マドンナ・大学編・その4

二日後のお昼頃でした。
『ドンドン』と荒々しく玄関の戸を叩く音がしたかと思うと、
『安岡君、安岡君・・・・』
と、大声で私の名を呼ぶ者がいました。喫茶店・Gのママの声でした。

何事が起こったのか?と訝りながら、戸を開けると、
『安岡君、貴方いったい何をしたの?』
と、いきなりママが問い詰めるように言うのです。ですが、口調とは裏腹に怒っている様子は無く、むしろ呆然とした中にも喜びの表情が看て取れました。
『何のことですか?』
私が問い返すと、
『今朝ね、○○庶民信用組合から、
《例の土地の件で話があるので、至急来て欲しい》
と電話があって、急いで行ってみると、なんと、
《私に土地を売っても良い》
と言われたの』
と、ママは興奮した口調で、一気に捲くし立てたのです。
『ああ、それは良かったですね』
私が愛想もなく、極めて事務的に言うと、
『何言っているの。貴方が何かしたからでしょう』
ママは、他人事のように言った私に、業を煮やしたようでした。
もちろん、私には心当たりがありません。
『僕は、何もしていませんよ』
それでも、私が平然と言うと、
『貴方、○○銀行の××専務さん、知っているでしょう』
ママが口にした名は、二日前師の許に相談に訪れ、私がこの件を話した方でした。
ここに来て、ようやく私は事態が飲み込めました。
『調べてみる』
と言われた専務は、実は○○庶民信用組合に直接出向き、支店長と話を付けて下さったのです。というのも、後で分かったことですが、○○庶民信用組合は、○○銀行の孫会社だったのです。

むろん、私がそのような事を知るはずも無く、ただ師の許を訪れた人物が銀行の役員だということで、口に出しただけのことなのです。しかも、どうにかして欲しいとの依頼は一切していません。

『私が話しを漏らした人が、たまたま力のある人だったなんて、ママはラッキーでしたね』
尚も、私が素っ気無く言うと、
『まだ、惚けるの。支店長さんから、
《安岡という学生さんとはどういう御関係ですか?》
と聞かれたので、
《店のお客さんです》と答えると、
《ただの学生さんじゃありませんね。なんせ、○○銀行の××専務が、直に足を運ばれたのですよ。専務は、はっきりと安岡という大学生に頼まれたとおっしゃっていました》
と、感心しきりだったのよ。貴方、いったい何者なの?』
と、ママは興味津々の目で訊ねました。
『ただの学生ですよ。私も××専務さんが、そのようなことをして下さるなんで思いも寄らなかったんですから・・・・』
私は苦し紛れの返答しか出来ませんでした。

言うまでもなく、××専務が私に頼まれたと漏らしたのは方便であり、師の存在があったからに他なりません。私が師の寺院に寄宿したことで、師の知人、檀家からクレームが有ったと言いましたが、実は単なるクレームばかりではなかったようです。

私は、祖母の縁で、たまたま師と出会い、その流れで師の寺院に寄宿することになったと思い込んでいましたが、事態はそのように単純なことではなかったようです。周囲は、師の後継者ではないかと見ていたのです。ですから、この××専務も、私の相談を真剣に受け止め、善処してくれたのでしょう。

私が師の後継者というのは、まんざら当て推量ではなく、事実として、後年には私が師の養子に入る話まで持ち上がりました。むろん、一般の養子縁組ではなく、師の後継すなわち宗教家として後を継ぐのです。
私は師からその話があったとき、ずいぶんと悩みました。

それはそうでしょう。
尊崇する師とはいえ、一般人ではないのです。しかも、同じ宗教人でも、田舎の末寺に養子に入るのではありません。末寺には違いありませんが、○○以来の傑物との評価を受け、将来大本山の貫主に上り詰められる、いや法主の座も決して夢ではない、宗門を背負う一人になられるであろう高僧の後継なのです。
終生、周囲から比較をされ続け、決して凌駕することのできない巨人の後継など、成りたくないというのが本音というものです。

さらに、姉が二人いるものの、私は長男です。たいした家ではありませんが、長男としての最低限の務めというのもあります。
そういう事情で、返事を留保していたのですが、数年後、この話は立ち消えになりました。私の方に過失があったわけではなく、師ご自身も考えておられなかった、結婚をされたからです。

それはともかく、
『じゃあ、なぜ××専務のような偉い人と知り合いなのよ』
ママの詮索は留まる事がありませんでした。
私は、仕方なく、
『私が大阪でお世話になっている方の知人です。たまたま三人で食事をすることになったので、ついでに土地の件を話してみたのです』
と、少し語調を強めて言いました。暗にこれ以上の詮索はするな、との意を込めたのです。
さすがに、ママも客商売をしている身ですから、敏感に感じ取ったようで、
『分かったわ。じゃあ、今晩7時にお店に来てくれない?』
と、話題を変えました。
『今晩?何か・・・・』
『ささやかなお祝いをしたいの。必ず来てね』
ママは、問答無用といった体で、私の返事も聞かずに帰って行きました。

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