52年目の真実

52年目の真実、などと大上段に構えましたが、たいした話ではありません。
極めて個人的なことで、ただ単に私が無知だっただけのことです。

一昨年の夏のお盆、私は義理の叔父の初盆に回向しました。私の母の妹の連れ合いですから、私にとって義理の叔父になります。
以前にも書きましたが、私の父は、私が大学生のときに1回目の『食道静脈瘤破裂』で倒れ、以降3度の『食道静脈瘤破裂』と『胃の全摘出』の合計4度の大手術を受けた末に、1993年1月17日に亡くなりました。
1月17日というと、奇しくも2年後の阪神淡路大震災と同じ日です。

父が亡くなって以降、我が家は母と祖母の、女手だけになりました。日常生活では、力仕事が避けて通れないのですが、義理の叔父はそれこそ母の実の弟よりも、親身になってその役割を果たしてくれました。
それほど、恩義のある義叔父の葬儀には、拠所ない事情があって、参列できなかったので、初盆会にはどうしても、と回向したのでした。

さてその折、いや正確には帰省したとき、前年の葬儀にある人物が出席していた、と姉から訊いて私は驚きました。
私とその人物が遠縁だったとは・・・・初めて知った事実でした。
しかも、そのK・Aは亡くなった義理の叔父の実姉の息子ですから、私と違って正真正銘?の甥なのです。

K・Aは、同じ村に生まれ、幼稚園、小学校、中学校と同級だった幼馴染で、思い起こせば、私が小学生の頃、彼の家に遊びに行くと、彼の母親はやけに私に親切だった記憶が残っています。
もちろん、彼の母親の生来の性格もあったでしょうし、私の生家の権勢もあったでしょうが、姉妹(私の母と叔母)と姉弟(K・Aの母と義理の叔父)という繋がりがあったことが根本だったのでしょう。
余談ですが、K・Aには2歳下の弟がおり、彼がなぜか私を慕っていて、私は中学だったか高校だったか、私の参考書を全て彼に譲ったことがありました。

葬儀と違い、初盆は賑やかに行われます。
大勢の親族が集まり、深夜の2,3時頃まで飲み明かすのが慣わしなのですが、その折、さらに驚いたことがありました。
彼が、テレビドラマの『太陽に吠えろ』(古いなあ・・・・)に憧れ、警察官になったことは耳にしていましたが、名詞をもらってびっくりです。
詳細は控えますが、階級は『警部』でしたが、役職は現場のトップというべきものでした。
つまり、凶悪事件が起こると、捜査本部が設置されるのですが、彼が実質的な現場指揮と執っているようなのです。

警視庁や大阪府、神奈川県、愛知県などの大規模警察本部ですと、本部長始め局長クラス、課長クラスも『キャリア』、つまり国家公務員一種試験に合格した者でなければ、なかなかに就くことが難しい役職ですが、小規模警察本部ですと、本部長一人か、その下の部長辺りまでがキャリアで、以外はノン・キャリアの叩き上げ刑事が就いています。
ですから、ノン・キャリア組の彼にすれば、出世のほぼ頂点に達しているようなのです。

さて、凶悪犯罪を捜査しているだけあって、ごつい身体をしていました。身長は私よりやや低いのですが、横幅と胸板が半端ないですね。もちろん、眼つきは鋭く、談笑の中にも時折見せる鋭い視線は幼馴染でなければ、ドキっとするでしょう。
ただ、その場に居た親戚の者たちは、年長者であっても、K・Aの社会的立場を考慮して、丁寧な言葉遣いをしていましたが、私との関係性は昔のままで、私が名前を呼び捨てしたのに対し、彼は○○君と『君付け』にしました。私の田舎で同級生に『君』を付けるのは敬語と同様の意味合いがあるのです。さすがに、私も居心地が悪かったので、名前を呼び捨てにするように言いました。

その日、携帯の番号を交換して別れましたので、昨年帰省した折も、時間があれば一杯やろう、と連絡し合いましたが、残念ながらいっこうに時間が取れず仕舞いでした。今度一杯やるときは、おそらくどこかの警察署長になっていると思われます。

最後に、実はK・Aは、『マドンナ編』の文中の、中学生時代、私が憧れていた美少女と噂になった、まさにその男でした。

Copyright © All Rights Reserved · Green Hope Theme by Sivan & schiy · Proudly powered by WordPress