのかもしれませんが、とにかくおもしろい原理現象を見出したのです。

そして、その理論に従って株式を分析して行くと、薄利ではありますが、低リスク、高確率で儲かることが分かりました。
それからというもの、私は高校にまで短波ラジオを持ち込み、休憩時間になるとそっと教室を離れ、イヤホーンで放送を聞くくらいに熱中していました。
卒業後に催された同窓会では、私が奇妙な行動を取るので、不思議というか気味が悪かったとクラスメートに言われるほどでした。

浪人時代は、ちょうど引き籠もりの状態でもあり、株式研究には打って付けでした。まあ、それが良かったのか悪かったのか、天から与えられた時間のようでもあり、皮肉な期間だったようにも思います。
ともかく、こうしてシミュレーションによって自信を得た私は、実践で腕を試したい欲求に駆られたのですが、当然先立つ資金がありません。
そこで、私は一計を案じ、あるところから資金を調達したのです。

あるところとは、私の両親です。
両親が私のために、何がしかの大学資金を用意しているのは知っていました。そこで、学費を除き、仕送りとして用意していた資金の中から、半分を一括でもらえないかと談判したのです。
交換条件として、その後は一切生活費の無心はしないと約束しました。両親にしてみれば、私の言を信用するなら、仕送り費用が半分で済むということになるわけですから、快く承知しました。
もっとも残り半分も、いざという時のために取っておいたでしょうが・・・・。

大学生になった私は、師の寺院に寄宿させてもらいましたが、師は費用その他の金銭を一切受け取られませんでした。ですから、親からもらった資金は、ほとんど格式投資に充当することができたのです。
両親にしてみれば、そういう事実は想像していなかったでしょうね。何がしかの謝礼をしているものだと、思い込んでいたでしょう。
いずれにしても、そうやって株式資金を手にした私は、さっそく株式の実践を始め、首尾よく儲けたというわけなのです。

『マドンナ・大学篇』で、大学生の私が、数百万円という大金を所持していた理由はそういうことなのです。

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