世界大学ランキングとソルボンヌ大学

先日、バラエティ番組を見ていましたら、世界大学ランキングを発表していて、それによると、

1位:ケンブリッジ大学(英国)
2位:ハーバード大学(米国)
2位:マサチューセッツ工科大学(米国)

となっていました。
まあ、この手のランキングの選出方法には様々な問題もあり、また考察する機関によって、重点項目が異なるため、順位には変動があるようです。

我が国最高学府である東京大学は、ある研究機関では8位、また別の機関では30位と、その評価の違いに大きな差があるようですので、どれほど信憑性があるかは疑問です。
また、主な選考項目には、ノーベル賞、フランクリン・メダル、ボルツマン・メダル、ディラック賞、キッピング賞等の受賞者数や、研究論文の発表数などもあるようですが、論文は基本的に英語となりますので、日本の学者による論文発表は極端に少なく、いかに東大といえどもランクが下がるようです。

それはともかく、こういう世界の有名大学の名が出ると、私はいつもフランスの『ソルボンヌ大学』を思い出します。
もっとも、実際は『ソルボンヌ』という名の大学は存在しません。今あるのは『パリ大学』でソルボンヌというのは、12世紀の司祭の名が由来で、いわば旧称あるいは代名詞です。パリ大学の起源はその12世紀まで遡り、オックスフォード大学などと共に欧州最古の部類に入る大学で、創設期は、神学・法学・医学の三つの上級学部で成り立っていました。

なぜ私がソルボンヌ大学の名を思い出すかと言いますと、実は留学しないかという話があったからです。
私は法学部に在籍していましたので、当然法学部への留学だったのですが、今はいざしらず、当時は、
『ソルボンヌ大学の法学部は世界一』
との評価でしたので、私としては逡巡せざるを得ませんでした。

というのも、私が通った大学は関西でもそこそこ有名な私立大学で、前身は法律学校だったということもあり、法学部自体のレベルは高かったのですが、私は出席を取る『語学とゼミ』以外は、全く講義を受けていませんでしたので、成績優秀という訳ではなかったのです。
逆に、それでも単位を落とすこともなかったので、日本の大学のレベルや、推して知るべし、というところなのですが、とにかく『全優』というわけではありませんので、世界一のソルボンヌ大学・法学部への留学など、おこがましいことでした。
ただ、たとえばソルボンヌ大学といえども、日本の東大のように秀才ばかりが集まっているというわけでもないので、留学自体は、それほど難しいことではなかったのかもしれませんが・・・・。

さて、この話は私の師からありました。
師は、このソルボンヌ大学・法学部の博士号を取得されていました。宗教家であり、専攻が中国の思想、哲学を中心とした、いわば文学部でありながら、なぜ法学部の博士号を取得されたかと言いますと、それは私が師と出会う前のことでした。

国名は忘れましたが、師は欧州で行われたある世界学術会議に、日本代表の一員として出席され、基調講演をされたそうです。師が日本団の一員に選ばれたのは、安岡先生の推薦があってのことです。

その基調講演は非常に好評だったらしく、各国の関係者から自国での講演を依頼された師は、予定を変更して、欧州各国を講演して回られたそうです。その中の一つに、『ソルボンヌ大学』があったのです。
その際、経緯は分かりませんが、当時の法学部長と大変懇意になり、酒宴の席で同氏から、
『我が大学には、法律に関して全世界、全年代の文献があるが、唯一中国のある時代の文献だけ無い』
との話を受けた師は、たまたま所有していたその文献を寄贈されたということです。
学部長は大いに感謝し、大学側に働き掛けて、
『名誉博士号』
の贈呈となったのです。
その後、学部長は大学長になりました。
私は、その学長の推薦という形を取って留学する予定になっていたのです。しかも、寄宿先はその学長の自宅ということまで決まっていました。

しかし、この話は実現しませんでした。
私が大学4回生の暮れ、突如父が、
『食道静脈瘤破裂』
で倒れ、生死の境をさまよったのです。幸い、一命は取り留めましたが、この病気は肝機能の低下が原因でしたので、いつまた再発するか分からず、その際は命の保証がないということでした。実際、そのときは運良く助かりましたが、命を落とすことも多い病気です。

あの石原裕次郎は、
『動脈瘤破裂』
でしたから、父よりさらに命を落とす危険が高かったわけですが、静脈といえども、有名人が何人も亡くなっていると思います。
ともかく、父がそうなってしまってはどうにもなりません。留学は2年なのか4年になるのかも分かりませんし、そうなると父の死に目に会えないかもしれないのです。

私は、留学の件を両親に話していませんでした。正月の帰省のときに伝えるつもりだったのです。
これが運命を分けたのかもしれませんね。もし、事前に両親の耳に入れていれば、きっと留学を勧めていたことでしょう。私は熟慮の末、一存で留学の話を断りました。
こう言うと、なんだか親想いの息子のように写りますが、実は学力不足の懸念とは別の、もう一つの重大な理由があって、私は留学の勧めがあって以来、ずっと受けるかどうか迷い、悩み続けていたのです。
父の急病は、そのような私に留学辞退を決断させる決定的な要因となったわけですから、案外天の声だったのかもしれません。

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