マドンナ・大学編・その3

当時、大学の正門を出てすぐの右手に、閉鎖された食堂がありました。歴史は古く、おそらくかつては学生相手の安価な食堂として繁盛していたのでしょう。ところが、大学側が自前の学生食堂の設備を拡充したため、徐々に需要が減り、とうとう不渡り手形を出し、倒産したのです。

そして、50坪の敷地は2分割され売りに出されていたのです。いや正確に言えば、債権者である『○○庶民信用組合』が、事前に得意先に打診し、買い手はすでに決まっていました。

『その土地が何とかならないか・・・・』
というのが、喫茶店・Gのママから付き付けられた難題でした。
経営者としてみれば、その一等地は喉から手が出るほど欲しかったに違いありません。今の路地裏の辺鄙な場所でさえ、それなりに繁盛しているのですから、表通りに店を構えられれば・・・・と皮算用するのは人の情というものでしょう。

しかし話によれば、すでに仮契約まで済んでいるとのことで、手の打ちようが無いのは明らかでした。いったい、ママは何を思って私に相談したのでしょうか。前回受けた相談は、別に法学部の学生でなくても、一般常識に毛の生えた程度の事柄でした。

『ママは俺を試したのだろうか?それとも、何かを嗅ぎ付けたのか?』
私は疑心暗鬼に陥りながら、
『仮契約をした人より、多額の預金をすれば何とかなるかもしれません』
と、気休めを言うのが精一杯でした。
金融会社の特性として、○○庶民信用組合が打診したのは、自社の上得意先であることは間違いなく、そうであれば、その得意先を上回る預金をすれば、可能性があるかもしれないと思ったのです。

しかし、仮契約した者がどの程度得意先なのか分かりませんし、仮契約を引っくり返すには、その何倍の預金をすれば良いのかも分かりません。ママの資産を知るはずも無く、いや、そもそもそのようなことが可能なのかどうかさえも分からないという、まるで雲を掴むような提言でした。

私は心の中に、
『師に相談すれば、何とかなるかもしれない』
との思いを抱いていましたが、そうまでしてママの力になる義理はありません。私は適当に慰めを言って帰りました。

さて、数日後だったと思います。
師の許に来客があり、用件が済んだ後、外で飲食となったのですが、私もご相伴に預かることになり、梅田に出ました。
北区・西天満の料亭『芝苑』で食事をし、指呼の間である北新地に繰り出しました。
ちなみに、師に同伴することが多かった私は、学生の分際で高級料亭や京都の御茶屋、高級クラブに頻繁に出入りすることができました。

その頃、師の許には数多の来客がありましたが、師は名前を紹介して下さるだけで、社会的地位や肩書きなどは一切口にされませんでした。
酒の席は『無礼講』となさりたかったのだと思います。
師の意を汲んだ私も、相手の職業などを聞くという野暮なことはしませんでしたので、相手が進んで名詞を差し出す以外は、詳しい素性も知らないままの談笑となりました。

このときの来客とも初対面でしたので、料亭までは堅苦しい話題に終始していたのですが、
師との話の内容から、銀行員だということだけはわかりました。
そして、クラブに河岸を変えて、ようやく和んだ雰囲気になった機を捉えて、私は喫茶店・Gのママの件をその方に相談しました。同じ金融機関の社員であれば、何か裏技的なアドバイスがもらえるかもしれないと考えたからです。

すると、一般的な事例として、匿名で相談した私に、実名を明かして欲しいと要望されたのです。私は、隠す必要もないないと思ったので、言われるがまま実名を明かしました。
その方は、
『では、私の方で調べてみましょう』
と言って下さり、その場はそれで終りとなりました。

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