社会問題:いじめ

滋賀県・大津市の中学校で起きた、2年生の男子の自殺が問題になっています。ネット上で、私なりに背景を調べてみると、いじめと関係があるかどうかは不明ですが、中学校自体が『?』の付く学校ですね。

しかし、報道されている内容が事実だとすると、市教育委員会や学校側、警察の対応もさることながら、担任は酷すぎましね。笑って見ていたというではありませんか・・・・。
ここまで『日本人』の劣化が進んでいるのかと、愕然とした思いになりました。

振り返ってみると、私が子供の頃も『いじめ』はありました。高度経済成長時代に入っていましたが、地方の田舎でしたので、貧しい家庭も多く、粗末な家や、風呂の無い家の子供は、『貧乏人』、『汚い』、『臭い』などと、囃されていました。
大概は、男子が女子に言うのですが、そういった場合は他の女子が団結して、逆に『ちび』だとか、『不細工』とか男子の悪口を言い返していましたね。
見て見ぬ振りをしたり、まして加担したりすることなどはありませんでした。ですから、いじめられていた女の子も救われていたのかもしれません。

自慢できることではありませんが、どちらかといえば、私はいじめる側の人間でした。
私の生家は、その地域でも権力のある家で、特に祖父は、数多くの地元の公職に就いていましたので、たとえば小学校の校長や教頭も、頻繁に我が家にやってきては、祖父と将棋を指したり、酒を酌み交わしたりしていました。

また、私の6歳年上の従兄弟が、その界隈に名の通った不良でしたので、私は祖父と従兄弟の威を借りて、傍若無人に振舞っていました。ですが、私には私なりに『侠気』というのがあって、決して障害を持つ弱者、自分より幼い者、女の子はいじめませんでしたし、集団でいじめたりはしませんでした。

むしろ、学校生活や村の行事などで、役割をサボるとか、集団行動から逸脱するとかした者を叱ったり、小突いたりしました。これがいじめになるのかどうかはわかりませんが、相手にすれば、いじめられたと受け取ったかもしれません。

ただ、私の行動の度が過ぎた場合は、家族だけでなく、近所の人々からも注意を受けましたし、何よりも先生が厳しかったですね。
祖父の社会的地位や、祖父との親交など全く関係なしに、こっぴどく叱られましたし、ぶたれたことも、一度や二度ではありませんでした。

しかし、私が先生を恨めしく思うことはなく、むしろ子供心にも、
『えこひいきのない先生だ』
と、信頼が置けました。
私がそうだったからというわけではありませんが、今の子供たちだって、敏感に教師の本質を見抜いていると思います。ですから、腰の引けている教師は、生徒から馬鹿にされ、信頼されなくなるのでしょう。

この事件でだけでなく、近年は陰湿ないじめを苦にした自殺というのがあまりに多いですね。原因としては、評論家諸氏が、のたまっているように、戦後教育の失敗と地域社会の崩壊、核家族化などが挙げられるでしょう。
私は、これらの要因には日本人の宗教観が密接に関わっていると思っているのですが、そのことについては『日本再生論』で言及することとし、今回は視点を変えて、いじめた側の生徒について考えてみたいと思います。

ここからは、全くの私の推論であり、ソースやデータがあるわけではありません。暴論と言っても良いと思いますので、予め御容赦下さい。

中2の男子をいじめ、自殺に追い込んだと思われる生徒たち。彼らは、今後どうなるのだろうか、と私は憂慮します。
もちろん、刑事的な罰を受けることはありませんし、ひょっとしたら、うやむやになり、何の御咎めもなく、今後の生活を送るかもしれません。

そうなった場合、彼らはどういう人生を送るのだろうか、と想像するのですが、たとえば確率として、10人中何人の生徒が、自殺した追い込んだことを反省し、心に傷を抱えて生きて行くのでしょうか。

私は半数もいないのではないかと、勝手に推量します。そして半数以上の人間は、何ら反省することもなく、成長し社会に出て、犯罪者予備軍になるのではないかと思うのです。
人の心の痛みが分からない人間ですから、社会に出てからも同じことを繰り返すと思うのです。

極端な例は、ヤクザになることですが、そこまで道を外さなくても、本格的な詐欺師や商品偽造、産地偽装、会社においては着服や横領、横流し、あるいは一時社会問題になった、賞味期限切れ商品の使い回しなど、金儲けのために平気で人を騙したり、社会法規を破ったりする人間になるのではないかと思うのです。
また、犯罪ではありませんが、悪意の噂を流して同僚を貶めたり、気に入らない部下をネチネチと陰湿に叱ったり、人事的に不当評価したりする人間になるのだと思います。
全くの暴論ですが、種々の犯罪を起こした人間は、子供の頃にいじめをしていた者が圧倒的に多いのではないかと、私は推察します。

