一期一会

茶会の心得から、一生に一度限りであることを表す言葉ですが、私とある人物ともこの一期一会の出会いでした。

私が、東京へ出向くことが多かった頃でした。ホテルは永田町近くの『キャピトルホテル・東急』でした。食事は、主にホテル内の寿司屋を利用していたのですが、さすがに場所柄ですね、大臣クラスの議員を何度も見かけました。

ある夜のことでした。いつもは連れがあるのですが、その日は私一人で寿司屋のカウンターに座っていました。珍しいこともあるもので、私以外の客は外国人ばかりでした。

そこへ、見るからに『金持ち』風の中年男性やって来て、左右を見渡すと、一席空けて私の横に座りました。

ちなみに、この頃までの私は、寿司屋でも滅多に寿司を食しませんでした。最後に、巻き物を少々食すだけでした。おかしな話だと思われるでしょうが、漁師の子供として育った私は、毎日三食、新鮮な魚を食していましたので、生簀以外の、すでに捌かれた切り身を食する気にならなかったのです。むろん、新鮮なことは分かっているのですが、生きた魚を目の前で捌かない限り、口に入れる気になりませんでした。

今は、そのような贅沢なことは言ってはおれませんので、もうなんでも食します。

私が鮑やサザエの造りのみを食していることに、興味を持ったのでしょうか、その中年紳士はチラチラと私に視線を送っているようでした。

そして、何度目かのときに、私が横を向いて目と目を合わせると、男性は満を持したかのように、

『あのう、タバコを吸っても良いのでしょうかね?』

と、問い掛けてきました。

私は、カウンターに置いてある灰皿に視線を送り、

『大丈夫でしょう』

と、答えました。

すると、中年紳士は、

『それは分かっているのですが・・・・』

と言って、外国人客らに視線を送ったのです。喫煙に関しては、外国人の方がより敬遠する傾向がありますので、男性はそのことに気を使ったのです。

 

そこで私は、機転を利かし、

『では、私にも1本下さいませんか?』

とタバコを所望して、二人に一緒に吸うことにしたのです。

普段は一切タバコを吸わない私ですが、飲酒したときは稀に吸うことがあります。もっとも、煙を肺まで吸い込むことは無く、口に含むだけですので、手持ち無沙汰を紛らわす小道具といったところでしょうか。

さて、それをきっかけにして話が弾み、男性は身の上話までするようになりました。余談ですが、何の取り得もない私なのに、どうも年長者には好かれる傾向があるようです。性格的に、媚を売ることは無く、それどころか、気後れもせずにズケズケと物を言うことが、却って気に入られたようです。

 

この中年男性にも気に入られたようで、しきりに、

『この後、銀座に飲みに行こう』

と誘われました。

私には、その後の予定が無かったのですが、身の上話から、中年紳士はこの夜、愛人と密会する予定だということを知っていましたので、私は何度も遠慮しました。

 

この中年紳士は、『大手設計事務所』の社長で、一週間に一度、このホテルで愛人と夜を共にしていたのです。まるで、『渡辺淳一』の小説の設定そのものでした。

ともかく、私は気を利かして何度も断ったのですが、あまりにしつこく誘うので、これ以上断ると却って失礼に当たると思い直し、とうとう彼の行き付けのクラブへ同行することにしました。

 

お店では、取り立ててどうこういうことはありませんでしたが、ママの話から、彼は日本でもかなり有名な大手設計事務所の二代目で、相当な資産家だということが分かりました。ですから、中年男性は二十三時頃帰宅しましたが、私は遠慮をすることなく閉店まで飲んでいました。むろん、中年男性との交誼はその夜一度切りでした。

ただ、これだけのことでしたが、私の人生を振り返ったとき、同種のことが多々ありました。私にとっては、まさに一期一会で出逢った人々との縁を大事にしているだけなのですが、周囲の人たちにすれば、たまたま飲食店などで同席になった見知らぬ人と、一言二言言葉を交わすことはあっても、それから銀座のクラブに誘われることなど考えられない、ということだそうです。

 

そうですね、仮に私が騙されていたとしても・・・・・たとえば、男性が料金の支払いを済ませずに帰宅してしまった場合などですが、私は常にそういうケースも想定していて、自腹を切る腹積もり、いやもっと言えば、相手が逃げない場合でも、私が支払う覚悟でいます。だからこそ、思い切った行動を取ったのかもしれません。

 

 

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