不思議な人々・その1:霊能力者山口さん-後

私が初めて出会った頃の山口さんは、70歳を越えている老婆だと思っていましたが、どうやらまだ60歳を少し超えたばかりだったようです。

山口さんが、その世界に入ったきっかけは、若い頃大病に罹り、医者から余命数ヶ月と宣告されたことによります。すでに夫を亡くしていた山口さんは、幼い娘2人を残しては死ねないと、その界隈で信仰を集めていた地蔵菩薩に信心したのだそうです。
そのとき、
『命を助けて頂いたら、さらに信仰を深め、人のために尽くします』
との誓いを立てたということです。

その甲斐があってか、一命を取り留めた山口さんは、誓いに従って、無料で人々の相談に乗っているのです。

さて、この老霊能力者との出会いが、私の大学生活を一変させた、と言った理由は、株式相場です。
私が2度目に訪ねたときです。山口さんの家には、テレビはなかったのですが、ラジオがあり、そのときも1度目と同じように、何やら早口で値段を言っていました。
そうです。短波で株式放送をしていたのです。

私の何か?との問いに、妹さんが株式相場だと教えてくれ、簡単な仕組みを説明してくれました。山口さんは、お姉さんのパートの給料以外に、株式相場でも生活費を稼いでいたようです。

話によると、山口さんの夢枕にときどき『神様のお告げ』とやらがあり、それに従って株式を売買しているのだそうです。儲けがどの程度かはわかりません。山口さんの『神様』への信仰、信頼ぶりからすれば、そのときの全財産を投資することも厭わなかったでしょうから、大儲けだってできたはずです。
もっとも、どのような大金を手にしたとしても、山口さんが贅沢な生活をしたとは思いませんが・・・・。

さて、株式に興味を持った私は、さっそく株に関する本を数冊買い求め、学校の勉強などそっちのけで読み漁りました。
詳細な仕組みが分かると、次はシミュレーションをしました。新聞の株式欄で適当に選んだ複数の会社の値段を追って行ったのです。適当といっても、誰もが知っている銘柄を各業種から選びました。

むろん、当時はインターネットなど有りませんし、今日のような株式に関する便利なソフトもありませんから、膨大な手間隙を掛けて分析するしかありません。そのようなことを中学2年生の頃から大学入学まで続けました。

すると、高校3年生の春だったと思います。何となく、株式には一定の法則のようなものがあることに気付きました。
チャートとか罫線とは違います。もったいぶるようですが、私独自の、いや他の株式本には論理があるのかもしれませんが、とにかくおもしろい原理現象を見出したのです。

そして、その理論に従って株式を分析して行くと、薄利ではありますが、低リスク、高確率で儲かることが分かりました。
それからというもの、私は高校にまで短波ラジオを持ち込み、休憩時間になるとそっと教室を離れ、イヤホーンで放送を聞くくらいに熱中していました。
卒業後に催された同窓会では、私が奇妙な行動を取るので、不思議というか気味が悪かったとクラスメートに言われるほどでした。

浪人時代は、ちょうど引き籠もりの状態でもあり、株式研究には打って付けでした。まあ、それが良かったのか悪かったのか、天から与えられた時間のようでもあり、皮肉な期間だったようにも思います。
ともかく、こうしてシミュレーションによって自信を得た私は、実践で腕を試したい欲求に駆られたのですが、当然先立つ資金がありません。
そこで、私は一計を案じ、あるところから資金を調達したのです。

あるところとは、私の両親です。
両親が私のために、何がしかの大学資金を用意しているのは知っていました。そこで、学費を除き、仕送りとして用意していた資金の中から、半分を一括でもらえないかと談判したのです。
交換条件として、その後は一切生活費の無心はしないと約束しました。両親にしてみれば、私の言を信用するなら、仕送り費用が半分で済むということになるわけですから、快く承知しました。
もっとも残り半分も、いざという時のために取っておいたでしょうが・・・・。

大学生になった私は、師の寺院に寄宿させてもらいましたが、師は費用その他の金銭を一切受け取られませんでした。ですから、親からもらった資金は、ほとんど格式投資に充当することができたのです。
両親にしてみれば、そういう事実は想像していなかったでしょうね。何がしかの謝礼をしているものだと、思い込んでいたでしょう。
いずれにしても、そうやって株式資金を手にした私は、さっそく株式の実践を始め、首尾よく儲けたというわけなのです。

『マドンナ・大学篇』で、大学生の私が、数百万円という大金を所持していた理由はそういうことなのです。

名曲百選―その2:エピローグ

チャゲ&飛鳥の『チャゲ』がメインで歌う、数少ない曲の一つです。失恋をモチーフにしたバラード調の名曲で、私もときどきカラオケで歌うのですが、実はこの曲には苦い思い出があるのです。

今から二十年ほど前です。私は、会社の後輩・Yと飲食することが多く、決まって飲み屋へ行ってはカラオケを楽しんでいました。
Yは大変に歌が上手く、そんじょそこらのプロ歌手も顔負けの実力で、私も何かのコンテストにでも出場したらどうだ、と真顔で勧めたほどでした。

なにせ、たとえばスナックなどで、私が歌っても他の客は各々の会話を止めたりしませんが、Yが歌い出だすと、途端に騒ぎを止めて、誰もが彼の歌に聞き入るのです。そして歌い終えると、必ずやんやの拍手喝采となりました。

演歌、バラード、ポップス、洋楽等々、オールマイティでした。私も、彼の歌声が好きでしたので、私がマスターしたい曲をリクエストしたり、彼が覚えてきた曲を聞いたりしながら、メロディを覚えるということをしていました。

さて、所用で東京へ行ったときでした。
六本木の馴染みの店に一人で入ったのですが、そこでYの聞きかじりで覚えたこの『エピローグ』を歌ったのです。
すると、大阪では私の歌に聞き入ることはないというのに、このときばかりは、雑談が止んで店内が静寂に包まれ、私の歌声だけが響いているという状態になりました。

思わぬ事態に、私は気を良くし、いつもに増して気合を入れて歌っていたのですが、そのうち何やら様子がおかしいことに気付きました。
含み笑いというか、失笑のような『クスクス』といった声が、洩れ伝わってきたのです。
『おかしい・・・・』
Yほどではないにしろ、私もそれなりの歌唱力はあります。失笑されるほど下手ではないはず・・・・私は、酔いも醒め、冷や汗を流しながら歌い切りました。
そして、あることに気付いたのです。
『メロディが違っているのでは?』

大阪に戻った私は、すぐにCDを購入し(当時はインターネットがなく、ダウンローなど出来ませんでした)、確認すると、やはりそうでした。
しかも、一ヶ所ではなく、四ヶ所も違うのです。これでは、失笑されても仕方がありません。私は、気になった他の曲も調べてみました。すると、

『STAY-DREAM(長渕剛)』
『夕映えを待ちながら(因幡晃)』
『もうひとつの土曜日(浜田省吾)』

も、微妙に違っていました。

では、なぜYは失笑されたり、間違いを指摘されたりされなかったのでしょうか?
おそらく、彼の歌唱力があまりに圧倒的なので、それはそれで編曲された一つの完成品だと認められていたのでしょう。
しかし、私の歌唱力では許せない。そういったところでしょうか。

その後、私は必ず原曲を聞いて覚えるようにしました。

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