自殺報道は、いじめの実態の氷山の一角に過ぎず、自殺までは行かなくても、心に深い傷を負った者は大勢いるでしょう。そして、いじめた側はその何倍という人数になります。
そういった類の連中が、つまり子供の頃にいじめをしても、誰からも注意を受けず、それが原因でいじめた相手が自殺しても、心に何の痛みも覚えない人間が、次々と社会人になって行くのです。

実に恐ろしいことだとは思いませんか。
私は、『オレオレ詐欺』を働き、喜々として老人から年金を巻き上げる、あるいは『闇金』の取立てで、相手を自殺にまで追い込むといった輩は、こういった人間なのだと思えてなりません。『親父狩り』や『ホームレス襲撃』もそうでしょう。
そうそう、笑っていたとされる担任も、学生の頃いじめた側の人間だったのではないでしょうか。少なくとも、いじめられた側の人間ではないことは確かでしょう。

いじめを止める、といった正義感や勇気までは無くても、少なくとも加担はしない、あるいは心に痛みを覚える人間は、滅多なことでは犯罪に手を染めることはない種類の人間だと思うのです。
もちろん、確率の問題ですが、
『学生時代に人をいじめた者=社会に害を成す人間になる』
というのは、かなりの高確率だと思います。
まあ、偏見だとは思いつつも、そう思わざるを得ない自分がいますし、あながち間違ってはいない気もします。

この理屈が事実かどうかは別として、もう一つ私は、ある不満を覚えます。それは、被害者及び被害者家族に比べて、あまりに加害者が護られているということです。このいじめだけでなく、一般の犯罪しかりです。

どこで、どう間違えたのか、変てこな社会になったものです。私に言わせれば、『似非人権弁護士』やら『似非人権団体』の影響だと思うのですが、私の偏った思想、哲学からすれば、罪を犯した輩の更生などより、被害者及び被害者遺族の心のケアーの方が断然重要で、そのためには加害者がどのような晒し者になろうと構わないと思います。

罪を犯した者はそれだけのペナルティがあってしかるべきで、今回のいじめ事件に関しても、いじめた生徒はそれ相当のペナルティを受けなければならないと思います。しかし、少年でもあり、また直接手を下したわけではありませんから、むろん刑事罰は相当ではありありません。

私の言うペナルティとは、社会の目です。
昔であれば、『村八分』というのがありました。『村八分』は、何も刑事的な罪を犯した場合のみでなく、村の掟に反する行為など、道徳に外れた場合にも適用されました。ちなみに、村によって異なるかもしれませんが、『村八分』以外の『二分』とは、『葬式』と『火事』です。死んで仏になれば、無罪放免となり、また火事は類焼を恐れたため、村八分の外としたのです。

むろん、今では村八分はもう無くなっていますし、私の故郷も例外ではありませんが、それでも。私の幼い頃に比べればかなり弱くなったとはいえ、今でも『世間の目』というのが厳然として存在します。

刑事罰だけでなく、不道徳な行いは世間の冷たい目に晒されます。若者の夜遊びや不良行為は、すぐさま親に報告され、村中に知れ渡ります。そして、その一家は本人だけでなく、家族全員が一定期間、肩身の狭い思いをして生きて行くことになるのです。
ですから、私も家族から、少々の『やんちゃ』は仕方が無いが、『盗み(たとえば、万引き)』だけは、絶対に許さない、ときつく戒められていました。

まあ、不倫関係なども、あっという間です。
相互監視というのは、確かに窮屈で生き難い社会ではありますが、お陰様?なのか、私が生まれてから今日まで、犯罪らしい犯罪は一件もなく、子供たちの素行もいたって良好です。子供の頃の私や従兄弟の行状が、最も酷かったかもしれないくらいです。

私の故郷のような村や町は、まだ全国に多々あると思います。しかし、都会はそういうわけには行きません。『人権』という美名に守られ、今回いじめた生徒を始め、これまでも自殺に追いやるようないじめをした生徒たちは、たいていが無罪放免となり、世間の目からも逃れて生きて行くことでしょう。
そうなった場合、いったいどれだけの人間が自らを反省し、いじめたことを悔いながら生きていくのでしょうか?これがつまり、犯罪予備軍になるのではないかと思うのです。

人間とは愚かで弱い生き物です。自らを律することは容易ではありません。外から縛るものが無ければ、すぐに甘え、楽な方へ楽な方へと流されるものです。ですから、多少非情であっても、世間の冷たい目というのは必要だと思うのです。

今日、学校に爆弾予告があり、『いじめた生徒と担任はテレビカメラの前で謝罪しろ』という要求があったそうですが、私の言いたいことと一致しており、気持ちとしては良く分かりますね。手段は間違っていますが・・・・。

しかしこの問題。
地域社会の崩壊と核家族化によって、結果的に近所付き合いが疎遠になり、相互無関心となった現代においては、解決は非常に困難でしょう。
時間は掛かりますが、やはり教育内容を根本的に変えることと、地域活性化のために、地方分権化を進めて行くしか方法はないと思います。

次回は、このあたりに言及したいと思います。

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