日本サッカーの未来・その6:遅れてきた天才・柿谷曜一朗

昨夜、日本代表でドイツ・ニュルンベルグに移籍する、セレッソ大阪・清武選手の、Jリーグラストマッチ(当面)がありました。
先日、世界3大ビッグクラブの一つである、イングランドの超名門、マンチェスター・ユナイテッドと正式契約をした香川も見守る中、私はある男の心中やいかばかりか、と推量しながら試合を見ていました。

今や、日本サッカー界の未来を背負い、燦然たる輝きを放つ香川と、その立場がそっくり入れ替わっていても、何の違和感も抱かないであろうその男とは、この試合でC・大阪のFWとして先発出場し、再三の決定的なシュートを放ち、後半のロスタイムに起死回生の同点ゴールを上げた、
『天才・柿谷曜一朗』
です。

サッカー-ファンであれば、よくご存知でしょう。
C・大阪の下部組織時代から、
『10年、20年に一人の逸材』
との高評価を受け、各世代代表のエースとして日の丸を背負い続けた彼は、日本サッカーの希望の星として嘱望されていました。

事実、2006年のAFC・U-17選手権では、代表の絶対エースとして大活躍し、日本を12年ぶり2度目優勝に導きました。
今のA代表の強さからすれば意外かもしれませんが、この年代は、諸事情から日本はアジアでも苦戦することが多く(諸事情については、いずれ詳細に記します)、あの中田英や小野、稲本、高原を擁した大会以来の優勝という快挙でした。

私は、北朝鮮との決勝戦で彼が挙げたゴールが、今でも目に焼き付いています。
相手ペナルティーエリアのやや外側、左45℃の付近で、右後方からのロングパスを受けた柿谷は、トラップ時にボールを少し浮かしました。これがトラップミスなのか、彼が罠を仕掛けたのかは分かりません。
ですが、私は彼の技術、イマジネーションからすれば、おそらく相手DFを誘ったのだと想像します。

案の定、柿谷がミスをしたと勘違いしたDFは、ボールを奪取しようと、間合いを詰めました。その瞬間です。柿谷は、『ちょん』とリフティングして、DFの頭越しにボールを浮かせると、自らはDFの横を摺り抜け、落ちてきたボールをダイレクトでシュートしたのです。しかも、右足甲の外側で蹴ったため、ボールはキーパーの手から遠ざかる軌道を描き、見事にゴール内側のサイドネットを揺らしました。

戦慄の一言でした。
ゴールまでのイマジネーションと、それを担保する技術。まさに、天才と呼ばれるに相応しいプレイでした。
私は、その潜在能力で中田英や中村俊、小野伸をも上回る天才の出現に、興奮を抑え切れませんでした。

香川は、17歳のときその柿谷がいるC・大阪に加入しました。年、学年とも一年香川が上ですが、さすがに鳴り物入りで入団した彼でも、年下とはいえ、柿谷の存在には一目も二目も置かざるを得なかったと思います。当然、クラブ側の評価と期待も柿谷の方が上でした。

しかし、その後の両者は対照的な道を歩むことになります。
コツコツと弛まぬ努力を続ける香川と、度々練習に遅刻する柿谷。遅刻の原因は、病的なものなのかどうかはわかりません。報道によると、生活態度が悪かったということですから、夜遊びが過ぎたのかも知れません。俗に言うところの『天狗』になっていたのではないかと推察されます。

とうとう、当時の監督だったクルピの怒りを買い、柿谷はJ2の徳島にレンタル移籍させられました。一方、Jリーグで頭角を現した香川はドイツへと移籍し、柿谷が徳島でプレイした2年間、移籍したドルトムントのリーグ2連覇に大きく貢献し、その実力を認められて、今年マンU移籍を果たしました。

よくもまあ、これほどの大差が付いたものだと思います。
若手の育成に定評があったクルピ監督でさえ、両者を直接指導してみて、
『才能は柿谷の方が上』
とまで言わしめた男・柿谷曜一朗。
香川はおろか、海外移籍において、同学年の清武にまで先を越されてしまい、その壮行試合でプレイする柿谷の胸中は、いかばかりだったか、察するに余りあるものがあります。
結局のところ、
『努力に勝る天才無し』
ということなのでしょうね。

しかし、その柿谷。
今年からC・大阪に戻ったのですが、徳島での2年間が良い薬になったのか、生活態度も改善され、精神的にも大成長を遂げたようです。
スタメンに顔を連ねるようになってから、ゴールを始め、かつての天才的なプレイを取り戻しつつあります。

この試合、清武は移籍が決まっていますが、C・大阪には扇原や山口、浦和には原口と、オリンピック代表候補の逸材が揃っていましたので、もし欧州のスカウト陣が彼らを視察していたとしたら、
『思わぬ掘り出し物を発見』
と、ほくそ笑んだことでしょう。

元々は、香川以上の才能と言われた彼のことです。四年間という長い時間を無駄にし、ずいぶんと遠回りをしましたが、ついに覚醒した今後に期待したいと思います。
案外、二、三年後には、欧州のどこかの強豪クラブで活躍しているかもしれません。少なくとも、遅ればせながら欧州一部のクラブへの移籍は果たしていることでしょう。

