北朝鮮の恫喝外交にみる民族気質の違い

『北朝鮮の恫喝外交にみる民族気質の違い』

 

ミサイル発射の予告をしておきながら、現在のところ(13日)依然発射されていません。

連日の過剰な報道にはうんざりしますね。正直、『打つならさっさと打て』という気分です。

 

はっきりいってどうでも良いことです。どうせ、人的被害が出るような地域に打ち込むはずがありませんし、打ち込んだら、それはそれで北朝鮮は終わりですから、すっきりします。戦後数十年の『たかり』や恫喝から解放されると思うと気分が晴れるというものです。

 

ところで、報道によると朝鮮民族はプライドの高い民族だということですが、はたしてそうなのだろうかと疑います。というか、私が考える、世界が思う『プライド』とは違うのでしょうね。彼らの行動をみていると、恫喝しようが物乞いしようが、金や食料という実入りがあれば良い、それが勝利でありプライドのように思えてなりません。

 

一方、日本人には『武士は食わねど高楊枝』という諺があるように、魂を売ってまで利得を欲するということはありません。(相対的なものです)また、日本人は人生の価値を個から世界へと広げて行く民族です。

 

たとえば人生の価値を決める大きな要素である仕事、職ですが、まずは自分自身が納得できるかどうかに重きを置きます。周囲の評価が高くても、自分自身が納得しなけれな良しとしません。

 

自分自身が納得したら、次は近しい人々に認めて貰いたいと願います。家族、親族、友人などです。彼らに認められると、その次は地域社会や会社組織にそれを求め、最後に国や世界という順になるのです。

 

わかりやすいのがノーベル賞で、IPS細胞で受賞した中山教授などは例外で、30年、40年といった過去の実績が受賞の対象となるのが概ねです。当然、彼らはノーベル賞受賞を目的として研究、努力を重ねていたわけではありません。

 

あくまでも自分自身にこだわり、世のため、社会のために努力をしてきたのです。そこには名声を得ようとか巨富を得ようというような邪な考えはないのです。同じような例は、いわゆる伝統工芸を守る職人などもそうでしょう。彼らも一様にひたすら受け継いだ技術をさらに研鑽し、後世に伝えようという使命感を持っています。ですから、そこには捏造とか偽装といったまやかしはないのです。日本民族が世界に誇れる点でしょう。

 

ところが、朝鮮人というのは目先の利益や栄誉、名声を欲しがる民族のようです。ですから、そこに捏造や八百長が蔓延り、手段を選ばず目的を達成しようとするのです。五輪やサッカーW杯での買収は公然の事実で、韓国内のスポーツはほとんどの競技で八百長が蔓延しています。

 

IPS細胞で言えば、以前のES細胞の捏造事件もそうで、ともかく自分自身の得心より、周囲の評価を得たいという気持ちが強いようです。経済に目を向けても、ウォン安により好調な経済が続いたにもかかわらず、うわべの繁栄にただ浮かれるばかりで、本物の強さを得るための企業体質、産業構造の変革を怠りました。

 

そのため、アベノミクスで円安が進み、相対的にウォン高になり、経済の減速が顕著になると、その原因の矛先を日本に向ける始末です。全くお門違いで、話にならないとはこのことです。

 

この点一つを取って見ても明治維新と戦後復興という、世界史に誇る奇跡を起こした日本とはずいぶんと違うようです。

 

安岡久遠「どうする日本、どうなる世界」




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