不思議な人々・その1:霊能力者山口さん-前

数年前、スピチュアルブームが真っ盛りの頃、霊能力者といわれる人物が、芸能人や一般人の相談を解決するというテレビ番組が流行っていましたが、彼らの霊能力の真偽はともかく、ごく身近に触れて育ってきた私の場合、霊能力者は、
『いる、いない』
というのではなく、
『特別な存在ではない』
という感覚でした。

以前、私の祖父の祖母、つまり私にとっての高祖母と祖母の二人は、霊能力があったと言いましたが、高祖母はともかく、祖母の場合は、私の物心の付く頃から、信心深い人でしたので、私は朝な夕な読経を聞きながら育ったせいか、まず宗教に対して、違和感や猜疑心を抱くことがありませんでした。
小学生の頃、祖母が周囲から相談を受け、『神様』と交信し、アドバイスをしていることを知っても、ごく当たり前のこととして、受け入れていました。

また、私の師は大変な荒行を積んだ『高僧』でしたから、身近にいた私は、師の霊的な力、あるいは神通力を垣間見ることが多々ありました。

むろん、これらを、
『信じる、信じない』
は、皆さんの自由ですし、実は私自身も、彼らが起こす現象が、
『霊的なもの』
なのかどうか、そしてその霊力は、
『特別な人間』
にしか備わっていないものなのか、分からずにいます。ですから、私は自分の目で見たままを書いて行きたいと思います。

今回、取り上げる人物は、私が育った地域では大変に有名な霊能力者で、名を山口・Iさんと言いました。

私が初めて山口さんと出会ったのは、確か中学校2年生の頃だったと思います。確かな記憶が無いのは、その頃はまだ精神の病に罹っていませんでしたので、私自身の相談事ではなかったからでしょう。
多分、7歳年長の長姉の結婚について相談しに行ったのだと思います。私は、日頃から山口さんの話を聞いていたため、興味があり同行したのだと思います。

私の生家から車で10分南下したところに、人口数万人の街があり、さらにそこから30分南下すると、人口十数万人の街があるのですが、山口さんの家は、その二つの街のちょうど中間地点の小さな町にありました。

町と言っても、山口さんの家は、少し辺鄙な場所にあり、四方を畑で囲まれていました。私は、山口さんの家を見た瞬間、子供心に、
『本物だ』
と思ったものでした。
なんと、私の目に映ったのは、バラック家に毛の生えた程度のみすぼらしい家だったのです。山口さんはこの地域を中心に、大変な数の信者?相談者を抱える有名人で、その数は3,000人?とも考えられるほどでした。

3,000人?というのには意味があって、現在3,000人なのか、累積3,000人なのか、はたまた別の意味のある数字なのか、にわかには判明できないのです。理由は後で説明します。

ともかく、四畳半が二間と台所、風呂という小さな家で、トイレは外に別の小屋でした。
なぜ、3,000人?とも考えられる相談者を抱えながら、極貧生活だったのかと言いますと、相談者から一円たりとも金銭を受け取らなかったからです。

事実、祖母が相談したときも、一旦は祈祷料10,000円を神棚に奉納し、神様に報告をされるのですが、帰り際に必ず返されるのです。もし、返却を拒否すると、二度と相談を受けられなくなりますので、渋々ながら受け取らざるを得ないということです。

ただ、その代わりに、漁師は魚や干物、農家は米や野菜、勤め人はお菓子や果物などを持参しましたので、生活に困ることはなかったようです。
また、二人の娘さんがおり、姉の方はパート勤めをされていたようですので、光熱費などの雑費は彼女の給料で賄っていたようです。妹の方は、山口さんの身の回りの世話をしながら、おそらく後継の修行?というか、準備をされていたように思います。

さて、3,000人という数字についてですが、実は私が大学生のとき、つまり師の下で生活するようになってから、山口さん許を訪れ、相談しようとしたことがありました。
ところが、
『久遠ちゃんは、もうお上人の庇護の下にあるので、私の神様から手が離れているのよ』
と、断られてしまいました。
山口さんの話によると、彼女が信心する神様の能力は、3,000人が限度で、すでに満員だというのです。そこで、私が師に師事したのを契機に、私を手離し、新しい相談者を入れたということでした。

そうだとすると、山口さんは現在進行形で、3,000人の相談者がいるということになり、また相談者が亡くなったり、しばらく(何年かはわかりません)音沙汰がなかったりしても手離すそうですから、累計ともなれば、軽く万人を超えているでしょう。

ただ、その神様は山口さん一人が信心しているのか、他者もいるのかが不明なので、曖昧な言い方になってしまったのです。
おそらくは、私の守護霊様である、『正一位月光地主大明神』様と同様、山口さんの個人的な守護霊様か何かだと思われますので、相談者の数を見ても、大変な霊能力者だということが分かると思います。

さて、この山口さんとの出会いは、ある意味で私の人生を変えてしまうことになりました。というのは大袈裟ですが、私の大学生活が一変したのは事実です。

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